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何故無愛着者は孤独に気付かず生きるのか

メンタル整理

 考えている・・・

 無愛着者は子どもの頃から唯我独尊の思考で生きてきた。依存対象がいなければ自分で生き始めるしかない。しかし子どもなので無力であるのも確か。だからその環境に応じた生き方をする。
 
 これは親のツールのように扱われてしまった家庭の子の「親から捨てられない為にいい子を演じる」というのとは明らかに性質が違うと自分自身を省みて思う。生まれた時から集団の子どもを見ていると相対的に自分を子どもとは思えないのだ。【学校のクラスの中にいると、自分を殊更子どもと感じない心理と似ている?】

 ただその環境に従っているだけなのだ。施設の集団生活に従うのもトップダウンの命令が下されるので命令に従っているだけ。その施設から捨てられないようにいい子を演じるというのも変な話だし。

 無愛着者は生まれた時には集団生活の中にいたので、目に映る人間が多すぎて、あまり一人である自分を意識する事はない。でも、一人である事を意識できないが為に、実は一人であるという事に気付かない。

 これが後々の生き難さにも繋がる。わたしは家庭で育った友人たちを幾人か怒らせて絶交を突きつけられてきた。でも実はわたしにとっては、絶交を宣言されてもピンとこなかった。わたしにとってその人は特別な人であった事などなかったのかもしれない・・・。

 でも家庭の人たちにとっては、この「あんたとは絶交するわ!」が特別な響きを持っていたのかなあと今頃になって、ほのかに気付きはじめた。

 ちなみに養護施設では「俺たち仲間だよな、俺たち友達だよな」と言う場合、悪い事をする誘いなのだけど。わたし自身トモダチという言葉に信頼を置いてはいない。
 
 そんな事を繰り返してきた人間として思う事は、誰かの特別な自分になった事が一度もないという事を重大な損失と思わなくてはならないという事に気付きつつある。でもすでに無愛着になってしまった児童養護施設全部育ちはどうしたらいいのか、どうしたら絆やぬくもり、特別な関係、大事な人、場所、記憶を構築できるのだろう。

 だから自分は「そのままの自分でいい筈がない」という事なのだ。ただ、良くないと知っていても具体的なケア体制もないし、心の構築の仕方もわからない。養護施設全部育ちが家庭の人の為のメンタル本を読んでもピンとこないのは、そのような理由なのだ。

 わたしはこれからも無愛着に生きていくだろう。でも、小さな子ども達が無愛着な生き方をするなら、心が痛く感じるような気がする。誰からも認知されない子どもたちが集まる場所は一種異様な場所だ・・・。
 

| ├ メンタル整理 | 15時34分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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