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「共感性が育たなかった」というその中身をもう少し整理

養護施設にいる間の問題

 ※無愛着な気分を言語化するのは実は結構タイヘンです・・・。

送信者 Mariaのストリート通信
 

 「共感したくない」のではなく

 考え方そのものを方向転換できるように、過去の整理をする事にしたのはソウルメイトとの出会いがあったからだと今は言える。

 実はそれまでは、家庭育ちの夫しか話し相手がおらず、彼はわたしの事を無愛着と指摘できる筈もなく、全てが家庭育ちとしてのデータを引き継いで話してくるので、わたしは混乱と違和感でいっぱいだった。

 何よりも困ったのは、わたしの普段の対応が無愛着な為「共感性を持つ事を拒否している」と捉えられてしまった事だった。わざとそうしている、悪意があると言われてしまい、とても困った。




 共感性を持ちたくないのではなく、誰かに愛着を持ったり共感する事で生き延びた事が無かっただけなのだが。同じ屋根の下で住んでいる事を特別な関係と思う夫と、同じ屋根の下に住んでいても特別な関係ではなかったわたしでは、共感性への考え方も違うと思う。
 
 あの頃はわたしも、まさか子ども時代を児童養護施設だけで育った事が、今の家庭での生活に支障をきたしているとは思わなかった。

 なので施設育ちのMariaとWolfに出会い、問題を語り合えた事で、これはわたしの性質だけに根ざしたモノではなかった事も知り、過去の整理をして、こうしてテキストでも書いている次第。

 「共感性の無さの中身」が家庭の人とは違う

 わたしは家庭の人が共感性を持っていない事の問題は想像できない。家庭で育った事がないので、わたしのように無愛着な人間が出来上がるしくみが分からない。ただ、そのような家庭は機能不全の家庭の印象を持ってしまう。

 ヒントがあるとするなら、夫の言う「わざと」「悪意があって」「イジワルのつもりで」共感しない態度を取る事があるという事か。それは共感性が無いというか、それは愛着障害のような態度ではないかと個人的には思う。

 わたしはただ共感性を持って生きる世界を知らないのだ。共感したくないとか、そのような事とは違う。昔、職員が「お前らにオレの気持ちが判るか!」と叱り飛ばしているシーンがあった。でも「この職員、何を言ってるんだろう?」という程度の印象しか持たなかった。

 施設では無愛着な環境が日常

 わたしが何とか紡げている文章では、まだまだ施設由来の問題が見えにくい事と思う。「人に愛着が持てない事も、共感性がない事も、家庭を知らない事」も、施設だけじゃなく、家庭だってそうだよという気持ちを持っている人もいると思うが、わたしはずっと施設で身に付いた無愛着というものについて、独自に語っていきたい。

 そういえば、ある資料では「最近は家庭の子でも施設病の様相を呈している」と書いてあるのを読んでビックリした事があるが・・・やはり施設全部育ちの自分としては「それは機能不全家庭の問題」と思えて仕方なかった。

 施設を家庭的養護と言い、家庭を施設のようと言い出したらキリがない。きっちり分けて考えないと、乳児院や施設から初めて委託された里子の無愛着な態度を「悪意がある」「わざとそうしている」と感じてしまう里親の悩みの正しい?抽出と整理がうまく進まないと感じている。

 乳児院・養護施設だけで育つという事は、わざと、悪意を持って、誰かに共感できない事を訴える術も知らずに一人生き延びるという事。ヘッドバッディングをしている乳児を「そのうち諦めるまで放置しているような世界観」で育つのだから、里親へのイジワルなど発想すべくもない。のだと、今は夫にもその気分だけは言えるようになった。

 以上
 

|  養護施設にいる間の問題 | 11時20分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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