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Description「施設内マイノリティの自己主張」と「無愛着当人の吐き出し」

このブログについて

 施設内マイノリティ

 養護施設には様々な理由で親が育てられない子ども達が入所している。その中の、養育放棄やネグレクト、遺棄児童、乳児院で育ち切り、養護施設への措置変更の子ども達については、養護施設の中では、長期入所(10年以上)児童となる。この長期入所児童が養護施設の中では少数派となっている

 家庭内虐待から保護された子どもが養護施設に入所している事については、当人たちの声も大きく、世間も家庭虐待の子が施設で何を考えていたかという彼らの声は認識しつつあるようだ。

 しかし、要養護児童となる、乳児院から措置の子や養育放棄児童についての声はまだまだ小さく、当人による声も無きに等しい。捨てられた子と虐待された子、捨てられた上に虐待された子など、まだまだ複雑に錯綜している児童養護施設の内部については語りきれていない。

 なので、元要養護児童で長期入所児童としては、自己主張せずに居られなくなりブログを開設した。ソウルメイト2人や夫との体験話も織り交ぜながら、又、自分の本音をストレートに表現する事で、乳児院、施設から里親家庭へ迎えられた子が、実は無愛着ゆえに、どうしても可愛くないという、問題を真正面から捉えて文字化する事を目指した。



 
 里親にとって里子を可愛く思えない事は苦しい事

 わたしは今年、自分が無愛着な大人である事を認めた。時々リアル世界でも繰り広げているソウルメイトとの大喧嘩の内容は、ほぼ、わたしの推察では無愛着児童を引き受けた里親家庭でも繰り広げられている事とほぼ同じであろうと、感じている。

 そして今年ここへ書き込んで下さった里親さん方、又、今年出会った里親ブログの方々とのやりとりを通して、里子を可愛く思えない事を語ること自体、今まで出来なかったんだろうなと推測している。

 職員は児童が可愛くなくても苦しまない

 施設では、児童が規則にのっとった行動をしてれば可愛くない可愛いというレベルでの問題を問わない。放置されてる事に慣れている子は、集団生活を滞りなく終えて施設を退所していく。養護施設だけで育った児童は、やがて来る結婚生活で、ようやく初めて里親家庭へ迎えられた里子のような問題行動を呈するようになる。しかしそれは自己責任となる。少なくとも自分と接した職員たちはそうであった。

 そして児童の方も流動的な人間関係に何も望むものはなく、一人で勝手に生きていた。

 さらに「職員がもっと向かい合って欲しいとか言ってるのは家庭から来た子の気持ち」であろう。それを読んだり聞いたりした里親さん希望者が【その声だけ】を施設の子の声だと信じるなら、いざ無愛着児童が来た時対処しづらいという本音がある。
 
 このブログの現実

 Mariaのブログと連動しているこのブログ。リアル世界で絆を結び続ける事をこそ目指しているので、わたしが無愛着モードになると、ブログへもその影響が出てしまう。

 時には記事を消したり書いたり、時にはブログをプライベートにしたり、様々な事をやらかしてしまった。本当に読んで下さる方々には日々失礼の連続で・・・。しかし、無愛着な人間が愛着を持つ作業は戦いなのだという現実が自分でも判りつつある。

 キレイ事ではもはや文字表現に限界がある事も知った。知ったが、虚無を表現する為に行動化【アクティブアウト】しては、全てが木っ端微塵になってしまう。

 このブログの目指す方向性

 わたしは自分が無愛着児童であり、かつて学習障害児であり、今も物事の理解に困難を覚えている。そして、人がうまく個別化できない事も、施設時代から持ち越している。そしてこれらの事が結局は発達障害と関連する事ではないのだろうかと、自分自身について考え始めている。

 来年は、乳児院、遺棄児童、養育放棄児童、児童養護施設全部育ち、児童養護施設長期入所(10年以上)、などが、たった一人の大人との関わりを知らずに生きる事について、もっと掘り下げようと思う。里親さんたちが直面する、児童の可愛くない様に、どれ程苦慮しているか。

