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自分達のやった事、その結果を確認させる指導方法

養護施設にいる間の問題

送信者 Lei Pictures


 関連記事児童票を通して見た子どもである自分への他者イメージ、その残滓

 結局、児童票のあのシーンは何だったのか。Mariaからのレスで生じた自分の持つ世界観の成りたちについて考えている途中。


 


 割れたガラス窓のイメージ

 割れたガラス窓のシーンはきっと数え切れないほどあっただろう。何故ならわたしは養護施設といえば割れた窓をとっさに想像するから。割れた窓、凹んだ壁、靴の後が付いた壁、灰色の外壁、お墓のような全体像、汚い藻で埋め尽くされた子ども達の池。

 掃除は毎日行うにも関わらず、毎日施設の壁は新たに汚れていったし、何処かでガチャンと何かが割れていた。年季の入った建物だから薄汚れているのではなく、施設には殺気立ったものが常にあるので、汚れは子ども達の行動の結果なのだと思っている。。

 現状保存

 割れた窓をそのままにしていること、洗濯の途中で洗濯物を取り出し忘れた子どもの臭くなった固まり、食事の途中でこぼしたスープ・・・などなど、やった事の責任は自分たちで負うのが当然だった。

 その一方で、犯人探しの為、壊れたモノを子ども達の真ん中に展示する事はよくある事だったように思う、記憶がないが、何故か確信している。わたしはその指導方法を何処かで身につけているだろう。自分たちのやった結果を見なさいという犯人探しと連帯責任の輪を乱してはならなかったのだと思う。

 連帯責任を外れる行為がズルイのだ

 児童票の文面ばかりに気を取られていて、何を表しているシーンか考える事も思いつかなかった。単に自分がズルいと責められ、何がズルイのかを考えてばかりいた。
 
 わたしは、割れたままのガラスは不穏で危険で好きではなかったので掃除をしたのだと思う。でもガラスを割った犯人が見つからないので、犯人が名乗りを上げるまで、その状態を保存していたのだと気付いた。

 指導員は、子ども達に「自分達のやった事を見せ続け、やがて犯人が自分から名乗り出てくるまで、連帯責任で怒られるべき」だという指導をしていたのだと思う。

 それなのにわたしは一人で掃除をしたために連帯責任を負わないことをもって本児はズルいという見方をされたのだと気付いた。後輩の記憶によると、連帯責任で一晩中床に正座させられた事もあったらしい。

 Mariaのおかげで、わたしの心の中の割れた窓がそのままな理由が、少し判った気がする。自分たちのやった結果を連帯責任で負う事や、自分の粗相をどんな小さくとも責任を持って片付けなくちゃいけないという二つのルールがあったのだと思う。

 犯人が出てくるまで

送信者 Lei Pictures


 施設では、色々な事件が起こりやすい。おやつ倉庫からおやつが盗まれたり、誰かが誰かを殴ったり、誰かのモノが無くなったり。

 その時、解決へ至る方法として取られていたのは、犯人が自ら名乗り出るような気持ちにさせる事だったと思う。

 このひどい場面・現状を保存しておく事と、そして連帯責任で全員一緒に怒られる事がルールだったのではないかと思う。もし犯人がこの重圧に耐えられなくなれば名乗り出れば良いが、しかし、大抵は犯人が不明のままだった気がする。

 だから常に連帯責任と自己責任を行ったりきたりの指導だったように思う。でもこうなるとカオスでしかなく、指導など出来るはずもない。相当すごい事になっていたように感じられる。

|  養護施設にいる間の問題 | 01時32分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

割れ窓理論へと続く…

Leiちゃん、
整理してくれて嬉しいわ。

 たしかに、養護施設は殺風景な場所だったわ。単に古いだけではない、殺伐とした廃墟のような雰囲気を醸し出していたの。

 日本には古い建物はたくさんある。だけど、手入れが行き届き、歴史と風格を感じさせるの。だけど、養護施設は違う。古い施設ほど廃墟と化している。

 あたしの施設も、窓は割れ、壁は凹み、ドアが壊れ、廃墟で生活しているような雰囲気だったのを思い出したわ。

 見学者に、幼児さんの部屋ばかり案内していたのは、そんな理由だったのか知れないと思ったわ。

Leiちゃん、書いてくれてありがとう。

| Maria | 2008/09/20 10:23 | URL | ≫ EDIT

誰もが生き延びただけなのだ、ずるくはない

 自己レスです。

 わたしは、その養育環境で生き延びるしかなかった子どもたちは、覚悟の上、シュンとなっていたと思う。 
  
 だからズルイとは感じない。一方、掃除をしたわたしも危険回避の為、掃除したので、ズルイと思わない。【ようやく言えたかな】
 
 子ども達はそれぞれにその場を生き延びる為に対処していたのだと思う。

 でも、子ども達の行動に評価をつけている児童票とは、一体何だろう?と感じてしまったのでした。

 恩寵園の裁判でも、二葉園の裁判でも「児童票」は証拠資料として用いられました。

 いわく「このように問題のある児童なのですから・・・」と。

| Lei@でも子ども達は誰もずるくない・・・ | 2008/09/20 09:23 | URL | ≫ EDIT














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