PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

「虐待されても愛着を持つ相手が居る」子どもの心

気になる記事のCLIP2008

 虐待を耐えさせるもの



6歳、捨てられてもたたかれても母をかばった 埼玉

 埼玉県三郷市の民家で3月、幼児3人が置き去りにされ、島村健太ちゃん(当時2)が死亡、双子の長女が負傷した事件で、保護責任者遺棄致死傷の罪に問われた母親の無職島村恵美被告(30)=同市早稲田2丁目=の初公判が20日、さいたま地裁であり、島村被告は起訴事実を大筋で認めた。動機については「育児の煩わしさから逃れ、交際男性との同棲(どうせい)生活を送るため」と指摘した検察側の主張に対し、「育児放棄になりやすい状況だった」とし、複合的な要因によると主張した



 捨てられたという表現

 この子も児童養護施設へ保護されるのだろうと思いながら読んだ。前回の知的障害者暴行事件の13才少年も、この6歳の少年も児童養護施設へ送致、措置されるだろう。ほんとうに養護施設という場所は色んなケースが集まる場所だとつくづく思った。
 
 ただ、「捨てられる事」と「虐待を受ける事」はわたしの場合は区別した方が心理的に整理しやすい。何故なら虐待を受けて施設へ入所してきた子の中には、他の、捨てられて入所している子の捨てられっぷりを間のあたりにして、自信を無くしていた筈が、だんだん自信を取り戻し・・・
 
 「オレは親からやられたかもしれない、でも捨てられたって訳じゃないからな」と言う様になってくる。そしてやがて家庭へ復帰していく。そういう心理的変化、力の取り戻し方をしている子を幾人も見送ってきた気がする・・・。

 この事件を読んで、この子どもはひどい事をした親をものすごくかばっている。わたしは子どもが親をかばう様子を知らなかったので、虐待されても親を求める子どもの意味が理解できなかった。この事件で把握した。

 そうか、質はともかくとして「心に大人が居る」という事はこういう事なんだと・・・。親と離れたくないからかばうんだ・・・と、だからこそ子どもの姿を切なく哀しいと周囲の大人は思うのかと・・・。

 でもこの新聞記事のタイトルで使われている「捨てられても~」という表現は読んでいてしっくり来ない。これは育児放棄・ネグレクトであり、乳児院へ捨てるような遺棄とは違うという印象を持った。この子は少なくとも親に対して愛着が固定されている。

 わたしは自分が無機質なロボットのような存在のようだと他人から意地悪く言われてきたけれど、こういう部分が全くないからと知った。

 だからわたしは「オレは親から捨てられたようなものだ」と訴える被虐待児の言葉に出会うと、う~んと解明不能状況に陥るのだ。

「家庭の子の捨てられたようなもの」というのは「裏切られ感」なのではないだろうか。でも乳児の頃や物心付く前に乳児院や養護施設へ遺棄された子、育児放棄された子の持つ捨てられた現実とは全然違う種類のものではないかと考えている。

 捨てられた子ども達は捨てられた気分を持っていない。特定の大人を持った事がない為、捨てられる事への不安を体験した事がない。だから、捨てられ感をすでに持っている家庭育ちの子は、虐待されたとは思うが捨てられたのとは違うと思った。

| 気になる記事のCLIP2008 | 17時10分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/704-459b67e8

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。