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発達延滞:自分の存在理由を問い始めて日が浅いその理由について

養護施設にいる間の問題

 Mariaのレスをじーっと読んで、しつこく又考えてしまった。
 

 
 でも、心に誰もいない子は、
 自分の存在理由を、自分で見つけなくてはいけないの。
 存在理由を見つけ出すために生きる。
 そして見つからず、いつもつぶやくの。
 何のために生まれてきたのだろう…



 嗚呼・・・わたしは何の為に生まれて来たのか、考える事もなく力強く生き延びてきてしまったので、存在理由は考えてこなかったし。ただ、目の前の食料にかぶりついて、目の前の温もりにもぐりこみ、生き延びてきただけ。でもそれって、ただの動物じゃん??という事でもある。



 いつかは問わねばならない自己の存在理由

 ・・・最近のわたしは、ようやく自分の存在理由について考えはじめている。生活が安全になり、交流のある人々も奇跡的に安全で・・・ようやく考える余裕が出てきたのだろう。

 さらに結婚して子どもを産む必要にかられている主婦としては当然考えねばならない項目なのだけれど、結婚しただけでは、わたし固有の存在理由を問う事が難しかった。

 夫からは「自分は何故生まれて来たのか?などという悩みは思春期の頃に終えておいて欲しかったよ」と嫌味?を言われていた。

 夫はわたしに、わたしが生まれてきた意味や理由を教えられないそうだ。そのような思春期の悩みは、本来なら実親から日々の発達の中で獲得するもので、他人のわたしには、彼も彼の親も何も答えられないのが現実なのだ。
 
 だから姑はあれほど「親の顔が見てみたい」と、わたしが育った児童養護施設から育ての親としての答えを期待したのだろう。しかし「社会に出たら自己責任」「担当ではなかった」と言われ、彼女は撃沈したらしい【夫・談】

 そしてその夫は、産まず後家とか、石女は、いらないと姑が言っていると教えてくれたので、わたしとしても、これは条件付絆だと納得している。まるで家付きの就職先のようなものだ。

 絆相手として名乗りをあげてくれた勇気

 そう考えると、よくMariaとWolfは「絆づくり」の相手として名乗りを上げてくれたものだと思う。誰もが「俺知らないよ、俺に振るなよ」とばかりに、わたしから愛着持たれる可能性を勝手に恐れられ【わたし無愛着だから無害ですよ♪】逃げ回られて、気付くと嵐が通り過ぎた状態で、結局、相変わらず誰もいなかった。

 だから2人は、わたしの固有の絆相手として側にいてくれる事は、それは、大人になって訪れた軌跡かもしれない。子ども時代は誰もいなかったし、結婚しただけでも得られなかった【夫婦限定の絆】から、条件付じゃない絆相手となってくれた2人のソウルメイトの存在は、わたしの存在理由になりつつある・・・。

 生物学的親から捨てられた事よりも・・・

 さて児童養護施設に孤児がいないと言われた事で、遺棄児童がいないと扱われ、全ての子ども時代を児童養護施設だけで育つ事の問題を語っているが、さらに大人になって気付いた時に凹むのは、誰からも拾われ【言い方に問題ありなので後で考える】なかった事の方が、ずっと大きい。

 拾われなかったこと、捨てられたことを放置されていた過去に気付いた方が、じわじわと精神を侵食した。生物学的親が実は信用できない大人である事は、人間は弱い生物であると考えるなら、子を捨てる事もありえるという事実へつながり、一瞬は【その事実を聞かされるなどして】ショックかもしれないが、あとは、やっぱり想定の範囲内であり、受け入れられる。

 なのに、何故、捨てられている状態をここまで放置して通り過ぎていくのか、多くの大人たちは・・・。そちらの考えの方がわたしにとっては重要だった。

 今、ソウルメイトに出会った事で、欲しいものが見えてきて、口惜しいやら自分が相手の軍門に下ったような、ムカつくのに疼くような精神的な痛みでいっぱいだ。

 発達障害ならぬ発達遅延

 夫が「そういう悩みは子どもの頃にやっておいてほしかった」という発言はかなりのヒント力。わたしは、発達に関連する多くの事が、フリーズしていてた時期があったのではないのかと思っている。社会に出ただけでもまだ発達が進まず、結婚しただけでも進まず、ソウルメイトとの条件付じゃない関わりを通してようやく「発芽」し始めたように思うのだ。

 夫が言うように、家庭で育ては年齢相応に発達できるだろう。しかし里子は多くの場合、年齢よりも非常に幼い事が問題のひとつ。この位の事はわかっていてほしいという項目が判らない。目の前の身体の大きさにはそぐわない幼さ。【身体の小さいことも多い、大きい場合は又別の捉えられ方をされてしまう】
 
 これはわたしの目には子どもの発達障害のように見えるし、わたしのように大人になって「発芽の兆し」が見えてきた時、育っていかなくちゃならない。これもまた発達に関する重要なヒントのうちの1つではないかと思うようになった。

 なので
 
 里親家庭を望む人々が、小さな子と出会うことをわたしは望んでやみません。

|  養護施設にいる間の問題 | 10時33分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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