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「匿名の、相手の判らない人たち」の中で自己主張する事

メンタル整理

 関連自己記事:10年前からずっとずっと施設内暴力について書いてきたけれど・・・

 Mariaの書いてくれたレスの一文に目が【心かな】釘付けになった。何処かで聞いた事があるような一文、フレーズ、キーワード。Mariaのテキストを見て、ちょっと気付いた感覚。

> IPの判らない匿名のYahoo!で、彼ら彼女らは、本当に好き勝手なことを言っていたわね。

 そうかもしれない、Mariaの言うように匿名【覆面】の人々、自分からは情報の見えない人々、その中にいる感覚の時に条件反射のような態度をとるのかもしれない。

 匿名の相手の判らない人たちが、歩いていて偶然、誰かから捨られているゴミを見つけた時、足で踏んづけるか、蹴飛ばすか、建物の裏で火を付けて燃やすか、又はちゃんとゴミ箱へ捨て直すか、どこかに穴を掘って埋めるか、そんな事を気にしても仕方ないと知ってはいる・・・。

 と思う必要のある世界観が馴染み深かった。

 ゴミに捨て方の違いがあるか、実際はゴミはゴミでしかない。と自問自答していたが、最近の風潮で、ゴミ問題を考えるご時世になってからは、ゴミの捨てられ方を問う事自体、物笑いの種ではなくなった・・・。

送信者 Maria's STREET PHOTOGRAPH


 ・・・ところで何故わたしは「ゴミ」というキーワードが取り付いているのだろうか?と考えてみた。




 たとえ話を「ゴミ」で説明する施設職員たち

 わたしは養護施設という場所とYahooブログの匿名のコメントエリアが馴染み深く心の中でリンクしていた。そして、ゴミ箱の中のゴミの最終的な処分方法について、ずっと無自覚に意識し続けていたような気がする。

 最終処分場行きのゴミである当人が、最終処理【処遇】のされ方についての意見を持てば、どれ程バッシングされても、集団から熱病のようにイジられても仕方が無いと知っていて・・・。しかしゴミだって自分の力で克服できる筈だと思っていた【ように思えてならない】。

 「たとえゴミだとしても、社会の迷惑になるゴミになってはいけない」と、何か事件がある度に、誰か大人の人が、子ども達を前に諭していた・・・。

 その人【たぶん職員かな?】は

 「いくらゴミでもなあ、社会から嫌われるゴミになってはいけない、問題を起こすゴミになってはいかん!のだよ」と赤黒い顔で叱咤する世界観があった・・・。なぜかそらんじられるほどに簡単にそのような言葉が、浮かんでくる。当然、それらの言葉に反発するのは捨てられてない保護児童だ。彼らは職員の言葉に反発し、行動する・・・。

 克服感を得たかった?

 随分、乱暴なリンクの仕方をするわたしの脳みそだけど、何故かYahooの匿名性と養護施設とゴミ箱と養護施設での虞犯少年達、家庭から来ては去っていく施設内家庭育ちが、わたしの脳のパターン認識をつかさどる機能が、勝手に繋繋げてしまったらしい・・・。

 帰る場のない自分達、施設の中でもゴミだと蔑まれる感覚を持ち・・・一時的にしか施設にいない、旅の恥は掻き捨てとばかりに、好きな事をしてスッキリして去っていく子たち・・・。後には荒れ放題のドクロのような施設。

 自己主張&意見表明すること

 そしてそれはゴミの行方、ゴミの捨てられ方だけに留まらず、ゴミ自身も何か克服できる筈だと。理を尽くせば、克服できる、今度こそと・・・。

 だからあのような匿名の場所に居続けていていたように思う。自分のようなマイノリティの言葉がまともに扱われる筈が無いのを知っていて居続けていた。その頃「Yahooには他の細々と語る施設育ちも他にいるから、まだやめられない」とか、WolfやMariaには説明していた。

 しかしその子たちの事は実際は関係なかった。単にわたしがその世界で自己主張&意思表明する事を成功させたかっただけ。

 わたしは馴染み深い世界観の中で馴染み深い扱われ方をされている中で、今度こそ、き○がい女の自分のコトバが言葉として通じるようにと、書き続けてた・・・。

 さんざんMariaから「IPが判るブログへ引っ越したらいいじゃない」と言われていたのに、住んでいる地域情報さえない人々が好き勝手に書き込む、馴染み深い世界に居続けようとした【らしい】。ブログが荒れるたびにMariaに嫌な思いをさせてしまっていたのに、わたしはその世界観でこそ、何かを成し遂げたかったようだ・・・。

 自分探しはゴミ箱の中を・・・・

 自分探しの中で「担当じゃないのであなたの事を知らないの、残念ね」と元保母から言われること。
「捨てたゴミの行方を気にする人はいないよ、なのにこのゴミは焼却されるのか埋め立てられるのだろうか、考えるのなんて面白い子だね」と言っていた会社勤めの頃の元彼。
 
 わたし達に「社会のゴミにならないゴミのあり方」を言おうとして不発に終わる職員・・・。何を言いたかったのか、捨てられた子ども達を前に何をその家庭育ちの職員は言いたかったのか??もしかしたら、施設を出た後で、子どもを産んで捨てて、施設の子を増やして「リサイクル」でもしろと??

 あの頃のたとえ話の多くはナゾだらけだった。かといって聖書の意訳も困るし。【ため息】

 ゴミでも犬猫でもない、人間の子の為に

 わたしはゴミのように捨てられたかもしれないが、ゴミそのものではない。人間扱いされた自信がないが、犬猫ではない。

 わたしは、人間の子が赤ちゃんポストに捨てられていること、赤ちゃんポストに捨てられた体験を五感が感じていると思う。話せないけれど、幾つかの愛着の機能が発揮できない事を確認した脳が、その乳児に対して、誰もこの世にいない世界での生き延び方を探らせていくと思う・・・。

 脳というものは、次代の命の誕生が至上命題なのに、生まれてすぐに捨てられたら、一人生き延びることを優先事項にせざるを得ない。そして、無愛着な空間で、愛着のシナプスが発達せず、喪失していく。脳は生き延びる方法を模索するだろう、この事態をどうやって乗り越えようかと・・・。

 【うぅ・・・】 ともかく。

 わたしは様々に自分の心へアプローチして、自分の言葉で自問自答していくつもりだ。

| ├ メンタル整理 | 03時51分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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