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訂正文:全ての子が「捨てられたのではない」養護施設の出身者

養護施設を出てからの「問題」?

「頭がお花畑」の意味が今ごろになって届いた

送信者 Lei Pictures


 「わたし達には誰もいなけれど、これからも他の子が絆を持てるように応援しよう」と10年程前、他の施設育ちの人に言った。すると彼女から「レイさんの頭にはお花畑が広がってるよ」と返された。あまりの名文なので、今も時々思い出してしまう。

 あれから10年経ち、確かにわたしの脳にはお花畑が広がっていたのかもしれないと知りつつある・・・。わたしは「自分には誰も居なくても絆を作る人たちを、外から応援しようね」と言っていた。そんな言葉を聞いて「別に誰も居ないわけじゃなく捨てられたのでもない施設出身者」は何と思っただろう。

 わたしは施設の子には誰もが誰もいないのだと勝手に勘違いしていた。全ての子が物心付いたら児童養護施設にいて、気付いたら卒園し社会の道端に立っていた。のだと思っていた。

 でもそれは誤解、勘違いだとわかった。

「捨てられてない子ども達」

 養護施設で育った人の中には「捨てられたという表現に傷ついた」と言っている人もいて、わたしは内心「捨てられた事実を認めたくないだけかなあ」と思っていた。だからこちらとしてもムキになって、養護施設の子には誰も絆がないという事の問題を語ってきた。

 でも、虐待で措置されてきた子は親から虐待をされたとはいえ、捨てられて入所したのでは無い。児童相談所の介入によって、親子が引き離された事実はあってとしても、捨てられたのではないという強い感覚を持っているのだろう。
 
 それどころか、あの6歳の男の子もそうだけれど、家庭虐待からの措置児童は親から捨てられないように虐待に耐えてきたのだと思う。そのような子にとっては、わたしがサラッと「養護施設の捨てられた子ども達」という表現を使うのを見ると傷ついてしまうと気付いた。

 昔は、誰にも誰も居ない事で子ども集団のバランスを保っていたと書いていたけれど、もしかしたら、そんな心理に陥っていたのは自分だけかもしれない。問題のある親とはいえ存在し、4年も経てば施設を出られる子たちにとっては「職員が向かい合ってくれる事」こそが必要なのだと思った。短期決戦なのかもしれない、特に虞犯の少年にとっては・・・。

 だから他の施設出身者当事者団体は「乳児院・養護施設で全部育つ子どもの問題」は歯牙にもかけず、施設が良くなり、職員が向き合ってくれる事にコダワリ続けるのだと・・・。
 
捨てられた、忘れられた子ども達の為に
 
 全ての子が施設に入れられっぱなしの捨てられた子ではないという事を整理作業により実感中・・・。そういえば入所児童の平均入所年数は4.4年だと資料には書いてあったっけ。

 わたしやMariaのように施設で子ども時代の全てを育つ事を問題としている施設育ちは大変マイノリティであり、社会に出ても寄る辺なき身の上の子は更に絞り込まれる。という事実を踏まえて、これからも発信を続けようと思う。

送信者 Lei Pictures


 忘れられてしまった子ども達を、わたし達が忘れない為にMariaと共に発信していく。

|  養護施設を出てからの問題 | 05時52分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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