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心:流転の環境しか知らない乳児や児童の馴染み感と安定について

養護施設にいる間の問題

 馴染みと安定

aqua
 
 乳児や幼児や児童は生まれた直後に提供されている養育環境に馴染んでしまう。それは子ども一人生き延びる為には仕方ない現実である。だからこそ、その乳児が生まれたらすぐに里親家庭へ委託してほしいと日々思っている。

 何故なら児童養護施設への措置移行に入るタイミングとされる2才~3才までの長期間、乳児院で育ち切ると、乳児院の環境を自分の世界として受け取ってしまい、後に里親委託をされても一人の固定された大人に愛着が付き難いからだ。乳児にとっての数ヶ月は児童のそれよりも凝縮されている。
 
 児童養護施設全部育ちという感覚があるように、わたしとしては【個人的には乳児院育ちではないが】乳児院で育ち切った子には、乳児院全部育ちという感覚が人生の根っこの部分にあると思えてならない。ただ彼らはそれを言葉ではなく、大人になっても生き方で表現しているのではないかと思う。



 建物の中の旅
 
 シセツにいた頃に毎年毎年部屋替えがあった。担当も構成する部屋のメンバーも全てシャッフルされ、新しい子が外から来る、それはわたしが他のシセツでも体験していた事なので、シセツ独特の恒例行事だったと言えるだろう。

 たとえ建物が同じでも、その建物の中では、毎年、一緒に過ごす人がシャッフルされ続けていった。その環境に普通に馴染んでしまっていたので、流転の生活をしているという自意識もなく定着していた。

 人も自分も互いに流れゆく存在であるという生活が人生の出発点なら、旅の中の自分に理的にも定着してしまうと思う。そして定着したら、次に安定感を持つのだと思う。そしてその生活を修正しなければならなくなった時、実は流転の中に依存していることにも気付かされるのだ。

 体内カレンダー
 
 だから一度目のシセツ、二度目のシセツ、三度目と、単純に意識化しふり分ける事はできなかった。わたしにとっては一年ごとの部屋替えのタイムテーブルの方がしっかりと身体と感覚に刷り込まれていた。

 だから日本の何処のシセツをたらい回しにされたとしても、一年ごとのカレンダーはその間もしっかり刻み続けていたし、次のシセツでも何ら変わる事無く過ごすことができたと。

 それは当たり前だと今なら納得できる。建物の中で流転している限り、何処の地域のどのシセツを回されてきたかなんて何の関係もなかった。だからわたしは乳児院と児童養護施設が同じ敷地内だからといって、子どもの流転が終わるわけではないと知っている。
 
 しかしそのような流転が当たり前の環境下で体内時計やカレンダーを作ってしまった乳児が、2年や3年経ち「自分にとって世界とはこの環境なのだ」という感覚が育ち切った後で、急に里親家庭へ委託される事は、流転に定着してしまったにとっては非常に辛いことではないかと感じる。

 その時から里親家庭へその子が馴染んでいけるかどうかの戦いが文字通り始まるのだと・・・。

 もう流転ではない固定された相手と固定された場所で、ずっと一緒に過ごさねばならなくなった時、子どものは又、全てを書き換えなくてはならなくなる。

 環境により作られた無愛着児童たち

 流転に定着し流転に安定しそれが慢性化しているオール施設育ちは人の別れにいちいち意味を持たせないし嘆かない。そして嘆かないオール施設育ちの感覚に対して我慢できない怒りをどうにか制御しながら親をやっている里親さんもいる。

 そして里親の問題として挙げられる事に里親不調というのがあるが、ここまで乳児を集団の中に放っておいて、一人で生きると決めた子を、後の祭りのように家庭へ迎え入れ、上手く愛着が作れないと一方的に里親不調だと里親を責めるような傾向になっているような気がする。

 「大人の家庭不調寸前の」自分は、最近、施設&集団に馴染んでいる子、というのは、施設に馴染むように作られた子ども達なのではないかと思っている。環境によって作られた無愛着という感覚があるのだ。

|  養護施設にいる間の問題 | 02時07分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

無愛着も作られる

 Maria、ボーボワールを今度読んでみる。わたしはゲーテは読んでたんだけどねぇ・・・。
 無愛着の作り方は簡単、放っておけば勝手にそうなる。とほほだね。

| Lei | 2009/02/04 04:55 | URL | ≫ EDIT

人は無愛着に生まれるのではない…

 Leiちゃん、
 ボーボワール女史は、「人は女に生まれない、女になるのだ」と言ったけど、あたしも言いたいわ。

 人は無愛着に生まれるのではない。無愛着になるのだ。

| Maria | 2009/02/04 01:03 | URL | ≫ EDIT














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