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良いボンドも悪いボンドも判断できない脳と愛着

メンタル脳整理

 「ぬくもりに質は問わない世界」へのボンド

 わたしの場合は気付いたらぬくもりがあれば良かったというカンジしか残っていないが、他の種類の人は、ぬくもりに良いぬくもりと悪いぬくもりがあると、その質を問うていた。

 「虐待を受けた人」は何故悪い相手に何故固執するのかと不思議に思えてならなかった。わたしの場合は人間に悪い関わりも良い関わりもないと思っていた。その場に居た人がぬくもりの相手だと思っていた。そしてその相手は長く付き合う必要はなかった。

 しかしわたしもまた「ぬくもりに質は問わないという世界観にボンドしている」のではないか?と複雑な事を考えている・・・。

 ただわたしが固執するのは「世界観であり固有の人ではない」

 わたしは、対象者のいる【質はともかかく】家庭の被虐待児とは違うと判断した。だから家庭で虐待を受けた人が「Leiさんと同じです」と言うと、ストップをかけたくなる。誰もいないという事は誰でもいいという事なのだ。

 しかしわたしの場合は「世界観そのものへのボンド」というものは起こり得るかもしれない・・・人の居ない施設育ちには。人ではなく世界観から抜け出せない・・・。

 短期記憶の範囲内でしか想像できない

 わたしから見て謎だらけの「虐待を受けても尚その相手を求める気持ちを持つ」子ども達の愛着の強さ。被虐待児が虐待する親を求める為、親から捨てられたわたしのような者も実親神話に付き合わされたという気分があるので、どうしても彼らの思考が気になった。

 わたしはやはり、新生児の頃や乳幼児の頃、実親のそばに居なかったのだという判断をした。どうやら乳児院にいたのではないというところまでは判っているが、全く別の集団世界にいたのだと思う。自分の無愛着ぶりは、ある里親さんの仮診断?では乳児院で数年過ごして委託された乳幼児に似ているパターンを持っていると言われた。

 そのような個人的事情を抱えた無愛着児なりの考え・・・。

 数年前までは、自分は長く付き合える人はいないという前提で生きていた。今思うと自分がそう相手を仕向けている面があったのに、短いスパンでしか人と関わる事がないと思っていた。

 愛着関係というものを体験した事がないので傷つき感がなかった。傷つき感が無い為、平気で人を傷つけてしまっていた。良い関わりを求めながら、長い期間固定された相手と関わりあう人の気持ちを知らなかったので、わたしは、どうせすぐに終わる関係なのだからという発想で、人とその刹那だけ、向き合った気分で生きていた。
 
 固定された相手が出来なければ、その態度はずっと続いていただろうと思う・・・。

| ├ メンタル整理 | 10時11分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

 ごめんなさい、繋げました。

 なぜ電話を切っているの?

 ちょっと色々考えたんだ・・・今日会いに行くよ。
 電話じゃ足りないんだ。Maria・・・会いに行く。

| Lei@ごめんなさい | 2008/08/12 04:59 | URL | ≫ EDIT

なぜ電話を切っているの?

| Maria | 2008/08/11 13:43 | URL | ≫ EDIT














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