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家庭では「印象に残らない子」なんていないとのだと知った

養護施設にいる間の問題

人間には人間の相手がいる事で表面化する問題などがある 






 我ながら今まで人から興味を持って見られる事もなければ、自分も相手を興味を持って見る事のない人生を歩いて来た事を、これまた他人事のように感じながら見ている部分がある事を知った。

 毎日のようにソウルメイトのシビアな観察眼でわたしの態度の感想を聞かされるし、わたしもムカッとした時はむちゃぶりで反論する。人生においてここまで他人からわたしを問題意識を持って見られた事はなかった。見られる事に羞恥心を覚えてカッとなる事もある。心の中を見られるのはわたしにとっては裸以上に裸になる気分なのだ。
 
 ただ、夫もソウルメイトも今となっては、わたしのプライベートな空間まで共有するわたし以外の他人。他人という言い方をすると【とくにMariaちゃんから・・・】怒られるほどの関係性。#わたしにとって他人とは、わたし個体以外の他の個体という意味でしかないが・・・。

 わたしから見たソウルメイトは、児童養護施設出身者が抱きやすい世界観、心の癖、行動について様々教えてくれる存在であり、わたしから見た夫は、家庭で育った者のごく一般的な逸脱しすぎない世界観の範囲を示してくれる存在。

 わたしは考えてみれば、施設全部育ちと、家庭全部育ちの両者を同時に眺めやる立場にいて、知らず知らず両者を何となく比較して考える材料にしている事にも気付いてきた・・・。

 この場合の比較とは、比較自体に目的を持たせているのではなく、いやでも両者【夫とソウルメイトたち】はわたしの関係性に近いため、目に入ってくるので、目の前で自然に展開される彼らの態度を通して、時々、すっぱりと判断が分かれる様子を見ていて、ビックリしているという状態なのだとしか言えない。

 わたしは大人になってからの過去探しで、自分が多くのよくある児童の1人として特に何の問題もなく集団生活に慣れ親しんで生きていたと評されると、無性にイライラとする。エゴイストだけど。

 夫は「まあ、要はあなたに興味ありませんでしたって事だと思うよ」とさらり。夫はこういう時、ソウルメイトとは違う視点を持っているように感じる。彼自身は彼の親の想いを十分受け取けながら成長したので、彼の表現の、施設職員の冷たい反応に対して思う事があるようだ。

 印象が薄い子ども達という不思議な問題

 施設の多くの印象に残らない子ども達はある意味優等生だった。その子が特別に優等生だったわけじゃなく、たんに問題児童ではないので、誰の記憶にも残っていないというだけの存在だった。

 Mariaと電話で話す時も・・・何もわたしが優等生なのじゃなく、たんに大人にとって印象が無かっただけであった事に考えが至り、これについては納得せざるを得なかった。

家庭では、特に主張せず静かに真面目に生きている子も、親からみればたった一人の子どもなのだ。地味な子もうるさい子も、それぞれに印象深いのだと思う。

 施設では、静かで真面目で問題を起こさない子ども達は印象に残らないので大人は結果としてその子らとは関わる目的が無い、その事をもって当人も「問題児じゃなかった」と感じる。しかし、養育という観点から、誰からも関わられなかった問題を、その静かで地味で印象の薄い子ども達は抱え続ける事に気付いている職員達はいない。

 どれほど静かで印象の薄い、真面目で地味で、特に主張したい事もないそんな子ども達であろうと、その小さき者たちを見つめる、心が整理されている静かな大人のまなざしに出会えたら、自分が自分である事について考えるキッカケをつかめたかも知れない。

 

|  養護施設にいる間の問題 | 11時38分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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