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「家庭を知らない施設全部育ち」を例えるとき

メンタル整理

 ある里親さんのブログで、施設しか知らない人の事を説明するくだりで「目の見えない人に赤い実を理解させる事は難しい」という例えを語っておられた。【ご自分でも乱暴な例えと言っておられるが】

 先日少しやり取りのあった方なので「施設しか知らない」事について思う事があったのだと思うし、ご自分の委託された里子との体験から引き出された、その人なりのご意見だと思う。

 そうか・・・施設全部育ちをそう解釈してたのと。



 そこでわたしは「目が見えない人」という言葉の扱われ方について、改めて意見を述べたい。

 話は少し自分の過去の体験を語るけれど・・・わたしはよく、新興宗教の集まりで批判を受けるタイプの人だった。あの頃、宗教的に難題を抱えていたのでフラフラと付いていくのは仕方ないとしても、わたしは土壇場になるとどうしても、たった一つの神しか信じられない事に気付くタイプなので、そのわたしの様子を例えて「目の見えない方に何を言っても仕方ない」と批判された。

 でも、 「わたしの目は実際見えているし、この状況も理解もしている。あなた方がここで視覚障害の人の例えを用いる事がそもそもおかしいと言った。

 目が見えない状態を、物事を理解できない事の例えに使うのも不快。わたしは単にあなた方が信仰しているモノを知らないし納得できないだけです。と、ムカっとしたので怒鳴って出てきたような・・・。

 見えない事と理解できない事は別のカテゴリ

 それで、今回ある里親さんのご意見を読み、自分なりに考えた事は、
 
 わざわざ視覚障害の方の抱える課題を歪曲して、物事の不理解であるかのように用いないでほしいと思った。これを書いていて思ったが、本当にこのような表現を通して、視覚障害を持つ方々に対して失礼極まりない表現だと改めて思った。

 又、宗教系施設では「見えているものの意味を問う事、疑う事を許されなかった」と感じていた。いつも【信仰者は哲学者になれないと言われていた】

 なので、長じた元児童身が、家庭を理解する事を拒否しているかのような扱われ方をしている事については反論したい。

 わたしの目からはむしろ、濃い人間関係の中で生きてきた家庭の方は、濃い人間関係を全く体験した事のない施設育ちを見たとき、今目の前にある子どもの状態を受け入れる事ができないと感じている。それは夫もそうなのでよく分かる。
 
 ややこしい例えはいらない。乳児院・児童養護施設全部で育った子ども達は親の貧困の影響を受けた社会的排除者なのである。施設を出たらその現実が待っているにも関わらず里親家庭も知らず、機能不全家庭で入所してきた子ども達の傷ばかり見せられてきた。

 わたしたちが見ていた家庭というものは、家庭虐待の子ども達の家庭ばかりだったのだ。そして、本当の家庭を知らなかったのだと思っている。

 貧困の問題を先送りするだけの施設全部養護は、子どもを社会から排除し続けているだけである。その責を問われずに、保護・養護という言葉だけが踊っているのである。

 子どもの努力を超えた現実を社会の大人が見ない限り、貧困の連鎖、施設育ちの連鎖、は止まらないと個人的に思っている。自己責任、個人のがんばりに委ねるには、乳児院・児童養護施設全部育ちの抱えさせられた現実というものは、その本人だけが背負いきれるものではないのだ。

 もしわたしなら、里子を前にした時、この子は施設で間違った情報を受け取った子どもと解釈する。間違った情報を受け取った以上、正しい情報へ修正しなくちゃならない。その作業で必要なのは、機能不全家庭ではない世界のデータベースなのだと思う。その意味で、機能不全家庭とは何かを考える必要が、このブログの課題に上りつつある・・・。

 見える見えないではなく、間違っているか間違っていないかの解釈が必要なのだと思っている。


 以上

| ├ メンタル整理 | 07時47分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

とりあえず

 ざっとレジュメ的に書いてみます。【文章的に書いたけれど、面倒なのでやめました】

 ・本当の家庭 

 夫が育った家庭のこと
 施設に入って来た子らの家庭
 施設職員の育った家庭

 またはその全てを含んだもの、固定された人間関係のある生活空間と人間達。
  
 ・機能不全家庭
 
 施設の家庭的処遇という再現をしている、わたしが今作っている結婚家庭。
 
 施設に入所する前の被虐待児の家庭。いわゆる虐待の百貨店のような家庭。

 まとめ

 親記事で言う、本当の家庭というのは、施設で刷り込まれた家庭像とは違うという意味合い。

 自分なりにサッと考えた事を書いてみました。その結果、本当の家庭という意味には、本来的【家庭システムが機能している】家庭と、機能が不完全、あるいは虐待環境にある家庭があると感じています。

 現実の家庭と、本来的な家庭のパターンがあるようです。

 ただ、そのどちらも固定された関係性がある空間と構成員とその家庭ごとの家庭システムにより成り立っていると思います。
 
 また、

 施設の家庭的処遇を、施設は大きな家族だという表現をするが、これは全く違うものと思っています。その理由は、施設は職場環境だからです。

 家庭全部育ちの夫が、ここは施設じゃないと言います。家庭的なつもりなのではいけないようです。せっかく施設で家庭的処遇により、家庭らしきものを伝えているつもりなのですが・・・。

 とりあえず、現時点ではここまで。まとまらないですが。
 
 

| Lei | 2008/10/19 11:45 | URL | ≫ EDIT

機能不全家族を考えるということ

こんにちは。紅葉がだんだんきれいになる季節になりましたね。
例えることの難しさは、よくわかりました。「本当の家族」という言葉がでてきたので、一言。Leiさんにとって「本当の家族」ってどんなものなのかな?「機能不全家族」ってどこまでどういうのかな?
即答は求めませんので、また、ゆっくり聞かせてください。

| おず | 2008/10/19 10:28 | URL |














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