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わたし達とわたし:自分で自分を勝手にけん制していくこと

メンタル整理

 それなのに、けん制されている心持になってしまうこと。

 自分が自分をけん制する事にはなかなか気付けない。自分が何か表現を奪われたり、相手の表現を奪ったりするシチュエーションに埋没する癖があることにも気付いていった。

 わたしがわたしをけん制するのは、わたしの中にある副音声だ。いつの間にか住み着いている、自分が自分の意見を語ろうとするときに内面から当然のように沸いてくる、ルールのような形をした自戒のような形をした、いましめ。【そのいましめは、お前の発言はみんなの迷惑だ云々・・・というもの】

 わたしは、わたしたちという集団を頭一つ分抜け出すだけで、どれ程の責めを負うと感じてしまうのだろうか。自分がやっと紡いだそれぞれの文章も、みんな、という見えない集団を前にすると簡単に勢いを失ってしまう。そして又、他の施設出身者に対しても、わたしは無自覚にむき出しにしてしまうのだ。

 わたしたちという集団の中で、唯一絆を作ろうとしている事への自責の念のようなものが勝手に沸き起こる事も未整理だ。10年ほど前、絆づくりを始めた頃に「みんなのお姉さん的立場なのにみんなを裏切った事になるんじゃない?」と軽く他の人から一言言われただけで、絆づくりというものをあっさり諦めてしまえるほどの、集団の拘束力を勝手に感じた。

 施設育ちが自分の言葉を使って語るとき、どうしても同じキーワードを使う事が多い。そのキーワードの捉え方は個人個人違うのだが、時々自分や相手の抱えているものを浮き彫りにしてしまう。

 その全てをけん制や抑圧とリンクさせていたら、語りなど何もできなくなってしまう。わたしは集団から抜け出す為に努力した色々な事を、自分の内面で教条的支配的に潰そうとしている気がする。

 わたしは集団行動をとれない人間の後ろめたさに逃げ込みやすい。集団の中に埋没すればわたしはわたし達という顔のないキメラに戻る。

 その集団のキメラから、身体と顔を抜け出させている作業が、テキスト化なのではないかと思う。わたし達へ戻るのはそれほど簡単だ。わたしという者はどこにも存在しないのに、わたし達という有象無象は内面にあり続ける。

 養護施設出身者が自己を確立する前に、集団の中のわたし達という世界で目覚めた事は後の人生に大きく影響している。 
 
 

|  養護施設にいる間の問題 | 06時08分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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