平行線:「昔の孤児院の親の居ない子ではない」という彼らの訴えについて
収容児童としての自己認識
養護施設の成り立ちは孤児・浮浪児対策であったという点について改めて考えている・・・。
児童養護施設で、わたし自身、施設は家庭虐待の子が保護される場所という認識が育たなかった事の理由の一つとして、自分が養護施設内でどのように自己認識を重ねていったのかが重要なファクターになると思っている。
| 送信者 Maria's STREET PHOTOGRAPH |
捕獲されて隔離される対象であると自己認識中だが一度も虐待家庭からの保護児童としての体験に基づいた感覚を、持った事はなかった。
養護施設内の家庭の子たち
しつこいようだが、わたしは自分を隔離&収容児だと感じている。しかし、他の子はそうではなかった。彼(彼女)自身は保護児童だと感じていようだった。
養護施設という同じ屋根の下に住んでいると言っても全く絡み合う事のない視点。思考の平行線、それぞれの立場の自己認識が違うのだから、当然、共通認識は育たない。
個人的には養護施設にもある種の階層に近い感覚があると思っていた。職員たちも児童たちも、家庭で受けた傷の重篤さを競うパワーゲームをしがちなのに、唯一、互いに競いたくない事柄があったように見えた。その1つの競いたくない事柄を彼らは大人になった今も隠そうとしているように見える、
親の居ない子はいないというコトバ
わたしの目に彼ら保護児童たちは、自分達はけして捨てられた子ではないし、浮浪児ではないのだ、家庭がありながら傷ついた子なのだと訴えたいように見える。そして大人になった彼らは児童養護施設を「捨てられた子がいる孤児院だと思われたくない」のだと、語り続けている。職員も同じ。
しかし、現実には、乳児院から児童養護施設へ措置された児童や、過去の全く見えない養護施設長期入所児童たちがいる。その数は施設の中の少数派だが・・・。
しかし施設の事を「(捨てられた子)が居るのではない事を理解してもらいたがっている家庭虐待の子たち」は、その少数の子たちを居ないかのように扱い続ける。里親家庭への委託の必要性を訴える動機が彼らにはないのだと思う。
自分の問題が見えないまま施設を退所するオール施設育ちは自分の事を語る動機もない。家庭を一度も体験した事のない事、家庭の1つのケースすらサンプルデータとして与えられないまま、施設を出ていくのが現実に起こっている事だ。
ホントに養護施設は世間から誤解されているだろうか
わたしは世間から偏見や差別意識を持たれているとは感じていたが誤解されていると思った事はなかった。オブラートに包みきれずにはみ出した相手の思考が、世間の感覚を伝えてくれた。
わたしは、学生時代に交流のあったクラスメートの親の、施設の恵まれないみすぼらしい子を眺める視線と、そしてよりによって自分の娘が、この施設の子と付き合う事で何か面倒が起こらなければいいと、一般の親として不安を持っている事を、わたしは、子を持つ親なら当然わいてくる感情だと思っている。
あの頃よりも更に、世間の親の立場になって考えると児童養護施設の子へのいわゆる差別意識や偏見といわれるものは、必ずしも全く誤解に基づいたものではないと感じている。
そうでなければわたしは、姑のアドバイスを振り切って「わたしは児童養護施設で育ちきりましたが、どうか不安を覚えないで下さい、わたしは危険人物じゃありません」とご近所にアナウンスしていただろう。でもできない。それがわたしの現実だから・・・。
わたしは嘘は言いたくないけれど、語れない過去を持ったまま生きているのだ。
わたしの動機
それだけに、乳児院の子たちがはやく里親家庭へ引き取られ、親の居ない児童養護施設の子としてカテゴライズされずに生きられるようにと願ってやまない。
「親のない子はいない」という施設側大本営の言葉の為「親が行方不明の子、遺棄・放棄された子」の存在は他の子の声にかき消され、結果として世間の関心毎から遠ざけられてしまう。
その結果、一部の子ども達が施設だけで育つ事の問題が見えなくなってしまう。それはわたしの望みじゃない。
赤ちゃんポストに入れられた子は今も乳児院にいる。確か一件だけ名乗り出たというが、さて、本当に遺棄した親としてどこまで修復できるか疑問だ。赤ちゃんポストの子ども達はあと少しで養護施設へ措置されてしまう。それでも、親の居ない子は居ないと言うのか・・・。
わたしは家庭虐待の子が施設に保護される事に反対しているのではない。乳児院・児童養護施設だけで一人の子どもが育ちきる事を、間違っていると言っているのだ。
この問題、隠されてしまってはいけないと危機感を覚えている。
| 養護施設を出てからの問題 | 06時26分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑
























元保護児童の存在
Maria、
> 家庭虐待の子が施設に入るようになって、養護施設は、まるで「子どもの味方」みたいに誤解され、施設自身も鼻息が荒くなっている。
> 虐待防止のシンポジウムやネットワークなどでは、養護施設職員の発言権が高いと聞く。里親大会では、「私たちは養育のプロです」と、施設職員がシンポジウムで発言したらしいの。
昨今、児童養護施設内虐待がこれほど知られるようになっても施設側の強気の姿勢は変わらない。施設は建てられ続け、乳児院の子は施設へ措置変更され続ける。
しかも「集団管理」を「子育てのプロ」とまで言い放ってる。このような施設の態度を支えているのは、元保護児童たち。彼らは施設出身者であり、施設当事者という事をもって、施設を支え続けている。
施設は保護児童のためにあればいい。しかし、乳児院の子たちや幼くして養育放棄された子どもたちには不必要なものだ。
家庭からの虐待による元保護児童と、乳児院からの、あるいは養育放棄による元要養護児童では考えも違う。必要なものも違う。養育が必要な子ども達を管理していて、同時に子ども達の未来を搾取している事になる。
この区分けをしっかりしていく記事を書いていきたいと思います。里親が何故必要なのかという点をしっかりと伝えたいです。
| Lei | 2008/11/17 05:49 | URL | ≫ EDIT