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施設の集団生活:わたしが必要としたモノと児相がそれで十分としたモノ

養護施設にいる間の問題

 やさぐれ気分

 管理人Lのやさぐれ気分を指摘してくれたMariaによると、テープ起こしをするのは必要なんだけど、わたしがそれで、職員の言葉に反応しすぎてやさぐれモード全開になるのが困ると知った。
 
 人の話を聞きそうにないわたしが、何故か、聞かずにいられないのはテープ起こし作業。管理人Lというか、自分としても、食いついてしまう施設職員の言葉に、もし反応しても引きずられないようにしたいと思う。

 施設だけでなく、里親家庭で育つかせめて小規模化施設で育ちたかったと思っても、こんな職員の言葉をきくとだんだん気持ちが、施設で集団で鍛えられて根性もついたんだから文句言うべきじゃないというモードへ突き進み、Mariaに迷惑掛けてしまう。



 なけなし

 なけなしの気持ちで、親から捨てられた子ども達には家庭環境が必要だと思っても、わたしは職員の言葉に打たれ弱いので、ちょっと音声聞いただけで、もうダメダメな根性なしな施設育ちへ帰り咲いてしまう。
 
 なけなしでも、理性ではもう何が正しいか判ってるんだから、こんな職員の音声きいただけで元の木阿弥にもどらず、がんばっていこうと思う。

 気付いたらわたしって、かなりな、施設万歳ボーダーなんだと知った。本当は施設や集団生活が嫌で脱走もしたくせに、浪々と力強い職員の野太い声を聞いていると、だんだん今作っている自主性が失われてゆくのを感じる。

 立て板に水な語録

 そんな時、聞こえる幻聴みたいな言葉がある。

 「そうだ。お前は施設があったからこそ根性が身に付いた。よくごらんなさい、家庭の子ども達は自分ひとりで生きられないじゃないの?親におんぶにだっこ、それに比べて施設の子はビシッと集団生活の中で身につけた規律性が、よい結果を表している。

 子どもというものは、集団生活の中で規律を学び、人として社会へ貢献できる人間になるべき、家庭で好き勝手に育てられた結果、わがまま放題、気付けば自分の権利ばかり主張して、それが通らなければ今度は虐待だと抜かすのだ。
 
 施設では、きちんと集団生活に即した規律と集団生活ならではの優位性に基づいた、社会的な人間を育て上げるべく、こうして職員たちは目が回るくらいの指導をしている。

 だから、おまえ達はこれからも施設を出たからこそ、いや、出た事をもって誇りとしてほしい。誰かが居ないとか施設育ちだから、とういうとんでもない甘えに付随した、世の中の偏見差別を自分ひとりで迎え撃ち、負けない気持ちを持ってくれる事を願う。

 以上。」

 施設育ちの自分の心にあり続ける「施設万歳的あほの壁理念」がこうして、自己の内面から出てくるのは自分でも困っている。
 
 何処かの施設の職員の音声をテープ起こししただけで勝手に自分の内面に何かが引き出される、それはたぶん、わたしの出た施設の雰囲気の羅列・・・・。

 こんな感じの言葉がわたしの心に残ってる。これはもう、どうにもならない立て板に水的テキスト化で、よく書けたなあと自分でも驚いている。
 
 わたしの出た施設の職員は、児童を並べてこんな風な訓示を垂れていた。

 変な独自理論を持つ施設職員のテープ起こしをすると、わたしの中に溢れかえっているかつての施設職員達の言葉が芋ずるのように引き出される。

 わたしは、本当に困っているよ、Maria。でも何とかするから。必要な本当の事は上記の中に1つもない。わたしは、里親家庭で育ちたかったから。

 こういうのといつも、施設を出た後でも戦い、それで家庭築くのはけっこう大変なんだ。

 施設職員は、わたしが欲しかった唯一の里親家庭も、あなたには集団養育こそ必要だと言うのだと思う。・・・いや児相は、お前にはこれで十分としたのだろう。

 施設の理念なんてたんなる利権欲しさのくせにと今では思うけれど、わたしは随分時間を無駄にした。無愛着児童を都合よく、アフターケア事業と称して、施設退所後も利用しつづける施設運営。それに乗る施設当事者たち。確かに気付かなければ判らなかった。

