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食について2:食の最低基準の囲いの中で生きていた

養護施設にいる間の問題

 某有名菓子メーカーで問題になった菓子のゆくえ

 わたしは少し前、ある菓子メーカーの菓子に問題があり、風評のため【自業自得ですが】一般の人の消費が落ちた為に在庫が増え、児童養護施設の子ども達へ送ったという話を聞いた時、何とも言えない気持ちになった。たしかその施設の施設長は「ありがたい事です」とか言っていたように思うが・・・残念ながらその記事はもう掲載されていない。

 当時は困惑していたので、その記事を紹介する事を忘れてしまったが、食の事を書いている流れの中で思い出すキッカケを得たので、偽らざる気持ちを語りたい。

 一般の人が、その安全性について不安な為、容易に手を付ける気にならない菓子メーカーの菓子を、わざわざ児童養護施設の子ども達に送る事や、子ども達が食べる事の不安に対して、自分は何故か一瞬にしろ言葉として表現するのをためらってしまった。何か見えない壁に押し返されたようなキモチだったように思う。

 当時の街頭インタビューでも母親世代の人は「うちの子はまだ小さいので心配です」と答えていた。子を持つ母親ならば当然の事なのだろう。

 しかし一方で、他の系列の県内新聞【どこかの県のニュース】では、養護施設の小さな子の口に入る話なのに、どこかまるで美談を語る論調であった。家庭にも施設にも幼い子がいるのは同じなのにと、内心で困惑していた。
 


 一般家庭の人は食事に常にありつけないかも知れない事情を抱えていても、最低限+alphaの何かを守る為の選択肢は持っているように感じた。それが、不安な食品に手を付けない事と、不安な食品をあり難く受け取る立場の違いとして現れているように思えた。

 知り合いの人は当時「だって勿体無いから施設の子へ送っただけだろ、それに改善策が取られた後のお菓子だし」と言った。わたしがキレたのは言うまでもないが、時々徒労感に見舞われる。施設の子だから、不安な菓子を食べてもいいというのか・・・とあの頃感じていた。

 たとえ改善策が取られても手をつけようとしない一般消費者の不安な心理を、養護施設の子が持つ事は許されない事なのかと、思った。

 ある会社のトライ品

 施設にいた頃1つの食品メーカー【会社名不明】から大量のカップ蕎麦が送られてきた。指導員は「ノルマだな、これじゃ・・・」と言っていた。他の保母が理由を聞くと指導員は「ある会社が手がけた市場に出回る前の実験的なカップ蕎麦」を、養護施設の子ども達に提供したいと言い送って来てくれたと言っていた。

 それからしばらく施設のおやつは、その「実験的カップ蕎麦」だった。あれから市場に出回ったかどうかは施設の塀の中なので確かめようもなかったが、今店頭にない事を考えるとどうやら開発は断念したようだ。わたしは今、ちょっとばかり蕎麦が苦手・・・。

 食の最低基準というもの

 それでも施設では、食前に、黙祷+感謝+祈りを常に唱えさせていた。でもそこには三食食べられる事の後ろめたさを子ども達に焼き付けるような園長の説教があった。

 「アフリカの飢えてる子どもに為に祈りなさい」と言われても、どうしてもピンと来ない。それならこの一食を募金したいと思った事もあった。しかし食事は定期的に提供され続けた。わたしは誰に愛想をふりまかなくても、館内アナウンスで「食事の時間です」と言われれば、他の子ども達と共にホールへ行った。

 最低基準に満たないお袋の味

 夫は施設では三食食べられると言いながらも、わたしは施設で何を食べていたのか思い出せていない。前出の食品会社のトライ品は覚えてる方だ。他は何を食べていたのか分からない。夫は貧乏だった過去を語りながらも、お袋が作ってくれた料理を何品も覚えている。

 「お袋の味付けは濃い」とか「ダシをちゃんと取らない」とか彼が言うと、わたしはひたすらビックリする。夫が生家に戻ると姑が煮付けなどを食卓に並べる。

 すると「久しぶりにこの味食べたなあ、昔よく食ったんだ」と、何とも不思議な、わたしが施設の子たちでは見た事のない表情を浮かべる。この懐かしみはすでに生家へ行った時の、お約束になっている。そんな夫が「施設では三食食べられていいじゃないか」と言う事への、困惑を自分の中に覚える。

  わたしは、生きる事と食が楽しみになるように、小さな、乳児院と養護施設しか知らない子たちに食育となるような、世界を味わって欲しい。本当にそう思う。わたしが無愛着でも、誰とも心通わせなくても食うに困らない世界観を持っている事は間違っているように思う。

 ・・・しかしこんなわたしの感じ方も贅沢だと叱られそうだが、どうしても文字化しておきたかった。

 以上です。

|  養護施設にいる間の問題 | 17時41分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

今週会おうな

 Maria、おはよう。

 >まっ
  
 と何回言うんだ?・・・。
 
 でも言ってる事はわたしも納得してるよ。

 それで「施設育ちの子は自己評価が低い」と嘆いている施設関係者がいるんだからな。

 でも、このフードバンクのシステムが進むと、店の裏に出されてた食品の余りもの減って、ホームレスの人が困るという記事を見つけた事がある。

 追記だけど、

 アメリカじゃ、捨てられたフードを拾うツアーというのがあるとあっちの方のサイトで読んだ事がある。しかも、そのツアーの客は、NYのセレブが多いとか・・・。
 
 食物を大事に残さず食べる事と、大量に捨てられたゴミとしての食料をあえて養護施設の子へ供与するのとが、一緒くたで頭にくる。もちろん食物は大事にすべきなんだけどね。

| Lei@やさぐれてるよMaria | 2008/11/03 10:00 | URL | ≫ EDIT

いらないものは処分場へ

 ま、親が捨てた子どもたちのいる施設だから、いらない食品を捨てたんでしょうね。養護施設という場所がよく判っているのよ。

 最近では、「フードバンク」という賞味期限直前の食品を集めて、養護施設で処分してもらうのが流行っているそうよ。

 ま、子どもの捨て場だから、食品も一緒に捨てたいんでしょうけど…

http://allabout.co.jp/health/healthfood/closeup/CU20080404A/

| Maria | 2008/11/03 09:54 | URL | ≫ EDIT














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