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解:1つの家庭が虐待をした時この世界から家庭を無くしてほしいか?

養護施設を出てからの問題

 ・・・しかし、1人の子どもが全ての子ども時代を児童養護施設だけで育つ現状を受けてそんな児童養護施設は無くなってしまえっ!という本音を、控えめながら本当は、わたし個人は持っている。でもそれでは、あまりに乱暴なので、最近は本音はともかく「子どもにとっての最善の利益」という考え方をしようと努力している・・・しかし、その辺【あたり】のデトックス記事を、まま書く事もある・・・。


 使いまわせない表現
 
 ブログを書き始めて11年目に突入。元々は darkness dragon 【何故かデッドリンク??】というサイトから出発した。Yahooブログで戦乱を体験し、その間、施設育ちや施設体験者や元里子のゲストが現れては消えていった。

 でもあの頃から、彼らが言いたい事は大体同じような内容だった。

 「1つの施設が悪い事をしたからといって全ての施設を敵のように表現する事に対して、悲しく思います」というようなものだった。

 あれから11年

 最初はサイトの内容について「虚言」だの「作り話」だの「100%真実とは言えず・・・」など言っている人もいたが、やがて世の中が児童養護施設内虐待について「虐待が起こり易い場所」として認識するに伴い、ゲストの反応も変化してきた。

 さすがに「施設に虐待はない」とか「あなたはうそを言っている」とか言わなくなったが、今度は「1つの施設がそうであったからといって全ての施設をそう思わないでほしい」と言い出した。

 この手の発言にうんざりするほど接してきているので、最近はいちいち答えていない。

 養護施設だけで育つ事と施設内虐待

 わたしのブログは、長期にわたる施設生活の後遺症である無愛着に関する記事の出現率が高いのでレスコメントはその手のレスは少ないが、Mariaのブログは真っ向から施設内虐待を取り上げているので、今も、昔ながらの陳腐化レスコメントがついてしまう。

 本当は答えは出ている?

 わたしは「1つの家庭が虐待をした時、この世界から家庭生活を全て無くし、この世界で生まれた子どもは全員乳児院や児童養護施設へ入れるべき」と言い出した家庭全部育ちの意見をいまだ聞いた事がないし、そのような研究資料も見つけた事がない。【どっかから怪しいソースを持ってくる人が居た事はあるが・・・】

 つまり、子ども時代の全てをどこで育つかという問題については、本当はとっくに答えが出ている。この世界の社会は、家庭という単位が最小単位だ。当然、捨てられてしまった子には家庭が与えられて然るべきト思っている。

 わたしとMariaのキーワードは「子ども時代の全てを乳児院・児童養護施設だけで育つ事の問題」を提起しているのであって、施設内という塀の中の家庭的処遇導入や、施設の待遇をグレードアップすることには興味が無い。【そりゃ子ども達が住みやすくなるのはけっこうだが】
 
 「家庭を体験した事がない」「全ての子ども時代を施設だけで育つ」事を土台として、施設内虐待の問題をはじめ、発達障害、愛着障害、社会的排除の問題、全てに波及している事を語っている。

 わたしも「たかが施設で育っただけじゃないの」とMariaに言っていた。でもその「たかが施設の影響を受けて、家庭を作れない」という事については、考えたくなかった。施設を否定する事になるし、自分の過去を否定する事になるから、できなかったので、時々施設全部育ちの苛立ちも分かるが、分かるからといって、自分の出した解から逃げたくないと思っている。

 虐待のない施設で育ち高校も出たわたしという存在

 わたしは施設での虐待を覚えてないし【今の人生に影響する程の重い虐待という意味、体罰などは普通にあった】、わたしが出た後も自分の出た施設の虐待話は一度も出ていない。その上、わたしは施設から高校も出る事が出来た。だがわたしは施設で全て育った事を感謝できない。

 むしろ高校まで出ていながら【年齢的に中卒よりも高い分、周囲の目もさらにシビアになる】、家庭で一度も育った事がない、電車の乗り方1つ知らない、スーパーで買い物した事のない社会不適応者が輩出されただけだと認識している。

 これからもわたしは考えてゆきたい。

以上

|  養護施設を出てからの問題 | 11時56分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

迷いながら歩いています

Leiさん、Mariaさんには大変失礼な物言いをすみませんでした。
私の施設も虐待施設じゃなかったものですから反応しました。

Mariaさん、私とLeiさんが同一人物の別の人格と思っていたなんて驚きました。ただお2人には少し影響を受けていると思いますが違います。

MariaさんがLeiさんの施設の事を説明していますね、でも私は別にその部分はどちらでも良いです、虐待があっても無くてもどっちでもいいんです。施設では普通に体罰があるし、普通に異常な部分もあると思いますし、ただ、Leiさんにとっては施設を嫌うだけの特別な理由が思い当たらなかったのに、施設で育った事を肯定できないという気持ちを何をきっかけにして、そのようになったのかしら?どうやって気付けたのかしら?と疑問を持ったんです。

