PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

食について:家庭生活を通して少し分かった事

養護施設の問題

 施設では依存しなくても生きていける

送信者 20080523-dragonvillage

 ↑ Maria、この魚、何だっけ?いくら聞いても忘れるのよ

 養護施設では無愛着でも生きていける理由の一つとして、もし保母から好かれなくても食うに困らないという現実。

 保母が自分を嫌っても、施設の食事はちゃんと支給される。だから一年中保母と口をきかなくても食事にはありつける。

 わたしはどこか、食事と家族構成の中での人間関係がリンクできなかった。わたしは生きたいけれど、生きる為の方法論の中に「固定された相手への依存が必要なかった事」に気付いた。

 しかし家庭の子は、親のごきげんを損ねたらご飯が食べられない、生きれないという死活問題を持っているのかな?と想像できるようになってきた。


 職員と上手くいかなくても生き死ににダイレクトに響かない

 機能不全家庭から保護された子が異口同音に語る話の中に
 
 「施設では三食食べられる」というものがあり、そこを考えてみた。

 彼ら家庭から来た子ども達は、親のごきげん次第でご飯が出てきたり出なかったりという不安定な生活空間にいたのだろうと思われる。人間の生命の根源に関わる「食」が絶たれる可能性を常に考えさせられる家庭での子ども達の現実があったのだと思う。

 わたしはWolfから餌付けされたけれど

 そんなわたしにWolfはごはんを食べさせてくれる。【特にわたしとMariaを食事に連れていってくれる】しかしそれは誰でもいらっしゃい、というのではないみたい、わたしとMariaに食べさせたいらしい。

 「おなかはそんなに空いてないよ、平気だよ」と言うけど、いざ食事にありつけて、満足感を得ると、わたしはとても、必要以上に贅沢した気持ちになり、後ろめたく感じる。Wolfはそんなわたしに去来しているものを知っているが、食事を共にする時間を作ってくれる。

 わたしは、つい「他の子とかはどうなんだろう」と考える癖が出てしまう・・・。考えてみれば、養護施設ではいつもアフリカの飢えている子ども達の話を食前に聞かされ、罪の意識を持った祈りをささげていた。

 「黙祷」と「祈り」と「感謝の言葉」と「後ろめたさ」をセットとして、エサの時間を過ごす事は自分たちには日常のことだった。

 でも、そもそも固定された相手や家庭というものは常に「他の子はどうなんだろう」と顔も知らない子ども達の事を脅迫観念のように考えたり、自分の食を与えられる贅沢の罪を意識するものではないと思うようになった。
 
 わたし達は、子ども時代に「それぞれ」に「そのような相手が居れば」良い筈だったのだ。

 Wolfとの食事、それは、施設での無味乾燥な食事とは違う。あの砂をかんでるような感覚とは違う。養護施設しか知らない子が、よりよい生活を求めてはいけないのかもしれないけれど、Wolfはとことん、わたしに「満ち足りた食事」を一緒に楽しもうとしてくれる。その共有感覚が自然に生まれる事、互いに楽しみながらコミットしている感覚を、施設の食事では味わった事がなかった・・・。

 だからWolfとの食事を餌付けなどと冗談めかして言っては本当はいけないのだと思う。ただ、餌付けという言葉に馴染んでしまっていて、食事の時間を他に例えようがなかったとしても、そのようにソウルメイトとの食事を表現しては失礼だと感じるようになってきた。

 今感じること

 わたしは、今では、三食与えられればいいのではないという気持ちを持っている。しかしそれは三食食べられるか保証の無い家庭で虐待を受けた子の問題とは全く違うと思うので、養護施設での食事を語る時、ごちゃごちゃにはしたくない。

 わたしは児童養護施設での食事を「エサの時間」としか思えなかった・・・。

 そのエサでも、三食食事にありつけたと感じる家庭虐待の子達がいると思うけれど、生まれた時からエサしか与えられなかった者として、あえて、食について言及させていただきたい・・・。

 夫は

 母親の虫のいどころと食事は、けっこう連動していたらしい。その為、すこしばかり食に対しては餓鬼のようなところがあり、風情や感覚は二の次だと言っている。家庭というものを少し垣間見たと思う。わたしは夫から「霞を食べて生きていける人」と評されていた。

 夫を確かに、食に対して飢えているのに実際は舌がきちんとしているわけではなく、悪かろう安かろうでも、どんなものも食べるきらいがあったので、夫は一体どんなものを食べていたのかと個人的に思った事はある。

 実際夫は「養護施設の方がちゃんと食事が出るんだからいいと思う」と言った。自己申告で水呑み百姓の末裔だと夫は言うけれど、それがどんなものか知らないわたしは、三食食べられる施設生活を憧れている家庭の貧窮については、又、別の課題だと感じている。

 少なくとも夫は「お袋が作ってくれた料理を最低十個はすぐに言える」という事について、施設全部育ちのわたしが驚いている事を、実はまだ・・・うまく言えずにいる。 

 追記

 長い親記事です、いつにも増して。
 
 この親記事は、かなり手を付けづらい内容で、語り方も少し難しく感じている【一抹の不安】・・・。でも、施設しか世界を知らない者として感じる言葉をあえて筆記します。もしも一部の人を傷つけているなら「その部分を指摘して」下さい。
  

|  養護施設にいる間の問題 | 10時02分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

教えてくれてありがとう

 わたしも、魚はサカナで、肉はニク、野菜はヤサイという感じで、識別するのが苦手。きっと丸ごとの姿を見たことが無いだけじゃなく、料理をした事もなかった感覚が抜けないのだと思う。もういい大人なのにね・・・。

 オコゼとカザゴの区別も付かなかった。

| Lei | 2008/11/04 06:34 | URL | ≫ EDIT

おこぜの唐揚げよ

Leiちゃん、この料理は「おこぜ」の唐揚げよ。

姿はみにくいけど、唐揚げにするとおいしくて、頭からしっぽまで食べられるよ。また食べようね。

| Maria | 2008/11/03 10:06 | URL | ≫ EDIT














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/769-51c522b2

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。