 また、そんな里親さんのすぐ側では児相が、まるで手ぐすねひいて待っているかのようなプレッシャーを与えている印象がある事、これでは四面楚歌だと感じる。

 なので里親さんを勝手に応援するブログの支流の1つとして、来年もがんばって書いていこうと思うので、何とかキレそうになる読者も多かろうと思いますが、無愛着児童の取り扱い説明書みたいな感覚で、どうぞよろしくお願いします。

 今年は経済的にも苦しい年末となっておりますが、どうか少しでも安らかに新年をお迎えくださいますよう、お祈りいたします。
 
 

|  このブログについて | 06時50分 | comments:3 | trackbacks:0 | TOP↑

あけましておめでとうございます

 Cheeseさん、風邪など引いていませんか?あけましておめでとうございます。
 今年もよろしくお願いします。
 
 わたしもあなたの言葉に時々何か開いてない扉の軋みを感じる事があります。
 その鍵穴に合うキーは過去の時系列の何処に落ちているのかわかりませんが、
 それでも、探し続けているような気がします。

 今から自分が繋がろうとする対象者と、その絆を、自分が生きる「よすが」にしようとする
 事に、何故か後ろめたさのような抵抗感を覚えてしまいます。

 誰もが、誰にも誰もいない世界しか知らず、わたし達はわたしではなく、
 あなた方もあなたである必要はないという、言葉遊びのような概念が渦巻きます。

 わたし達はコンパクトでせまい領域にひしめき合っている世界の外に生きているいるのに
 それなのに、あのせまい領域内でのみ通じる概念に、影響されている気がします。

 いつもありがとう、変な言葉の羅列でごめんね。
 今年もあなたとあなたの大切な方々が平安でありますよう【祈】e-342

 

| Lei@Cheeseさんへ | 2009/01/04 04:57 | URL | ≫ EDIT

No title

Leiさん、こんばんは。
今年一年、息をつめるような気持ちで、Leiさんのブログを読んでいました。今日も。いつも、襟を正すような気持ちになります。

>リアル世界で絆を結び続ける事をこそ

この世界は、世界の誰かと絆を結ぶこと、あるいは結ばれた絆を生きる根拠とすることを是とする世界であり、私とは相容れない世界だと考えていたことがあったことを思い出しました。
今は、絆を結び続けることに腐心する毎日を過ごしています。
絆を通して世界とあらかじめ結ばれている子どもと、何らかの方法で世界と結びつく方法を自身で考えなければならない子どもと・・・いろいろなことを、考えてしまいます。Leiさんの言葉は、何かを触発するような気がします。

どうぞ、良いお年をお過ごしください。
私の住んでいるところは、少し風が強いようです。
それでは。

| Cheese | 2008/12/31 19:40 | URL | ≫ EDIT

No title

 もう、連日記事をたくさん書くものだから、コメントが大変だわ。

 あたしは、Leiちゃんのように考えるスピードでキーボードが動かないから、なかなか書けないわ。

 ブチブチはこれくらいにして、「子どもが可愛い」かどうかを、里親、施設職員の観点から分析したのは、とてもいいわね。

 あたしも、職員から「可愛くない子だね」と言われ続けたから、「可愛くない子」でも困らない職員の立場はよくわかるわ。

 でも、里親さんは、子どもが可愛くなかったらつらいでしょうね。

 そういえば、「可愛くない子を可愛がるのが里親です」とsidoさんがいっていたわ。
 そして、「可愛がっていれば、必ず子どもは可愛くなります」とも…

 ただ、「可愛くなるには、とても時間がかかる子もいます…」と、心情を吐露した言葉をボソッと言ったのには、心中お察ししたのだけど…

 ま、可愛くない無愛着児ふたりで、来年も無愛着をはき出し続けましょうね。来年もよろしくね。

 年明け、あたしを忘れていたら承知しないわよ。 v-206

| Maria | 2008/12/31 01:32 | URL | ≫ EDIT














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