PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

物心と記憶についての混在と違いについてのメモ

施設にいる間の問題 

物心に関する思い違い 

IMG_4566

 物心【ものごころ】というものは何だろうと改めて調べてみたがあまり詳しく書いてなかった。ただ、色々読んだ結果、混沌としていて判らなかった世界が判別つくようになる頃を指していうらしい。

 早い人で2才位~3才・4才くらいのようだ。

 わたしが一度目の養護施設にいたのは就学後【以前に一度目の施設から返事が来た】の7才の頃だそうなので、わたしは養護施設で物心ついたと感じていたが、実はそれ以前の7年あまり、生まれてから一度目の施設入所までの期間、全く記憶がないという事がわかった。【一度目の施設に居た期間は1年ほどだったそうだ】

 そして施設も脱走シーンと厳しいしつけ【左ききの矯正】しか実は覚えていない。左の指は周囲の大人から、ひどいしもやけだといわれていたが指の肉よりも指の骨がうまく動かないので謎のまま。

 施設で目覚めた事は、自分にとっては物心に相当する事だったが、7才ではすでに物心ついたとは言わないらしい事も夫との会話で理解した。夫は物心ついたのが2才だと言う。家庭で育った人は物心つく時期が早いのではないかと思った。

 それで、わたしが乳児院から施設に来たのでない事は施設長からの手紙で理解できたが、それ以前の家庭の記憶が全くないという状況にも着目すべきだったと思う。

 今まで、施設で物心ついたという事だけにこだわっていたので思考が限定されていたように思う。記憶の始まりが施設の脱走の場面からなので、自分の人生の始まりが施設から始まったのだとしか考えられなかった。

 おそらくそれ以前に家庭にいたが【たぶん】、自分のアイデンティティが全く育たない養育環境だったのでこういう世界観の捉え方になったのだろうと思う。

 今回考えてみてわかった事は、物心と記憶は似ているようで混在しやすいということだ。
 
 家庭での記憶の無さも相当な・・・

IMG_4565
 
 体験していないのだから当然乳児院の記憶がない事は理解できるが、家庭の記憶が全く一つとしてないまま就学の時期を迎えてしまう子どもは、現在の子どもの発達に関する問題としてはごく一般的にある事なのだろうか。自分の事とはいえ興味深い。又、乳児院の子ども達は乳児院で物心ついているのだろうか。

 人間として生まれてくれば、人間とふれあい、人間の体温に含まれる情報を読み取るのだとモノの本で読んだ事がある。しかし、わたしはどうも、人間により育てられたという感覚がわからない。だから実親とはいえ、一度目の施設から強制ひきとりをしたおばさんは、わたしにとっては初めて見る他人だった。

 親の方は自分が生んだ子を認識するのかもしれないが、子どもにとって、物心つく環境を与えもしない人間は生まれて初めて見る人間なのだ。それにしても7年の記憶の不在はけっこう長いように感じるが、そんなものだろうか。

 記憶の全く無い家庭と断片だけの記憶の養護施設とどっちが良いと比べたいのではない。ただ、家庭も施設もどっちもどっちならば、親が育てられない子どもたちが里親家庭への道も選択できるようにしてほしいと思った。育てもしない名だけの親、管理的な乳児院・養護施設しか知らない子たちが日本に3万人いるのだから。

 

|  養護施設にいる間の問題 | 04時06分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/612-8b9cb563

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。