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捨:「絹のおくるみ」も「はだかんぼう」も実質的には・・・

養護施設を出てからの問題

 ★これは又、施設出身者の方のレスの中にあった「実質的には捨てられている」という部分について、レスへのレスをしたのだけど、例のごとく文章が膨大になったので親記事化しました。Nさん、反応しすぎだとしたらごめんなさい。

 孤児院では実もフタもない

 は「家庭で育っている人は常に周囲と比べられて生きていた」と言っていた。この家系が周囲の恥にならないように、生活保護を受けるなんてもっての外と言い切る。生活保護受給を下層の者に転落する事と位置づけ、そのような状態に一族の1人でも陥る事を代々許さなかったと言っている。



 だから彼の言葉の端々に・・・

 「簡単に生活保護を受ける」「簡単に子どもを施設へ捨てる」と、社会的養護を受ける人の事を漠然と表す時、どこか憤りに近い感情を込めて、そのような表現となってしまう。

 本音のところ、一般家庭で育った彼は、今では養護施設の児童というのは、いとも簡単に誇りを捨てた大人たちから捨てられた子という印象を持ってしまったらしい。【わたしの表現の影響ではないと思う】

 「でもそれでは実もフタもないので、児童養護施設という曖昧な言葉が出てきたのかな?」と言っている。家庭の人にとって孤児院という表現は実もフタもないという感覚?と個人的には興味を持った。

 ただ・・・もし補足する部分があるとすれば、現時点では児童養護施設には捨てられた子のほかに、親はいるけど虐待を受けたり、不適切な養育環境の子がいるので、児童養護施設という言葉も現実的な意味合いを持ってしまっているという点は逃せない。

 火消しに走ろうとした姑さん

 結婚当初は、彼はわたしが児童養護施設を出たと言った時、養護施設という言葉からは孤児院のイメージを見出せず、案外気楽に結婚できたそうだ。でも前身が「孤児院」だったと知り、多少は傷つき感【わたしから騙された】が生じたそうだ。

 一方姑さんは火消しにおおわらわだったそうだ。恥と思う下層の人が嫁に来たと言えずに帯状疱疹にまでなったそうだから。

 彼女は、自分の息子と結婚した嫁がそんな出自ではやり切れないと思い、わたしの出身を「公家の出のお嬢さんだがワケがあり施設へ入っている。なので、披露宴には彼女の親戚縁者は出席できない」と言おうとした【← 未遂におわったらしい】。でもシナリオライターでもないので、それは無理な話だった。

 絹のおくるみだろうが・・・

 姑は「いくらなんでもまるでゴミのように子を捨てる人はいない」と思っている。しかし現実的にはそのような扱いの末、乳児院児童養護施設へ送られる子たちがいる。

 すると今度は「いや待ってちょうだいよ、あんたもただ施設へ入れられたのではないのよ、何か、よくよくの事情があってのことでしょう?」と言い出す始末。
 
  捨てられ方によっては希望が見出せるとでも言いたいのか?姑さん。と内心思いながら、卒園後に会った時、ある保母が言っていた言葉を思い出した。

 「○○ちゃんって覚えてる?あの子はね、絹のおくるみに包まれて乳児院に捨てられてたそうなのよ」と。絹のおくるみだろうが何だろうが名乗り出ずに捨てたままなのを、どう言い訳したいのかさっぱり分からなかった。

 いや、「絹のおくるみに包んでおけば」子を捨てたままにしておいてももいいのか・・・。

 姑の言葉は、その時の保母の言葉へ自然に繋がっていった。でも捨て方がどうであれ、捨てられた事には変わりがない。孤児院を児童養護施設と言い換え、施設へ捨てる事を預けると言い換え、赤ちゃんポストコウノトリのゆりかごと言っても、家庭で育った事が一度もないのなら、実質的には捨てられていたという事ではないかとわたしは思うのだ。

|  養護施設を出てからの問題 | 06時34分 | comments:1 | trackbacks:0 | TOP↑

言い換えて、本質をごまかす日本文化

 いま飲酒で辞任騒ぎのある人がいるけど、「酒を飲んだのではなく、たしなんだ」なんて言っているのね。

 ホント、日本的なごまかしだと思うわ。

 「子どもを捨てた」

 「子どもに会いに来ない」

 「子ども時代のすべてを施設で育つ」

 これらの事実には目をつむり、「捨てたときの状態」で子どもを捨てた親を美化しようとするの。

 「捨てた親の悪口をいわない」のが里親のたしなみのようだけど、施設でも、捨てられた子どもに幻想を持たせ続けようとするの。

 育てきれずに死んだ親ならいざ知らず、子どもを捨て、どこかでのうのうと生きている生物学的親を美化するのは、この流れなのだと思うの。

 あたしが生き続けようと思うのは、捨てた親に対する意地なのかもしれない。

 生物学的親に無関係にあたしは生き抜く。
 生物学的親を必要とせずあたしは生きる。

 絹のおくるみに包まれて捨てられようが、
 裸でゴミ箱に捨てられようが、
 捨てられた子どもに変わりはないの。

 赤ちゃんポストができようができまいが、

 子どもを捨てたい人は捨てるのよ。

 単に、きれいなゴミ箱で再生するか、
 野ざらしにするとの違いで、
 子どもを捨てる事実には変わりがないの。

| Maria | 2009/02/22 10:36 | URL | ≫ EDIT














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