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整理の壁2:自己認識と周囲によるワタシの像は一致しない時がある

養護施設を出てからの問題:問題だらけの問題

 ☆今日の気持ち:わたし達が過去の整理作業をする場所は大抵の場合、家の中や友人たちと共にいる時であって、整理環境が整ったカウンセリングルームではない。

 「自分が無い」という問題

 自分の事を自分で分からない施設の出身者。その理由は固定された相手と出会った事がない為に自己イメージが画けない。又、子ども集団、複数の大人という複雑な人間関係の中で、相手によって自分のイメージがコロコロ変わるので定着もしない。

 今でこそブログで強く自分を打ち出して発信しているけれど、まだまだリアル世界では相変わらず「自分が無い人」とのありがたくない評価を受けている。




 前回の記事に出てくるシチュエーション1つ考えても、自分が分からないので簡単に他人によって画かれる自己像を、自分のイメージだと感じてしまう癖もあった。これでMariaの冷静な判断が無ければ、わたしは考える事すらしないだろう。

 自分が人生につまづいている以上、過去の育てられ方に原因の一端が【全てとは言わないし、虐待の可能性だけを考えているのでもないが】あると思う。

 「流される」という問題

 わたしは「自分が無い」にも関わらず、相手の意見に流されてしまう事が多い。違和感を自分の中に持っていても、相手が自信たっぷりに言う時、何故か考えもせずに相手に合わせてしまう面がある。

 そうすると整理作業の方向が間違ってしまう恐れがある。自分の過去が見えない児童養護施設全部育ち【というか長期入所児童10年以上】の自分としては、カテゴリ違いの家庭育ちの夫の意見に追従すればするほど、整理作業が遠のいていく事を理解しておきたい。

 自己像を描く事に焦ってはいけない

 夫はわたしを地味で大人しい=家庭的とカン違いしていた話は書いてきた。しかしその実態は、他人に自分の気持ちを語る発想がない、地味なのは喋らないから、大人しいのも同じ=施設育ちなのだから家庭的ではない。という事だった。

 わたしは夫から「貞淑で家庭的」というイメージに合わせる為に苦労したが、元が無愛着なので続かなかった。これらの事から、他人のワタシ像と自分が感じる自己像は必ず一致するわけではないという事も認識しておきたい。

 家庭から虐待で入ってきた子は自己評価が低いといわれがちだが、施設長期入所児や全部育ちは評価すべき自分もないのだ。わたしは自己像を定着させたいと焦るあまり、何にでも飛びついてしまったように思う。

 心の整理や過去の整理をする時に、周囲にいる人がどのようなタイプの人たちなのかを考えに入れて整理する必要があると思う。とくにカウンセリングを受けた事が無いわたしの場合は、周囲の人との雑談の中で簡単に自己像を描いてしまうのだという事が分かった。

 MariaとWolfが何故わたしの側にいる事を最初の段階で選んだのかは不明だけど、側にい続ける事を選んだのは、お互いに選んだ結果。わたしがどんなワタシでも側にいてくれる事に今更ながら感謝している。

 以上 

|  養護施設を出てからの問題 | 07時05分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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