PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

複数の施設を渡り歩いた元児童から見る「一貫養育施設」

養護施設にいる間の問題

 ある施設長のブログ記事に「引っかかる」

 そのブログを紹介する事はひかえる【というか題名忘れて見つからない】が、たしかその施設長は「複数の施設を渡り歩いた子は同じ場所で養育された子よりも浮遊感があり、落ち着きがなく【だったかな?】・・・」と書いてあるのを読み、何か引っかかるものを感じている。

送信者 Mariaのストリート通信


 はて、自分がいつも何処かを旅してるのは幾つかの施設を移動したからなのか?

 


 いや、違う。自分の浮遊感や自己の一体感の無さは、何も複数の養護施設をたらい回しにされた子だけに特有とは感じなかった。実際に同じ施設に居続けた長期入所児童たちも、自分が何処から来て何処へ向かうのか判っている子などいなかった。

 それら、1つの施設に居続けた子と複数の養護施設を体験した子との間に、特に論じる程の差異は個人的に感じた事がないので、この施設長の言葉に引っかかりを感じたのだと思う。
 
 建物が同じでも入れ替わる人々
 
 子どもが施設を移っても、同じ担当職員が一緒に違う施設へ移動するわけではない。保母が代わり続けてゆく生活環境を指摘せず、子どもが同じ敷地で一貫養育されていない事を強めに指摘する事に違和感を覚えた。

 同じ敷地でも施設の内部では、子ども達は流れゆく人々の中で生活している【何度も書くが】。定着しそうな愛着も、せっかく慣れたと称する保母との関係も、賽の河原積みのように、時間が来たら別の人にバトンタッチされてゆく。子どもは人と人の持つ固有のぬくもりにボンドする。

 堅牢な冷たい建物や固定された人の居ない建物に愛着の持ちようもない。

 最低でも三箇所?くらいの施設に居たらしい感覚を持っている自分としてだけど、同じ施設に居続ければ、無愛着やらの問題が解決するとは思っていない。

 家庭では養育者も子どもも一緒に移動する

 それに、一般家庭では引越しても固定された人間が共に移動する。わたしは結婚してから引っ越した時、夫がもれなく一緒に付いてきたので、さすがにムッとしたり驚愕したり【ラジバンダリ・・・】。同じ建物でも人間は移り変わるのに、引越し先まで一緒とは・・・と。

 「またあなたなの?」と言ったら
 「当たり前だろ、そんなの」と夫から呆れられた。

 この施設長の言葉を読み、子ども時代に家庭で育った人の発想は「常にその前提として、固定された関係性があるという事」が語りの中で省略されているのだなと思った。

 その為、言葉はその人にとって理解しやすい流れ易い方向へ流れてアウトプットされるんだなあと思った。そういう意味ではわたしもまた「固定された関係性を持った事がない人の前提で」思考をめぐらせているわけなので、自分でも認知しておくべき項目だと思った。

 施設が一貫であろうが人間が移ろい続けている養育環境では子ども達の浮遊や無愛着は修正しようもないと個人的に強く思う。それとも・・・子どもが施設を替わる時、付いてくる保母があるのだろうか、いや、そうなるともうそれは「保母」ではないのだけど。

送信者 Mariaのストリート通信


 以上

|  養護施設にいる間の問題 | 06時20分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/747-daa49022

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。