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謎:生まれた時の事を語ってくれる人が誰も居ないから過去を探す

養護施設を出てからの問題

 あなたが赤ちゃんだった時のこと

 「あなたが生まれた時の事、あるいは赤ちゃんの頃の事を知ってくれてる人がいるのってすごい事なんだよ」と夫に言った事がある。

 夫は「ふぅ~ん、そんなん普通だよ」とあっさりきっぱり答える。

 夫の生家に行くと、姑の昔話がすぐに始まる。夫が小さな子どもだった頃だけではなく、赤ん坊だった頃の事を延々と話す。夫はその間、まるで赤ん坊のような表情?で、母親の話を受け止めている。わたしは毎度のことながら、親と子の情報の双方向伝達をボーっと眺めている・・・。わたしはそれを密かに夫の精神的な赤ちゃん返りだと位置づけていた・・・。

 わたしは気づいた時には児童養護施設にいたので、わたしの事を語る親はもちろん、親戚縁者誰一人いない。姑がふとわたしの視線に気付いて話を振ってくれた【振らんでいいのに】。

 「あなたもお母さんが苦労して生んでくれたんじゃない?」と訊ねてきた。姑がごく当然と思う親の思いは、全ての親に共通の、あらかじめ不変とされなければいけないものだった。しかし姑さん、わたしの生物学的親は、あなたとは違う・・・と言えなかった。



 ・・・わたしはとりあえず曖昧に笑うしかなかった。夫はマッタリと幸せそうな顔をしているので、この微妙な間に気付かない。それからわたしは、自分が生まれた時のことを語るのは、親子の間の温かい空気に水を差すようで、今となっては何となく言いづらい。【これも後付け。最初は温かさも冷たさも判らず語っていた】

 まるで世界中に1つ、夫だけに物語があると感じた

 嫁として、夫と姑の親子話を隣で聞き、わたしは彼だけに物語が存在していて、わたしはこの世に存在していないような気持ちになっていた。姑のような、子への思いを持つ親だけではないと主張しても、たんに場の雰囲気を壊すだけなので、何も言えなかった。

 わたしは自分がこの世に居ない気がしていたが、生んだ親が子の育ちに責任を持ち子育てを完了した物語のフィナーレまで聴き続けるのも嫁の仕事のような気がした。

 わたしの物語は児童票に残されて・・・

 わたしは姑に「わたしの記録はきっと児童養護施設に残された児童票にあると思います」と言った。姑は「母子手帳のようなもの?」と逆に質問をしてきた。わたしは、児童票=母子手帳という姑の逆質問に少し驚き、そのまま思考が固まってしまった・・・。

 でも、少し経ち、何とか言った。

 「わたしに関する記録はただの資料なんです、母子手帳もそうなんですか?」と聞いてみた。姑は「はあ?何故我が子を資料にするの?資料にする必要はないわ、私があの子の事なら全て覚えてるんですから。まるで実験動物のように言わないでちょうだい」と叱られた。

 ※後に恩寵園の裁判&二葉園の裁判で、当時の児童の記録である児童票の扱われ方が問題児童であるかのような証拠として提出されているの見て、わたしはわが身に振り返り鳥肌が立つ思いを持った。あの裁判の時、資料じゃなくてのちの裁判の証拠として、あらかじめ児童票が残され続けるという、念の入れようのように感じて恐怖を覚えた。

 姑には「資料やデータ」の類は受け付けられないかもしれない。わたしはそんな、ふとした姑との会話を通して、自分にはいかに誰も居なかったかという事を感じさせられた。

 わたしは人の記憶に残らない、わたしは人を記憶に残せない。でも施設での資料・記録はどこかに保管されているのだと思うと、姑が実験動物という表現をしたことは、当たらずも遠からず・・・。

 元・無愛着児童のわたしは資料をかき集めて、自分の全体像を把握するしかない。姑親子のような、共感のレベルでは、わたしは過去を語れない。
 
 

|  養護施設を出てからの問題 | 10時16分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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