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養護施設は貧困ビジネス たぶん、職員の人数を増やすとかそのような問題ではないのだ、捨てられた子ども達にとっては。生まれたことを祝福されずに、子ども時代の全てを施設で育つ事で、わたしの場合は卒園の頃に、社会から1つの答えをもらったような気分だった。
施設という場所は子どもにとっては「引き取り手が現れない場合」は出られない場所である。自ら施設を逃げ出したなら脱走犯あつかいだ。そのような場所である事を施設しか知らなくても解っている。
今日STOPで、
体育会系の厳しい先生でしたが、とても良く子供の話を聞いてくれました。
私が中学の時タバコを吸ったり万引きしたりした時、本気で怒ってくれました。 と言ってる人がいた。
まあよくある卒園生特有の発言なのだけれど、このような上級生のいる生活環境こそ、
「環境上、養護を要する(家庭環境が悪く、 家庭での生活が困難)」に等しい。この文章のように家庭では保護対象なのに、施設に一度入ったら、それ以上はどれ程環境が悪くとも保護されないのだ。しかもこんな上級生が一人だけではない、グループで施設内を闊歩している。親から捨てられた幼児たちは、この環境で生きている。
職員は仕事だから虞犯行動をする少年たちを放ってはおけない。施設の責任問題になるし監督責任を問われる。ただそれだけのことだけど、この人にとっては関わってくれた事になるのだろう。
虞犯少年にとっては十分向かい合ってくれたと言える施設職員の対応も、要養護児童にとっては答えにならない。親から捨てられ、施設で生きざるを得ないことに対してのたった一つの明確な答えは、1つの家庭に迎えられることしかないからだ。
いくら施設が改善されて、より家庭的処遇が進んでも、要養護児童にとっては意味がない。捨てられた事の解決になっていないから。
さらに社会に出てからが又、苦難が待っている。本人は気付かないが・・・。乳児院・児童養護施設はわたしから見ると捨てられた子どもたちを生産し続ける貧困ビジネスのようだ。
捨てられた子の里親家庭へ行く道を険しくし、施設から出られないようにしておいて、措置が切れたら自立だと急かして社会へ放り出す。学歴が低いので肉体的に長続きしない現場作業が多く、身体を壊しても肉親はおろか、親戚縁者もいないので、身体を直す場所も確保できない。又若いからという理由で生活保護も受けられない場合が多い。
結婚の差別もある。結婚により今より安定した生活を得ようとしても相手の親から猛反対に合いやすい。たとえ家庭を持っても子育てを知らずに又、乳児院へ子を入れる。この延々と続く切れ目のない一人だけの貧困リサイクルについて、さすがに気付かないわけにいかない。
また「全ての施設育ちがそうではない」という反論されそうだが、捨てられた子と家庭虐待の子の持つ課題が違うとだけ書いておく。捨てられた子たちはたとえ施設で虐待を受けても、その前に捨てられ切っている問題があることを語らないとどうにもならない。
養護施設で全部育った事のリスクとは何か、本来ならケアが必要であるという認識をきちんと持たなければ、自分の子を乳児院・養護施設へ入れてしまう事になる。でもそれはオール施設育ちの努力を超えた社会的養護の問題でもある。それをオール施設育ちが語ると「自己責任」という言葉で反撃され、けん制される。でもそれは社会的養護のシステムの問題を個人の問題へ摩り替えているだけだ。
だからこそ、乳児院の子を里親家庭へと願っている。親が育てられない子どもたちが絆の無いまま生きずにすむように・・・と。
乳児院・養護施設は貧困ビジネス
Leiちゃんの記事を読んで、以前読んだ「貧困襲来」の内容を思いだし、思わず書いちゃったわ。
トラバしたから読んでね。
| Maria | 2008/09/04 21:28 | URL | ≫ EDIT