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10年前からずっとずっと施設内暴力について書いてきたけれど・・・

児童養護施設にいる間の問題

 関連記事:News 児童養護施設の子どもの暴力、1週間99件 都内を調査

 荒れたYahooブログ時代を思い出す
 
 あの頃は無関心な世間だと思っていたのに、最近の、世間の施設内虐待への熱の帯びようは何?と、正直、困惑している。でも、もちろん、施設の内部に外部の目が注がれてほしいけれど。
 
 Yahooブログ時代のわたしはうそつき呼ばわりだった。記憶がないが、感覚を元手に語ったせいで、養護施設という世界はこういう世界だと語る事へのバッシングは強烈だった。



 わたしは養護施設の子の像を語る時、たった一つのカテゴリでしか語れなかった。自分が捨てられていた現実についての自覚がまだまだ足りなくて、養護施設の子ども達はみんな捨てられていた事を前提に書く記事が多かった。
 
 わたしはあの頃、捨てられた子ども達・・・という書き出しで始まる親記事に反論のある人はいないと、心のどこかで信じようとしていたのかもしれない。わたしは皆、誰もが捨てられている子ども達なんだと思っていた。

 しかし、捨てられている事を語れば語るほど、わたしのブログはとても荒れた。荒れた理由は「施設の捨てられた子ども達」という表現に傷つく施設育ちの子たちが居たから・・・。それに便乗する機能不全家庭の人たちもいた。わたしの語りは記憶に基づかないので、うそつき女呼ばわりだった。
 
 でも主に怒りを向けてきたのは養護施設出身者の女子達、男子達だった。わたしは何故彼らは児童養護施設の話をしたいのに、いつも家庭で傷つけられた話をしているのだろう、何故、わたしが言う事に怒りを向けるのだろう、何故だろうと不思議だった。
 
 機能不全家庭の子は施設内家庭育ちに自分の気持ちを投影し、捨てられ切った子たちの発言を非難し続けた。わたし達は、証拠を示せないからという理由でうそつき呼ばわり、妄想癖、とまで言われていた。

 でも皮肉な事に最近は、虐待家庭から施設へ入所したいわゆる施設当事者が増えた事で、あの頃言っていた児童養護施設の世界観が妄想でも、虚言でもない事が立証されてしまった。わたしは信じてもらえなかったけれど、家庭の子が施設で虐待を受けた事で証言するようになって、施設の現実が浮き彫りになった。

 一般家庭の人は、あくまで「他人事じゃない話」にだけ反応するという事も知った。【夫の太鼓判】

 わたしは捨てられた自分の過去を整理しなくてはならなかったが、施設へ保護された施設内家庭育ちの、施設体験者の人たちは、捨てられた事を整理するのではなく、虐待された事を整理しなくちゃならなかったんだと、今は気付いた。

 見捨てられ不安を知らない

 わたしは乳児院にいたのではないが、誰もいない乳幼児期を過ごした。誰もいないけど時間になると給餌される日々を過ごして無愛着になった。

 わたしは家庭虐待の子のような見捨てられ不安をしらない。見捨てられたどころか、気付いたら捨てられていたのだから、不安はもはや不安ではなく、わたしのごまかしようのない現実だった。

 わたしの関心ごと

 わたしが気になって仕方ないのは捨てられた子ども達、忘れられた子ども達、生まれた事を知られてない子ども達、国籍がない子ども達、この世に生まれた事が判られてない子ども達。

 悪いけど、施設内家庭育ちの子の事は心配する人がたくさんいるので、何も言うつもりはない。わたしは、どうしても気になる子ども達がいる・・・。

 その子ども達は、捨てられた事を知らない捨てられた子ども達だ。捨てられた子ども達の事を語る人は誰もいない、わたしとMariaはこれからも、誰からも関心をもたれない子たちの事を語りたい。

 その子たちは、かつての自分達だったのだから。

 ★本当はこういう過去の人たちのした事を書くのは、悪い印象をもたらす事を知っている。でも、あの頃を振り返ると、よく自分でも心が持ったなあと感じられ程のバッシングだったと思い返している。だからテキスト化して昇華できればと思い、書きました。
 

|  養護施設にいる間の問題 | 10時58分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

でもだいぶナゾがとけてきた

 Maria、おはよう
 
 虐待をされても、親から捨てられてはいないというところが、施設内家庭育ちの何かを支えていたのだと思う。

 でもその人たちは、捨てられた子の捨てられている表現に傷つく。そして世間に、施設は捨てられた子がいる場所じゃないと理解を求める。

 その行動が、赤ちゃんポストに入れられたまま乳児院・児童養護施設全部育ちの存在を否定する事になっている。

 今、ようやく、施設育ちにも色々いるというが整理できるようになってきた。

 まだまだだけどね・・・。がんばろうと思う。

| Lei | 2008/11/23 06:26 | URL | ≫ EDIT

あの頃の連中に謝罪して欲しいわね

Leiちゃん、
IPの判らない匿名のYahoo!で、彼ら彼女らは、本当に好き勝手なことを言っていたわね。

 その度に、一騒ぎして撃退したわね。

 あんたが、怒りのあまり、消してしまったブログも、二つほどあったわね。あたしは、書きためたブログを一瞬で解約し、なかったことにするあなたに、あなたの捨てられ方のすさまじさを見る思いだったわ。

 あたしも捨てられてけど、「そっと捨てられていた」感じだけど、あなたは、ボロボロ、メチャクチャにされて捨てられている感じよね。捨てられ方を比較しても意味ないんだけど…

 話が逸れたわ。

 あたしも、家庭虐待への関心はないわ。施設で捨てられ続けた子どもたちが、家庭に行って欲しい。ただそれだけ。

 マリーローランサンは、一番哀れなのは「忘れられた女」とその詩でうたっているけど、乳児からいる子どもたちは、社会から忘れられた子どもたちだと思うの。


※マリー・ローランサンの「鎮静剤」のパクリよ

退屈な子どもより もっと哀れなのは かなしい子どもです。
かなしい子どもより もっと哀れなのは 不幸な子どもです。
不幸な子どもより もっと哀れなのは 病気の子どもです。
病気の子どもより もっと哀れなのは 捨てられた子どもです。
捨てられた子どもより もっと哀れなのは よるべない子どもです。
よるべない子どもより もっと哀れなのは 追われた子どもです。
追われた子どもより もっと哀れなのは 死んだ子どもです。
死んだ子どもより もっと哀れなのは 忘れられた子どもです。

| Maria | 2008/11/23 01:45 | URL | ≫ EDIT














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