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雑草根性:「健気でもなく弱くもなく儚くもない施設育ちの子たち」のこと

養護施設を出てからの問題

 施設では、花や木を植える作業は未体験なのに草むしりだけは徹底的に覚えた。雑草はいつも刈られてしまうけれど、いつも力強く生命力に溢れていた。

In a greenhouse


 世間に受け入れられない者たち

 Mariaと昨日会った時、彼女は「いかにも施設育ちのオーラがぷんぷんしてる子は世間ウケも悪いのよね」とポツリと言った。こういう事を言う時の彼女はテーマをあらかじめ持っている。

 わたしは「オール施設育ちが施設育ちのオーラしか持ってないのは仕方ないよ」と答えた。オール施設育ちは家庭虐待の問題を抱えて入所してきた子どもたちとは違う。家庭から来た彼らは当然ながら、時々家庭虐待の子の立場で語り、時々保護された施設育ちの立場で語る。その時々で、家庭育ちの子になったり、施設の子になったりする。しかしそれはそれで仕方ない、彼らの真実だから。

 でもその育ちの背景は、大人になりネットやリアル世界で発言する時でも養護施設を解釈する世界観の違いとして現れてしまう。世間の人は「家庭虐待の問題を語る施設の子の言葉を聞きたいのだ」という事に、少しずつ気付いてきたわたしは、つまりウケが悪いという事だ。

 わたしは「施設環境だけの影響を受けて生きている」ので、世間から共感されない事は納得している。世間のウケが悪くてもこれからも同じ問題を発していく。自分自身が「これは問題だ」と感じている事をそのままテキスト化して発信する。

 わたし達施設オーラを纏った人は、世間の人々が求める「健気で儚く弱く傷ついていて、尚且つ優しさを失わずに訴え続ける【家庭で虐待を受け】施設で保護された子」というイメージに合致しないのだという事が分かって来た。

「「施設の子ども達の絵画展」について話したこと

 そして次に「養護施設の子ども達の絵画展」なるものについても2人で語り合った。某NPO法人hinataの方々が、養護施設の子ども達の絵画展を主宰したという話を不快に感じる心境を紐解いてみた。★単に文句言うだけじゃダメなので、わたし達は「何故不快と感じるのか」話し合う事が多い。

 Mariaは「施設の子でなければ絵画展の為に絵を描くなんて事しないでいいのに」という気持ちを語り、わたしも「hinataさんたちは、児童養護施設の子として他に逃げ場のない状態で、絵を描かされてしまう子ども達の心情について、半分は家庭の子の感覚もあるので、身につまされる事が無いんだと思う」と意見した。

 養護施設出身者と一口に言っても色々な背景がある。わたしとMariaとそしてWolfは、逃げようのない養護施設という環境下で、強制的に集団で「恵まれない哀れな子として世間の人々から消費されてきた」と感じている。だから施設の子ども達の○○展の開催に対して不快な気持ちが現れてしまうのだと自己分析した。

 施設以外の過去がない

 他に子ども時代の生き方の選択の余地がなかった元オール施設育ちとしての感情が、どうしても色濃く反映されてしまう最近の自分を意識しながらも思う事は・・・

 健気でも儚くも弱くもない、施設のオーラを纏った養護施設全部育ちの子たちが、わたしの関心事なのだと思った。これが発信の動機でもあり、自分を説明するもっともシンプルな方法だと改めて思う。

 最後に、弱さと儚さについて

 わたしは、子どもの弱さ儚さ≠守られる対象【ではない】世界に生きていた。わたしは弱さ儚さを自己イメージとして持つ事はできなかった、他のオール施設育ちの女の子たちも似たような状態だった。わたしはdragonとしてしか生きられないのだ。

 以上
 

|  養護施設を出てからの問題 | 13時27分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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