ふるさと機能:家族水入らず時間を過ごす事は非日常ではない
ふるさと機能
お盆の後、夫はもう一度実家に帰ってきた。戻った彼に話を聞くと、何か特別なイベントをしたわけではなく、親子・兄弟だけでささやかな食事会をしたそうだ。でも夫は何か満たされたような雰囲気を伴っていた。
思えばわたしが嫁に来てから、気を使っていたのだろう。わたしが思う以上に、彼らは彼らだけの時間を過ごしたいと願っていた事を知った。

わたしは、彼には帰るべき場所があるのだなあと漠然と思えて少し安心した。わたしの周りには帰る場所のない人が多かったので、彼のように当然帰る場所がある人を見ると、少し安心する・・・。
でも何か少し疲れた時に、ふらりと戻る場所があるなんてすごいと思う。特別な事が無くても、何となく顔を見に帰る相手がいるとはすごいなあと思う。
施設は一旦出たら帰る場所ではない。養護施設に「ふるさと機能」をオプションで付けるとかいう発想があるらしいけれど、乳児院の「限りなく家庭に近づける処遇」とあまり変わらない。たとえどんな機能を付けても施設は施設。施設以外に帰る場所のある子が、ちょっと寄り道して施設に顔を出す程度の存在。
ひとりで立ち続けること
結婚したけれど自分の家庭を手に入れたとは思わない。その部分はいつも変わらない。これから先も一人で立つ気持ちを持ち続けなくては・・・と思っている。
ただ、大人でも疲れる時はある。そんな夫が精神的に頼るのは最後はやはり彼自身を守り育んだ家庭・家族なのだと改めて知った。
彼がごく当然として持っている色々なものは家庭的処遇などではなく、家庭そのもの。わたしにとっては遠いものが、日常の一こまとなるように、絆のない子ども達を里親家庭へと願ってしまう瞬間だ。
ひとりで立ち続けることも生きることも、つぶれることも自己責任だとは自覚しているけれど、時々、違う人生だったなら、もう少し違う思考を持てたのかもしれないと思ってしまう。

家庭の人には「溜め」がある・・・ごく自然にそれが人生のそばにあり続ける・・・。家庭というのは、あるだけで、まずはすごい。その質を問うのは施設全部育ちの自分にとってはまだまだ次の話だ。
疲れたら、放浪の旅をしてこようっと。
わたしは、走り続けなくちゃ生きていられないから・・・。
| このブログについて | 17時30分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑
























カタコンベ
Maria、
カタコンベ、トリノ、
行けたらヴァチカン
レスピーギのローマの松っていう曲が今、頭の中を
流れているよ・・・。
これらは英語圏というよりかは、
Chao!! な世界だなあ。
| Lei@行きたいところ | 2008/08/25 06:30 | URL | ≫ EDIT