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「もう孤独じゃない」あるいは「もう集団から開放された」という2つの思考

養護施設を出てからの問題

 関連記事: 仲間は要らない、ただ固有の相手が必要だった

 家庭育ちの夫の言葉

送信者 Lei Pictures


 「君は確かにもう集団は嫌かもしれないけど、家庭でたった一人で虐待を受けて来た人は孤独だった自分を救いたいんだよ。だから気持ちを共有できる仲間が欲しいんだよ」と言った。

 そこでわたしは考えた。


 わたしは集団はもうこりごりなのだ、わたしは集団というキメラのような精神だった、わたしはアイディンティティというものを持つために、バッサバッサと他の児童を捨ててきた。わたしは自己をどうしても確立したかった。

 夫はそれに対して
 
 「そうなんだ・・・じゃあ君は家庭でたった一人で虐待を受け、誰にも何も言えない状況は理解できていないんだね」と。

 家庭で人知れず受ける虐待は孤独と共にあったので、ネットなどで同じ気持ちを共有する人たちとの出会いは大変な変革なのだという。

 わたしは、夫の言葉に色々なヒントがあるように思えた。

 施設全部育ちのわたしは、もう集団じゃない、もうわたしは個人として生きてゆけるのだ、もう、たった一人の相手に出会っても、集団からけん制されたりしない。わたしは家庭を作り、固定されたささやかな人々と共にわたしの人生をささげたいと思ってる・・・。

 だから夫の漠然とした主張について、少し驚くと共に、少し新たな目で彼の言葉を解釈する事ができた。

 夫は「もう孤独じゃない、今は仲間がいる」と思う家庭虐待【施設に保護された被虐待児童含む】の人の気持ちが理解出来る。

 一方のわたしは「もう集団から解放された、わたしはたった一人の大事な人を探す旅に出られる」という気持ちになっている。

 仲間作りがしたい家庭育ち【施設体験者】と、集団から解放されたいオール施設育ちとは、その思考のたどり着きたい先が枝分かれしている。

 それじゃ、わたしが、捨てられた子ども達がたった一人の大人と出会って欲しいという意見は、単なる意識の違いでしかないのかと考えた結果、それは又、全く別の問題を提示していると思うようになった。

 親が居ない乳幼児については?

 確かにどうしても、それぞれの養育環境出身者のパターンにごとに、違う課題としてあったとしても、【まず、この社会がどういう社会であるかを考えるなら】乳児院・児童養護施設だけで全部育つ事について、ごくシンプルに考えていきたいと思った。

 社会を構成する大人として、乳幼児・子どもの養育環境はどうあるべきかという視点を持っていきたいと考えた結果、わたしは、何とか今の発信にたどり着けた。

 まず一人の親が育てられない子どもが家庭生活を一切知らないで、この社会へ放出される事自体は、異常な世界だと思う。

 そして夫とわたしはこの意見だけは、不思議な事にみごとに一致した。彼はわたしの無愛着に晒された事で、養護施設で全部育つ事の問題を、彼なりに把握したのだと思う。わたしの無愛着は直らないにしても、わたしの無愛着を通して、子ども達には家庭が必要であると思ってくれたとしたら、多少複雑な心境ではあるけれど・・・。

|  養護施設を出てからの問題 | 09時28分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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