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仮:生物学的親が里親家庭委託への了承のサインをしてくれたら

養護施設にいる間の問題

 仮の話は好きではないけれど・・・

 感謝できるとしたら

 物心付く前に、生物学的親が里親委託への同意サインをしてくれて、里親家庭でたった一人の子どもとして育てられた後でなら、感謝できるかもしれないと思った。

 ・・・これは施設で全部育った者としての、しかもわたし独自の本音だから、もし元里子がこれを読めば反発してしまうかもしれない。

 


 里親家庭へ迎えられても、無愛着児童だから里親と心の部分で上手くゆかないと思う。でも、少なくとも里親は、幼い頃のわたしを施設にそのままには出来なかったから里親になってくれたと思えるし、生物学的親も生みっぱなしにしなかったのだと解釈できるし、又、児相も、家庭で育てる事ができるように心を砕いてくれたから、今の里親との縁があると思えるだろう。

 思春期などには悩むとしても、悩みさえせずに社会へ放りだされていく施設全部育ちよりは人間味のある悩みと感じたと思う。【あこがれの入った独自目線です・・・】

 「育ててくれた人が実の親じゃなかった事に苦しむ里子のドラマ」も切ないのだと思うが、わたしの場合は、育ててくれたも何も・・・施設全部育ちだから何も言えない。

 もし生物学的親が、捨てっぱなしにせずに里親委託へのアクションを起こしてくれていたら、里親家庭で育てられたという事と、生物学的親の行動を見極めて、親なりに努力してくれたと思えるだろう。

 あくまでわたしにとってはフィクションだから、実際の里親子家庭からは、全く実体を判ってないと叱られそうだけど、でも、「生んでくれた親に感謝」する要素として、やはり生みっぱなしじゃない、もう1つの何かアクションが必要だったのだと思う。その態度を通して何かを感じるのは当人しかいない。

 里親家庭への憧れは家庭を肯定することに繋がる

 1人の施設全部育ちが里親家庭にあこがれる事を、他の施設体験者や施設途中入所児からけん制された時、間違っているは自分なのか?と悩んだ事もあった。

 でも、今家庭を築いていて、主婦をやっていて、家庭生活に憧れも持たずに家庭の主婦をやる事は非常に心理的な困難を伴う。施設育ちも家庭を持ち、子どもを育てる段階になった時、

 「誰も迎えにこなかった、誰とも出会いが無かった、施設に捨てられたままだった」

 という現実はどんな風に気持ちを誤魔化しても誤魔化し切れない。きっと八方塞になる。もし将来結婚もせず、子も生まず、心象風景のままに生きるとしても世間の中で生きていかねばならないのは同じ。施設の非常識を世間にふりまいていると誰からも【仕事上も】相手にされなくなる。

 コウノトリは本来赤ちゃんを何処へ届けるの?

 さて、そういう捨てられた子ども達の現実を前にして、生んでくれてありがとうとはとても言えない。生みっぱなしで赤ちゃんポストに捨てる親、名乗りもせずに消える親、名乗らない事をいい事に乳児院へ次々運ばれてゆく赤ん坊たち。あとはエスカレート式に児童養護施設へ・・・。

 コウノトリは本来、子を待ちわびる両親・里親(養育者)の元へ赤ん坊を届けるのが仕事だと知った。だから赤ちゃん待望の世間の声に対して、当時皇太子さまが「コウノトリのご機嫌次第」とコメントしていたのだ。あの当時は何を言ってるのかわからなかった。

 生まれて来たという事は、将来、生むことになる【あるいは生まなくても養育者となる】可能性があるということ。

 ・・・そこを根本的に否定されたままの気分にさせるのが施設で全ての子ども時代を育つということだ。Mariaがレスしてくれた時、ふたりのおかあさんから、あなたへのおくりもの」という本を紹介してくれた。NHK朝の連続ドラマ「瞳」で紹介されていたそうだ。

 この本をまだ読んではいないが、ともかく、施設で全ての子ども時代を育つという事は、誰もお母さんがいないということでもあるのだ・・・。

 以上。

|  養護施設にいる間の問題 | 01時39分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

グループホームとファミリーホーム

 森人さん、覚えています、お久しぶりです。いつでも思いついた時にメモを残して下さいませ。

私は実はファミリーホームを全面的に賛成とは言い切れないでいるんです。
と言うのは、普通の核家庭なら愛情たっぷりに育てられるのはせいぜい3人が限度だろうと思っているからなんです。


 大舎制児童養護施設が「人間的になり、グループホーム」の形態になり、里親が「もう少し効率的になり、ファミリーホーム」の形態になりという風に、わたしは捉えているのです。

 森人さんのおっしゃるように、親から遺棄されたり虐待された子は、おそらく発達の遅れのリスクの高さなどからも、じっくりと向き合える環境が必要だと思います。常に人が流動する状況に子は敏感です。
 
 ですから、わたしも森人さんのおっしゃる事に共感を持ちます。社会的養護下の子どもの最低基準に抵触する、職員1人に対して児童何人と同じエリアで里親家庭を語ろうとすると、効率的になるしかないと思います。

 その流れですが・・・

 でも、時々夫から、家庭でも「大家族の子ども時々10人くらいいるぞ」と言われました。

 これが次のテーマです。血縁の10人と非血縁の10人、何が違うのかと考える事で、その違いもおのずと分かる気がするのです。

 これからも整理しますね。

| Lei | 2009/02/21 10:13 | URL | ≫ EDIT

ファミリーホームに思うこと

こんばんは。
久しぶりにコメントさせていただきます。

> たった一人の子どもとして育てられた後でなら・・

この想いに共感を持ちました。

今、私は養育里親として二人の幼児を育だてさせてもらっています。また週末里親としても6歳7歳の二人の兄妹を週末だけ面倒見させてもらっています。

私は実はファミリーホームを全面的に賛成とは言い切れないでいるんです。
と言うのは、普通の核家庭なら愛情たっぷりに育てられるのはせいぜい3人が限度だろうと思っているからなんです。
施設から、より家庭的な養育への流れにはもちろん賛成なのですが、小規模施設であっても施設経営者としての感覚に陥ったりはしないだろうかと心配してしまうんです。

自分は養子目的里親ではないのですが、縁あった里子を我が子と同じように育てたいと思っている者です。
一人の里親が多くの子どもを育てるより、多くの里親が適度な人数の子どもを育てるような制度の方が好ましいと思うのです。
そういう意味で、ファミリーホームを推進するよりも養育里親を増やすことこそ力を注ぐべきだと考えているのです。

突然の書き込みごめんなさい。

| 森人 | 2009/02/20 21:34 | URL | ≫ EDIT














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