2008年07月10日
虐待を受けていない事は本来なら喜ばしいことだった筈
後ろめたさの元
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| 送信者 Lei Pictures |
施設にいた頃の断片的な記憶の一つに、家庭で性的虐待を受けて入所してくる予定の女の子の話を、男性職員から聞かされる場面がある。自分はおそらく小学生。
男性職員は恐らく、ふだんから家庭の虐待に怒りを持ち、虐待を受けた子の傷にとても強く心を揺さぶられていたのだと思う。だから、その流れで、虐待を受けてないわたしに、時々怒りを吐き出したのだと解釈することにした。あの断片的記憶は、他に理由が思いつかない。
虐待を受けてない事の捉え方
今わたしは、虐待を受けてない事は本来は喜ばしい筈だったという認識を持とうとしている。施設で身に付いた後ろめたさは、施設職員や家庭で傷ついた上級生の吐き出しの影響によるものだと思う事にした。
何故なら、虐待を受けていない事で責められる、軽んじられる、吐き出し相手にされるような、今もくりかえされる重い気分は、家庭で虐待を受けた子が大勢入ってくる施設でしか身に付かない気がするから。
施設の中のマイノリティ
乳児院からの子、幼い頃より育児放棄された子たちも、主に要養護児童として養護施設に措置されるが、児童養護施設の職員が積極的に関わりたい子ども達は「傷ついた子ども達」であって「捨てられた子、育児放棄された子ども達」ではないと、あの頃の気分に照らし合わせると、納得できる。
そして職員は「傷つけられても愛着を持っている子」に哀しみを覚え、共感したいのであって、そんな事は一切関係なく「手前勝手に生きる無愛着な子」にはむしろ、激しい怒りと拒否の感情がわいてくるのではないかと感じる。
※専門的知識はないので勝手な推測です。
養護施設を無くせというのではなく
わたしは家庭虐待の子が保護される場所として養護施設がある事について文句を言うつもりはない。ただ、家庭虐待の子と共に、乳児院からの子や育児放棄の子が一緒に住む環境に納得ができないのだ。
あの頃、言葉をうまく紡げなかったが、要養護児童に必要なのは「親」であって「職員」ではないと感じていた。でも「施設にいられるだけ感謝しなくちゃいけない」と思い込んでいて、本来はどういう環境で育つ事が望ましいかなんて考えらなかった。
だから過去のAさんとのやり取りは再演かも
わたしは、今までわたしのブログに来ては去っていった施設体験者の女性達や、他の人がわたしに怒りを向けてくるのを、心のどこかでシャワーのように受け止めるような心理を持っていた。責められるほどに、自分に相応しい気がしてたし、虐待を受けてないくせに!と罵られると安心していた。
今は強くなり、反論できるようになったが、ブログを始めたばかりの頃は特に「虐待を受けてない事を責められるワタシ」という役柄に没頭し、彼らと本気で戦おうとしてはいなかった。結果的にWolfやMariaに多大な迷惑を掛けてしまった経緯がある。
だから先日、某里親さんの態度も、職員の姿と重なったのだと思う。「傷ついた子が不良少年、虞犯少年と呼ばれる事を怒る」彼の様子が、あの時代の、上級生をかばう職員に重なったのではないかと思っている。
まとめ
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| 送信者 Lei Pictures |
家庭で傷ついた子の問題がメインテーマとなる養護施設では、反対に、虐待を受けてない事が責められるべき事だった、という感覚を、マイノリティ児童たちにもたらす場合があるということを、何となく言っておこうと思う。
補足説明
この親記事では「措置理由として家庭虐待を受けていない為、虐待を受けてない事で責められる」という視点で語っています。
そのため、施設の厳しいルールとか、施設で長期育つ事じたい虐待だとか、施設で当たり前だった職員からの体罰などについては、あえて触れておりません。
話をシンプルにしたいので、措置理由により、責められやすい子ども達がいるという話に特化しています。念のため。
| 養護施設にいる間の問題 | 00:47 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑




















Maria、
被虐待児や虞犯少年たちから、いわば「お仲間」みたいに感じで、あたしへの攻撃はないのね。
わたしから見たら、やりたい事をやる被虐待児や虞犯とあなたがお仲間だとは思えない。
わたしは中途半端なところがある。虐待を受けたわけでないし、乳児院からいたわけでない施設長期入所者だ。その上、断片的記憶しかないから、自分がどうなっているのかもわからない。
ほんと、他の施設育ちからみても怒りを覚えるところがあるのだと思う。でもがんばろうと思うけど。
| Lei@整理しなくちゃ | 2008/07/10 18:44 | URL | ≫ EDIT