PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

記憶の仕方は脳だけに寄らない事を自分なりに文章化

養護施設にいる間の問題

 は一部しか記憶できない

 むしろそれ以前は、がまだ未熟な頃は、つまり、生まれたての赤ん坊はだけに記憶を委ねる事はできないと思う。その代わり、全身が情報を受け取るセンサーになってる?

 わたしは小さい頃から施設の子はがざらざらしてる気がしてた。施設にはがお世辞にもきれいと思える子が少なく、常に何かしら、をなめらかにするユベラ系軟膏を必要としていた。

 大人になった今、わたしは手入れしないで放置したままのが懐かしく、たまに手入れしたが信じられない程潤う事に気付いて、妙に虚しくなった。手入れといっても難しいもんじゃなくて、自分の手のひらでさするだけ・・・。養護施設ではわたしは、小さい幼児さんをさする発想がなかった。
 



 生後二年以内の虚無

 遺棄されて乳児院に入れられた子が2年程経て里親家庭へ迎えられても、2年を取り戻せるとは思えない。生まれてから2年も乳児院にいたら、乳児は人生の子ども時代を終えたに等しい。その後里親家庭へ迎えられても、ほぼ、治療過程を経るようなものになってしまう可能性が大きい・・・。

 だからが覚えてる

 わたしは冷たい飲み物や、冷たい床や、雪や、氷河や、ガラス細工やらにとてつもなく惹かれ、夫はふんわりしたソファや、身体を包み込むような毛足の長い絨毯や、手作り感のあるカーテンや、何よりも身体を温める暖かい飲み物が好き。
 
 夫婦でありながら、森林限界ならぬ生息圏限界のボーダーを感じてしまうほどに、互いが好ましいと思う温度や生き方が違う。これはハードマザーとソフトマザーをそれぞれに持った夫婦の価値観の違いにまで発展すると思う。

 わたしは、赤ん坊の頃の記憶があるわけではないけれど、赤ん坊の気分なら、ファンタジーで語れるエリアがあるならいくらでも語れる気がする。ただ、そういう場所を作ってないので難しい。

 ハードマザーのイメージの世界で生きてた自分でもさすがに考えてる。本来、乳児は生まれた時に抱き寄せてほおずりされて、その小さな身体を大人の大きな手のひらに包まれて初めて、それが「生まれてきてくれてありがとう」のメッセージになるのではないか?と考えつつある。
 
 今現在のわたしの考え
 
 生後3年近くも乳児院にいたのにこの世界から祝福されたと思うほど乳児はお人よしじゃない【なんか変だけど】乳児が乳児になる為には相対的な大人役割の人が必要、・・・いや、絶対的な大人が。

 大人がいないのに乳児になれますか。
 誰も居ないのに追い求められますか

 だれもいない人生を約束されたかのような乳児院すべて育ちを無くしたい。
 児童養護施設もだけど、乳児院全部育ちも、無くしていきたい。

 ただ、そう思う
 
 そして今後

 その後は生後~2年の間、家庭で育ち施設に入った子と乳児院から来た子は何が違うのか、感覚的に違う乳児の気持ちを、いつか、知りたいと思う。

 

|  養護施設にいる間の問題 | 05時08分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/865-4bfa96fb

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。