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託す:人類は滅亡してもうちの子孫は進化して、そのうち羽が生える

メンタル整理

 夫の言葉




 ダーウィンの進化論と人類の滅亡についての番組を見ていた時のこと。わたしがふと「人類は滅亡するかもしれないから、何も自分の子孫を残さなくても良いかも・・・」とつい言ってしまった。

 怒られるかと思ったが、夫は真顔で答えた。

 「いや、○○家の子孫(だけは)突然変異か進化して羽が生えるよ」「または海中に戻るかもな」「最悪、宇宙空間で生きられるようになるかもしれない」

 彼はどうやら本気でそう思っているらしい。自分の命が先祖代々続き、自分を大事に育み育てた親の思いを受け取り、自分はランナーとして次の世代に子孫を託すという。

 命が何よりも大事で、子どもは未来だと言う夫を見ていてもピンと感じるものがない。

 シンプルに

 わたしにとっては命が大事であるという言葉は公共広告のようなもので、自分には関係のない事のようで、深く考えた事がなかった。
 
 命が大事であるなら、大事ななりの扱いを受けただろう。わたしの感覚としては捨てられたなりの人生を歩いてきたようなので、その通りに歩いてしまっただけ。

 夫のように自分の命を大事な命だと自覚しているなら次代へ繋げたいと思うだろうが、自分の命に価値基準を持てない場合は殊更次へ繋ごうという発想が生まれない。生んでしまった事を後悔するかのように養護施設へ捨てられて育ちきるという事を経て、尚、自分の命や遺伝子を残したいという欲求へ繋がりにくい。Mariaが言っていた気がするが、それこそ悟りの境地に至らなくては難しい。

 命が大事であるといういうならば、大事な扱いを受ける方が話としてはシンプルだ。わざわざ捨てられた子ども時代を整理して、自分の命は尊いと考えるこのプロセスの難しさは、なかなか説明できない。

 誰もがごく当たり前と感じている命の重さ、命の大事さ、子どもは未来、子どもは宝、というような感覚的なものは、やはり感覚的に受け取った方が理解しやすい。本来なら感覚的に受け取ればよいはずのものを、理性を尽くして整理しようとするので、いちいち哲学的になりそうで疲れる。

 命の大事さを語るなら夫のように、もっとシンプルでストレートでいい筈だったのだと思う。そこを難しくされたオール施設育ちが、なかなか自分の過去を整理できない者が多いのは当然だと思う。

 でも施設育ちは育てられたとおりに子どもを育ててはいけない、それが現実。
 

| ├ メンタル整理 | 20時41分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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