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持つ勇気:持てぬ者たちの平等と持てる者の特権階級について

養護施設にいる間の問題

 特別と特権階級

 特別な存在という言葉自体、恐ろしいような気がするのはわたしだけだろうか。特別な存在=特権階級のイメージが強くて、わたしにはどうもその仲間入りは出来そうにないと感じてた。

 わたしがいた施設では、特権階級がピラミッドの頂上にいて、そこには確かにわたし達と年齢の変わらない施設長の子どもも居たけれど、その子の事は触れてはいけなかった。

 わたし達親のない子同士でけん制しあって「特権階級の子」の子は「わたし達とは違う人種なんだから」と見ないフリをしていた。わたし達には誰も居ないけど、それは親が居ないんだから仕方ないというところに自分の軸足を置いて生きていこうとしてた気がする。

 今わたしは、時間を越えて「特別な関係性」という部分で整理作業を求められている。あの頃、わたし達みたいに捨てられた児童たちは特権階級の子の座は望むべくもないから、見ないようにしようと暗黙のうちに通り過ぎた課題が、結婚したり絆づくりをするにあたって、再び見ざるを得ない状況になった。

 わたしにとって特別な存在を手に入れてしまう事とは、禁を犯す事に等しい。

 わたし達は確かにあの頃、特別な相手がいる子=特権階級だった。そしてそれを、わたし達捨てられた者たちは、誰も望んではならないという暗黙の了解があったと思う。

 わたしはそのけん制の壁を10年もの間越えられないんだと感じる。Wolfの時もMariaの時も夫の時も、わたしは誰もいない状況であり続ける事によって、誰の事も裏切っていない、誰も居ない子たちの暗黙のけん制に縛られていて、他の子たちの事も、わたしは縛り続けているのだと思う。

 児童養護施設は「平等」という言葉をよく使う。でもそれを聞きながら一方では、施設長には奥さんも子どももいて、父親の顔になるのを知っている。

 平等というのは、特権階級があってこその平等じゃないのか?と思うが、思う事すら間違いだと思い、思う事をせずに生きてきた気がする。

 ならばわたしは、居ない者だらけの集団の禁を犯し、平等の泥沼を抜け出て、特権階級と思い込まされたピラミッドの頂点を目指すべきなのだろうか。わたしもあの頃の施設長の子どもが手に入れていたものを、自分も手に入れる勇気を持てるのだろうか・・・。

|  養護施設にいる間の問題 | 07時15分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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