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ポニョ雑感:過去の自分が今の自分をけん制する時

メンタル整理:雑感

 ポニョの行動を責める意識

 「わたしはポニョのように誰かを求めて驀進した事がない」と表現する時、内心に沸いてくる『わたしは、あの子のように周囲に迷惑を掛けてまで誰かを追うような人間ではありません!』と、冷ややかに思考するところがある。この心の癖が結局自分の絆づくりの邪魔をしているのは言うまでもないが・・・。

 そのような心情を持ちながらこの映画を観ると最後まで視点の軸が家庭で育った人や家庭を知る施設出身者とは違うものとなってしまう。愛着を知る人が観たなら感動を呼ぶシーンも、わたしにははた迷惑でしかなかった。

 崖の上のポニョを観ながら、ポニョを批判するような心情を止める事が難しい。ただ・・・もしポニョが人間の子どもだとしたら、里子に迎えられるにはかなり大きくなってしまった子どもだ。

 だから本当はポニョはもっと稚魚の頃から人間になり、そーすけの家に行けてたら、そーすけの家にいるのが当たり前になっていたら、あんなにひどい災害を起こしてまで後追いせずにすんだかもしれないと思った。ポニョは乳児院から養護施設へ行った後の子どものように見えた。乳児院で誰もいない子は養護施設に措置変更になって誰かを追いはしないと感じているので、批判やけん制の気持ちを無自覚に持ちながら映画を鑑賞してしまった。

 けん制は当然自分にも向かう

 施設を出ても自分の中に集団同士で縛る暗黙のルールは残り続けている。今回の映画鑑賞を通して、わたしは愛着のある子、愛着を育てる渦中にある子への冷たい視線を内心に持っている事実を知った。

 わたしが絆づくりが難しい事のひとつに、過去の自分が今の自分をけん制する為でもある。養護施設出身者であるわたしは他の施設出身者が後追いする事をもをけん制してしまう。

 大人になってまで他人をけん制する自分の意識を変えなくてはほんとの意味で里親制度を応援しているとはいえないだろう。

 そういえば、知り合いの施設出身者の1人が結婚しない理由として「自分の考えやリズムを壊されるのがいや」と言っていた。その人も無愛着に見える。愛着のない世界で生きてきたからだろうか、「私は誰からも干渉されずに自己責任で生きていられればいいの」と言っていた。

 あの頃はわからなかったけど、今のわたしはこの言葉から、彼女は誰からも育てられた事がなく誰からも思われた事がなく勝手に生きて自己責任で始末をつけようとするんだなと思えた。わたしは彼女より無自覚な分、始末に負えないところがあるが・・・。

 ポニョに関する雑感でした。
 

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