2008年08月07日
テキストの温度:「無いものをあげつらう所からしか」出発できない
うそつきなコトバ使い
わたしは施設に居た頃、感謝の言葉を書かせたら詐欺のように【わたしの文章=詐欺と感じる事が多い】相手を感動させていたらしい。小学生の頃のケーキのお礼状の文章が忘れられなくて、大人になって会おうとしてくれたおばさんもいた。ボランティアの優しいおばさんだった。
でもその話を聞いて、子ども時代の自分の文章に感動してくれた事に対して嘘をついている気分になった。何故なら、小学生でも部屋に缶詰になりお礼状を書かされれば名文の1つもも浮かんでくるようになってしまう。施設職員はそんな事は意に介さず「お前の文はすごいな」と言う・・・。
その事をおばさんは知らなかった。お礼状の文章をわたしの本心だと思ってくれていた。わたしには顔の見えないおばさんに対して何の気持ちも浮かばなかったのに・・・。でも劇の中の一こまのように、愛され役になりきる事はできた。だから原稿用紙を前にするとスイッチが入ってしまった。
あの頃は誰も顔が浮かばなくても、全国の優しいみなさん相手に対して文章がスラスラと書けた。誰かがいつもわたし達の事を思って下さる世界を頭の中で想像しようと努力していた。
具体的に誰がわたし達の事を思ってくれるか見えなくても気にしなかった。具体性のない抽象的な世界中の優しい人は数え切れないほど居たから、一生掛けてもお礼状が間に合わなかった。
抽象的な世界の劇中劇
養護施設にいると、観念的なものが先にあり、具体的なものの正体が見えなかった。誰がわたし達を応援しているかをどうやって想像できるというのだろうか。でも、それでも想像していた、想像の元データはわたしの場合はほとんどが図書室の本の中に生きる子ども達だった。ロシア文学とドイツ文学ばかりの施設の図書室にはさらに英語の絵本も多かった。世界中から絵本を寄贈されていいた。
顔が見えなくても顔が見えるかのように振舞うなんて、今思うと劇中劇のような生活だった。居ないのに居ると表現させられ続けているといつの間にか自分には世界中のわたし達を心配している優しい人々がいるかのように思えてくる【ふしぎ】。顔が浮かばなくても絵本の中の顔で代用している。そしてなんとなく施設時代を乗り切ってしまった。
無いモノは無い・・・
無いモノを無いと言える今は、無いモノをあげつらう所から出発したいと思っている。わたしのブログの文章は温かさのカケラもない。でもそれでいいと思っている。
ないものをあると思っている限り、施設の中の世界観から抜けられない。しかし無いままで人生を終わらせたいわけではない。いつか体温が感じられるようになりたいので、今は、ウィルスも生息できない永久凍土の氷を表現したいと思っている。
わたしは何でも耳触りの良い文章を吐き出してた昔よりは、今の方が自分に嘘をついていないと思う。
ソウルメイトは具体的な相手
「みんなって誰よ」とMaria。
「YouKnow、 あたしMariaがあなたLeiちゃんと絆づくりしてるの、他の人じゃないの」と。
できるなら【汗】抽象世界の方が気楽だから、そっち方向へ逃げようとする・・・。でもその度に喧嘩。彼女はわたしよりも、わたし達施設全部育ちが置かれていた環境を知っているから、わたしが逃げ出そうとする気持ちもお見通し。
Wolfとガチンコでやりあう時も、Mariaはわたしの無茶ぶりを丁寧に説明してくれる。するとだんだん申し訳なくなってくる。地道な絆づくりの中で気付いた事は、わたしはやはり無愛着の心情をテキスト化したいという事だった。
テキスト化できないときはリアル世界で雪女ばりの冷たい息を2人に吹きかけてしまうから。【ファイヤードラゴンの筈なのに・・・】わたしが書いている間は、2人を傷つけるパーセンテージがいくらか低められるのだと信じて?いる。
| 養護施設にいる間の問題 | 10:01 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑


















育ちながら学べなかった宿題
Maria、宿題がいっぱいで、どれから手をつけていいか判らないから、その時に手に当たったものを引っ張り出して勉強している始末。
育ちながら学べば時間も十分あった筈なのに、大人になってから夏休みの宿題に追われるみたいに勉強しているから・・・。子ども時代にやっておけばよかった事ばかりが、今目の前の机に積み上げられているよ・・・。
| Lei@Mariaへ | 2008/08/10 07:54 | URL | ≫ EDIT