そんな新聞に載るほどの虐待がない施設だというだけで、羨ましがられる体験もしていると思います。私もそうですからわかります。私も迷う一人です、皆から羨ましがれている施設で育った自分とどうやって向き合い、どうやって生きていけばいいかも判りません。

最近の私も施設で育った事に負けそうですし、誇りも持てなくなってきてます。誰もいないけれど世間に見返してやれと思って生きてきました。でもそれでは世間を敵視してしまいそうになって自分を恐ろしく感じます。

オール施設育ちの中でも、とくに虐待を受けてないという事で普通の家庭の人からも羨ましがられたり職員から羨ましがられたりしているうちに、自分が見えなくなっていく気がしていました。

語りの邪魔をしてすみませんでした。答えなくても答えても何でもいいですから書き続けてみて下さい。草葉の下で応援しています。

ナユタ

| Nayuta | 2009/03/08 06:17 | URL | ≫ EDIT

語っているからといって・・・

 Nayutaさん、こんにちは。わたしは以前お返事をいただきながらもあなたの言葉にどう返事したらいいものか?と思案にくれていました。

 でもMariaの返事で、ああそうか、あなたの紡ぐ言葉はわたしに少し似ているのかな?と思いました。とはいえ今のわたしはあなたの言葉に1から10まで答える義務も責任もない立場ですので、自分が答えられる範囲で答えていきます。無理はしたくないのです、色んな意味で。

 今は少し言葉が浮かびませんので、少し時間を置いてから答えられそうでしたら答えようと思います。もう少しお待ち下さい。

 ただブログで語っているからといって何もかも気持ちのままに語っているわけじゃありません。収拾が付かない心の部分、整理が付かないままの手付かずの範囲は、ブログでは語りきれません。

 そこだけはお伝えしておきます。

 

| Lei | 2009/03/07 18:11 | URL | ≫ EDIT

記憶がないことは「虐待がなかった」ではないの

Nayutaさん、こんにちは。

 あたしは、実は、NayutaさんがLeiちゃんの別人格かな?と思っていたので、特に気にしていませんでした。でも、IPを確認したら、別人であることがわかったので、返事をさせていただきます。

>わたしは施設での虐待を覚えてないし【今の人生に影響する程の重い虐待という意味、体罰などは普通にあった】、

> 「そんな風な施設の子がいたのか」という驚きと羨ましさと軽い憎しみに近い、焦燥感など感じるのではないでしょうか。

 Leiちゃんは虐待も含めて施設での記憶がほとんどありません。

 だけど、記憶がなくても、トラウマ症状は出しまくっています。トラウマ症状から、様々な虐待が想起されます。Wolfさんは、Leiちゃんの行動や反応パターンや語る言葉から、過去の虐待をイメージし、その整理につきあい続けています。

 Wolfさんは、Leiちゃんの施設の虐待のすさまじさに、施設の近くの小学校に行き、校長に事情を話したそうです。校長は、過去に性的・暴力的なトラブルを学校で起こす施設の子たちが少なくなかったことを言っていたそうです。

 何もない施設なんてありません。すべての養護施設は、児童間暴力・性暴力のリスクにさらされていますし、被害に遭う子どもも少なくありません。そして、悲しいことに加害者に変わる子どもも…

 だけど、すべて隠蔽され、なかったことにされています。施設内虐待でマスコミ報道された施設は、ほんの一部でしかありません。

 Leiちゃんの施設も、たまたま新聞報道されなかっただけです。レイプや暴力が日常茶飯事の施設でしたけど…

| Maria | 2009/03/07 09:44 | URL | ≫ EDIT

羨ましがられてしまうと思います

 Leiさんの言葉はある種の傷に敏感な施設の子には激痛を与える場合があるみたいです。

 わたしは施設での虐待を覚えてないし【今の人生に影響する程の重い虐待という意味、体罰などは普通にあった】、わたしが出た後も自分の出た施設の虐待話は一度も出ていない。その上、わたしは施設から高校も出る事が出来た。だがわたしは施設で全て育った事を感謝できない。

 「そんな風な施設の子がいたのか」という驚きと羨ましさと軽い憎しみに近い、焦燥感など感じるのではないでしょうか。Mariaさんは施設で傷つけられた人と思っていますが、あなたがMariaさんと平和的な絆づくりを出来ている事が驚きでもあります。

 私は心がせまいのかもしれませんが、そんな羨ましい夢のような施設を出た子とは絆を作れそうにありません。きっと努力しても、羨ましさや何やかやでぐちゃぐちゃになると思います。

 だからずっと絆を人と作れずここまで来ました。Leiさんに虐待が無かった事を羨ましがっているだけでは、施設の根本的な解決が出来ないという事かも知れませんね・・・。

| Nayuta | 2009/03/07 09:14 | URL | ≫ EDIT














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