 道路族どころじゃない、施設族もあるんだろうな・・・。そしてそれは一施設職員の問題を通り越した、もっと利権に関する問題がこの国にはあると思う。

 ・・・書いたら今度は自家中毒になりそう・・・。はぁ。

|  養護施設にいる間の問題 | 10時18分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

少なくともわたしは自覚してるお馬鹿

 Maria、返事をどうもありがとう。
 
 曰く「殴られる権利があるといいながら子どもを殴る」「情熱的な指導(ホールド)と称して抱きついてくる」「スキンシップ(と称して体をまさぐる)」「性教育と称して自分の性器を見せる」エトセトラ…

 あたしは、図書室に籠って本の虫と化していたから、職員の牽強付会な奇妙な論理にあまり汚染されなかった思うの。内心、この人たち「頭悪い」と思っていたの。


 そう考えると、わたしは成績が壊滅的に悪かったので頭の悪さは自覚はしてた。でも職員は、自覚が全くないものね・・・。

 ところで、わたしの出た施設の元施設長も「子どもに権利があるんだぞ、子どもには殴られる権利があるんだから」と、鼻息も荒く言っていた。大人になってから再会した当時の元施設長から言われた。残念ながら前後の話の流れを覚えてない。ただ、インパクトありのこの言葉が残った。

 どこの施設も同じだね・・・。本当にまあ、良質な大人が居ないのも施設の問題だと思う。

 ・・・長井先生の本を読んでみるね。

| Lei | 2008/12/20 05:45 | URL | ≫ EDIT

牽強付会な施設職員の論理

 施設職員の牽強付会な論理は、いまに始まったことじゃあないの。

 今思うと、あたしの施設の多くの職員は「馬鹿」じゃないかと思う人ばかりだったの。一般社会じゃ使い物にならないから、子ども相手の、それも親が絶対に文句を言ってこない子どもたち相手に、頭を使わない仕事をしているのね。

 いえ、「馬鹿」なりに「理屈」はこしらえるの。だけど、その「理屈」が論理破綻をきたしているから、聞いているうちにわけが判らなくなってくるの。

 以前、千葉県の虐待施設恩寵園の子どもたちの話を聞いたとき、「子どもたちにわけのわからない話をする」というのがあったの。
 「なにか悪いことをしてしかられているうちに、だんだんとなんで叱られているのか判らなくなる」というの。

 恩寵園を出て、新聞配達をしながら唯一大学へ行った子の話だから、信憑性が高いと思うの。

 あたしの施設でも、訳わかんない理屈を、延々と子どもたちに講釈垂れている職員には事欠かなかったの。

 曰く「殴られる権利があるといいながら子どもを殴る」「情熱的な指導(ホールド)と称して抱きついてくる」「スキンシップ(と称して体をまさぐる)」「性教育と称して自分の性器を見せる」エトセトラ…

 あたしは、図書室に籠って本の虫と化していたから、職員の牽強付会な奇妙な論理にあまり汚染されなかった思うの。内心、この人たち「頭悪い」と思っていたの。

 あの「長崎の鐘」を書き、原爆症で死んでいった永井隆先生も、遺作「この子を残して」の中で、自分が死んだあと、自分の子どもが施設に入れられることを心配していたの。そして、施設職員の質を問題にしていたの。
 施設職員になるものは、社会で食い詰めたものや社会で役に立たず施設職員にしかなれなかったものみたいな書き方をしているの。

 戦後すぐの話だけど、今だって大して違わない気がするの。だから、発達心理学や児童心理学、愛着理論を無視した訳のわからない論理が横行するのよ。あと、保険屋が家業をついで施設長になったり…。「馬鹿」でも勤まる仕事だからやっているのかしら…
 それを子どもに刷り込むから、子どもがいい迷惑を受けるの。頭の悪い人は、施設職員にならないで欲しいわ。

| Maria | 2008/12/19 17:47 | URL | ≫ EDIT














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