PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

仲間は要らない、ただ固有の相手が必要だった

メンタル整理

 捨てられた事を認める

 最近考えてる事は、施設を退所したばかりの頃、なんとか空元気を保てるのは施設を出てほんの数ヶ月でしかなかったなという回想・・・。

 


 その後、見えない不安ばかりがひたひた押し寄せたり・・・。わたしの場合は、施設を出てから急に体調だけを原因不明ながら壊しまくり、心が頑丈なのにおかしいな?と思い、病名のわからない不治の病だと思っていた。

 そんな体たらくなので、後は結婚まで非正規雇用で働くしかなかった。【つまりフリーター】今でも、施設退所後症候群のような 【← 自分でこっそり名づけている】。あの状況を説明できない。施設時代が頑丈【きっと】だっただけに、社会に出てからのギャップが大きすぎた。

 さらに、結婚してから施設仕込みの根性論は全ては瓦解した。家庭で求められるスキルが、施設を生き延びてきたモノとは全く別物だったのだ。結婚後、初めて、夫から固有の愛情を求められてしまい、・・・自分の殺風景な感覚に気付き始めたのだ。

 そしてネット検索で「がんばれ!」に出会い、体験記執筆を通してリアル世界でも、幾人かとの出会いがあった・・・。

 しかしわたしは運が良い方で、実は養護施設出身者同士は出会ったり、固まったりすべきじゃないと今でも思ってる。WolfやMariaだからこそ、わたしは何も傷つけられる事がなかったと感じているのだ。

 当時はわたしに「実は捨てられただけ」だという事を教えてくれた2人に対して、非常にムカつき、非常に憤りを覚えたが、今現在は非常に感謝と尊敬の念を持っている。

 とはいえ、今も間欠泉のように噴火して、わたしに電話した運の悪い2人のうち、片方がとばっちりを受ける状態であるのは確かだけど、わたしは彼らの支えがあり、こうして前進していると感じている。

 仲間という言葉はもう要らない

 わたしにとっては固有の相手が必要だった。もう「仲間たち」はわたしにはこりごりだし必要なかったのだ。だからWolfやMariaに対して、仲間という意識を持っていない。施設時代を意識させるこの仲間という言葉への、アレルギーもある。

 わたしは、施設から卒園と称して放出されたばかりだった時、ただ闇雲に前向きだった、確かに。方向性も定まらない、誰もいないけど元気よく生きるという、第三者から見れば、一刀両断の元に「この人、アホかも」と思わせる言動を重ねていたのだと思う。

 捨てられてた事を等身大で掴む

 やたら前向きに生きるという姿勢は、ポジティブといえば一見聞こえは良いけれど、そのポジティブの内容も大抵は施設時代の職員の受け売りでしかなく・・・まるでお題目化していた。

 確かに家庭に恵まれなかったのだから乗り越えなくてはいけないものがある。でも乗り越えられない課題もある。その乗り越えたいけど乗り越えられない課題の為に、自由になれない施設育ちがいると思うので、

 わたしは、この一見後ろ向き思考のスタイルを保ち続けたい。いくら周囲から後ろ向き、ネガティブだと言われてもいい。施設育ちだけがバカみたいに元気でポジティブである必要なんてないのだ。

 気付いたら泣き言ってる相手

 わたしは、泣き言言える相手と出会ったとき、意外と泣き言が言えないことがネックだった。養護施設育ちの強迫観念のようなポジティブ思考について、今一度考えてみる必要があると思う。

 そう都合よく、誰もが泣き言OKな相手に出会えるわけじゃないので、挑戦的な親記事だと思う。でも、施設育ちが陥りがちな明るさ、根性、に通じる内容が、きちんと現実を見据えた上で言っているのかどうかを、考える事を、キツイので勧めたくはないものの、避けて通れない道として、伝えておきたい。明るく凌いで来たと自負している人は、泣き言をいう人を許せない気持ちになるという事も、同時に伝えておきたい。

 施設育ちは、自分は元気にやってきたと思うあまり、他人が泣くのを許そうとしないのだ。何故なら自分は、一度も泣けなかったのだから。

| ├ メンタル整理 | 11時17分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

 Maria、わたしは集団の総意がアイディンティティだと勘違いしていた。

 でも違う。集団の総意と個の意識は別物。

 たった一人の命として細分化されたとして、壊れないcoreが必要なんじゃない?
 
 集団でなければ物事を語れないと勘違いしていた時期があった。

 だからこそ、個として語る勇気を持ちたいと思ってるんだ。

| Lei@施設の集団がアイディンティティだと勘違い | 2008/09/26 10:19 | URL | ≫ EDIT

「仲間」という思考停止

Leiちゃん、
養護施設という場所は、「思考停止」して、集団の一員として将棋の駒のように動かなければならない場所なの。

 あたしは、施設の集団行動がイヤだった。集団そのものがイヤだった。

 なのに、施設を出た後まで群れたがる心理が判らないの。

 集団は、学校の集団だけで充分だと思うの。
 集団は、適切な監督をしなければ、暴走すると思うの。そして、集団を仕切りたがる人が出てくることも確か。

 それ以上に、アイデンティティの確立が出来ず、集団に埋没することで安心する子どもたちもいる。

 そうね、養護施設の大きな問題は、アイデンティティが確立できないことかもしれない。
 社会は、自立した個人を求めているのに、その個人が出来上がっていないから、この社会で生きられないのかも知れない。

 あたしは、思考停止に陥った子どもたち、社会に出た施設出身者たちが可愛そうだと思うようになったの。

 今回のEdwardさんのチラシが理解できる施設出身者は、どれだけいるのかしら。

| Maria | 2008/09/26 06:54 | URL | ≫ EDIT














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/734-a114f104

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。