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「私一人を見てくれる人の必要性に気付けない集団主義」という感覚2

養護施設に居る間の問題

 追記

 施設の子ども達である自分を誇りに思う事と不思議な高揚感




 
 

  わたしは、集団の中の溶けた物質のように集団化していたが集団に愛着を持っていたのでも帰属意識を持っていたのでもない。ただ集団の溶けた物質のように生きていただけだ。その集団に誇りを持っていたわけでもなく、みんなでオウム返しに唱えていただけ。



 2つの引用文ののうち前者は、今では自分が育った筈の施設に何の愛着もない事に気付いたのと、帰属意識というものに対して、今思えば子ども達みんなで唱えていた言葉の数々は、あの全員で妙に高揚していた気分と連動していた事に気付いたから。

 「世間の子ども達に負けて無いぞ」
 「施設の子ども達には誇りがあるぞ」

 と思わしめる対外的なイベントを何度も重ねた時などの心情のカケラなのだと気付いた。普段の集団生活の中でのありふれた発意高揚が今も根深く自分の心理を刺激していると感じている。もう集団は何処にもないのに・・・。

 今思うと親から捨てられ施設で集団生活をしている事を誇りとする何の根拠もなく、さらに、実は「恵まれない施設の子ども達に勝手にパワーを貰った人々」を前にして、まるで道化師のように様々なイベントに呼ばれ、記者が来て、沢山の何かを押し付けられ、奪われていっただけであったと感じている。今は漠然と搾取されていた事に気付きつつある・・・。



 だから今でも、耳馴染んだ「施設で育って誇りに思う」と言い切る人を見ると、何故誇りに思わねばならなかったんだろう?と、自分が過去に同じ事を唱えていた事を思い出す・・・。



 後者の引用文は、施設で育っても家庭の子には負けない根性がある、誰もいないかもしれないが【家庭の子にはいる事に気付き始めた頃】自分は親のない事を言い訳にせずに生きてきた。

 と見当違いの自負をしていた自分の集団生活万歳ぶりに気付き、何故、誰に、自分が施設を出て今も一人で生きねばならない事を誇りに思わねばならないのか、施設はわたしを育てた担当じゃなかったとはっきり言っているのに、何故わたしは施設で育つ事を誇りにするのか。

 と・・・自分の心情ながら理解する事に困難を覚えたから。





 今は、施設の子関連の本の題名を見ると、となりに置いてある里親本との題名の「温度の違い」を意識してしまう。 
 
 「ぬくもり、期待、繋がり、出会い」というキーワードにあふれた里親関連の本と「ちくしょう魂、泣くもんか、自立【忘れた】」などのキーワードに追い立てられる施設関連の本を見比べると、自分が何に今も追い立てられているのか、漠然と見えてくるようになった。

 もし頑張れなくなった時に迎えてくれる人が誰もいない事に、気付いていなかった。

 ○○職員は言った。

 「Lei、オマエ知ってるか、子どもには殴られる権利があるんだぞ!」と夫婦で施設へ行った時に言われた。そしてついでに言ったのは「オマエな、この学園は下手な家庭には負けねえぞ」と。【聖職者なのに非常に口が悪い?】

 思えば耳タコだったんだろうと思う。ずっと子ども達は、家庭以上の施設であるべく、職員から高揚感を刺激されて生きていたような気がするから。わたしは自分のいた施設が集団の素晴らしさを地域に示したとはとうてい思えない、実際は虞犯少年が盗みを働いたり、いじめをしたり、地域との付き合いもなかった。

 施設は施設同士でスポーツ大会などを通して固まり、地域のイベントに参加せず、施設の子どもたちとして、何かをお披露目させられ続けてきた。それが集団を生かした?一糸乱れぬダンスやお芝居だと思うが、地域の人々はそんな、地域から浮いた施設の子ども集団を冷めた目で見ていた事だろうと、思う。

|  養護施設にいる間の問題 | 03時20分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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