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施設脳:その前提に集団世界の群れを意識させる「向かい合い」

養護施設にいる間の問題
 
 わたしは保母のようだと言われている

 わたしは保母の態度をコピーしているという指摘を、ソウルメイトをはじめ、施設を体験した人々などから受けて来たので、この記事はその事について考える前哨として書くつもり。自己分析。

 家庭で使用されている「向き合う」の役割【想像】

 夫を育てた姑の態度などを通して自分なりに考えた事は、家庭での親と子どもとは特定の関わりであるのが前提だけど、さらにもっと深い意味で、その子が成長をするに従って抱え始めた問題そのものに、真正面から親として対峙するという意味として「向き合う」という言葉が使われているように見える。

 施設で使用されている「向き合う」の役割【感覚】

 前回、Mariaのレスで「あたしが攻撃を受けたら激怒してくれたらうれしいの」とあった。非常に印象的な言葉だけど、何故か心の何処かでわたしは怖気づいていた。

 そのレスを読んだ瞬間の自分の脳みそは、彼女だけを特別扱いしても良いものだろうか?と勝手に悩み始めた。この時点でわたしの脳はすでオートラン【自動運転】状態なのだ。

 わたしにとってMariaは特別な相手であるにも関わらず、わたしの脳は勝手に自分の慣れている世界観からデータを引き出そうとするし、心理もそれに応じた対応をしようとする。
 
 この時点でわたしは「Mariaと向き合わなくちゃいけない」と思ってしまった。しかしこの「向き合わなくちゃいけない」と考えるその前提には「Mariaを集団の中の一人として向かい合う」というレベルでしかなく、とても特別なわたしの相手という認識からは遠すぎた。

 だからわたしはいつも「双方の言い分を・・・」などと遠い言葉を使い、温度のない対応をし、守られた気持ち、特別な存在であるという気持ちを、抱かせないところがあるのだ。

 範囲設定内の「向かい合い」

 わたしは過去から持ち越している、わたしの一見大人的対応、一見優しく見える、一見公平に見える、という態度は、結局は、特別な相手にとっては制限内行動でしか対処出来ない冷たい人となってしまう。

 施設時代、保母の真似事をしていた時、乳児院から来た幼児さんたちがあまりに自己主張をしなかったので、保母の真似事をしていたわたしにとっては、とてもやりやすかったのだと思う。「今だけなら【この範囲設定の中でなら】、多少関わってあげてもいいわよ」と保母からアドバイスを受けた事があるが、でもわたしは何も反応出来なかった。

 それに幼児さんたちも、別れるまでの範囲設定【転勤とか上級生の卒園とか】の関わりの中で、期限付きの関わりなど、邪魔なだけであり意味を成さないと、心の中【言語化できず】で思っていた。

 そして今、わたしは保母的な向き合うレベルではMariaが納得しない事を、過去の養育環境を整理している今では判っている。

 彼女だって過去を自分一人で整理してきた人なので、すでに子ども達には何が必要な事か判っているので、こうして時々言葉にして、わたしの思考を促す。わたしはいつもいい意味で挑戦状を突きつけられている気分。

 ・・・ところで、

 わたしは、「養護施設脳【そんなもんある?】」を持っているような気がしてきた。施設育ちの心理描写だけでなく、その心理を方向付けする脳の働きがあり、客観的には、少し変わっている人と言われる要因・・・心が動く前に、脳がOSのように動き始め、様々なソフトウエアが動いてやっと、外からも判る動きをする。しかしその命令系統は脳が行っている・・・。うぅぅ。

 でもね、こういう施設の脳みそのわたしからは、親との問題を抱えた子【某ひなたさんなど・・・】も同じように「向かい合う」というキーワードを使うものだから、集団生活しか知らないこども達にとっては、どういう意味かを改めて整理しないと、何でも一緒になってしまうという危機感を持っている。

 引き続き、考えるつもり。

|  養護施設にいる間の問題 | 05時43分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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