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問:「施設内虐待の有る無しはどちらでも良い」という言葉

養護施設を出てからの問題

 ★「愛着の反語は使い捨て」だとどこかで読んだ・・・。

 Nayutaさんという施設育ちと思われる方がハンドルを明かして堂々と?レスして下さっているので、わたしもそのまま気にせずレスの言葉について受けた印象を語りたいと思います。

MariaさんがLeiさんの施設の事を説明していますね、でも私は別にその部分はどちらでも良いです、虐待があっても無くてもどっちでもいいんです。施設では普通に体罰があるし、普通に異常な部分もあると思いますし、ただ、Leiさんにとっては施設を嫌うだけの特別な理由が思い当たらなかったのに、施設で育った事を肯定できないという気持ちを何をきっかけにして、そのようになったのかしら?どうやって気付けたのかしら?と疑問を持ったんです。



 Mariaでさえ、わたしと同一人物か?という印象を持ったNayutaさんの問いは、確かにわたしとも共通の問題として印象付けるレス内容だった。

 今ではわたしは施設育ちと言っても、養護施設という器の中には、あまりに多種多様な各々の問題を抱えた子ども達がいる事に気付いている。

 自分の問題と他の子の問題は違う、しかし、一部の施設全部育ちは、施設で全部育ったゆえに共通に負わされた後付の課題を負っている事にも気付きつつある。施設を出た人同士だからといって、同じ感覚になろうとする必要は全くない、それぞれにそれぞれの問題に向かい合えばいい。

 でも、施設だけで子ども時代の全てを育った事だけは、とくに全部育ちの子は、互いのキーワードに、知らずに引きよせられてしまうのだと思う。




 「それ」以前の問題

でも私は別にその部分はどちらでも良いです、虐待があっても無くてもどっちでもいいんです。施設では普通に体罰があるし、普通に異常な部分もあると思いますし、



 Nayutaさんの出た施設もわたしの出た施設も共通点があるのだと思う。その共通点はいわゆる新聞に出るような虐待施設ではなかったという点であり、そのこともあり、自分自身が【体罰や変な施設内ルールなどを除き】施設で育った事が、今の自分に影響を与えるような問題として意識できなかったこと。

 自分自身が現在社会で上手くいかない事と養護施設だけで育った事を関連を付けられない事が漫然と問題化しつつあるのだろう。
 
 シンプル

 「たかが施設で子ども時代の全てを育った事が、どうして今のわたしの日々ぶつかる壁に関係があるの?」という最初の一歩としてのシンプルな質問を抱えている以上、もはや児童養護施設で自分に虐待があったのか、なかったのか、という場所に答えを求めていないのではないか?という印象をNayutaさんのレスから受けた。

 互いに施設の中で何があったか、なかったか、という問題以上に問題なのは、やはり「子ども時代を捨てられ続けていたという事であり、何故、一般の家庭が無理ならば、里親家庭が与えられなかったのか?」というさらなる問いなのではないか?と思う。

 その先の課題

 雑誌などで、施設の特集記事が組まれた時、児童養護施設を表現する言葉に、社会の縮図社会の吹き溜まり弱い立場の子どもにしわ寄せ、などというキーワードが金太郎飴のごとく出てくる。

 何度も何度も使いまわされてきた表現だ。わたしは今でも、それらをごく普通に社会に溢れている書物や雑誌の中で見つける。
 
 わたしは、でも、「子ども達をこのまま捨てられた状態にしてはおけない」という文章に繋がる一文を読んだ事がない。

 定型化した文章の中に、児童養護施設の子が捨てられ続けたままである事が折り込み済みなのだという印象を受ける。社会から見捨てられていると感じるのは、時々、こういう場合でもある。

 そのままではいけない

 だから「どちらでもいいんです」というNayutaさんの言葉からは、捨てられた子が捨てられたままである中での、虐待のあるなし、についてはどうでもいいという感覚ではないかと思えて・・・。

 でも「施設内虐待」も「家庭内虐待」も許されない事であり、問題としてきちんと考えなくてはいけない。ブログスタンスとしても、そこを抜きにはできない。

 そして何よりも、親が育てられない子は里親家庭へと、わたし達は思っている。乳児院に捨てられた子が施設に捨てられお役ごめんで社会に捨てられたままでは、いけないと言っているし、言い続けるつもり。そして出来る事をしていく所存である。

 ★まとまらなくてごめんなさい。

 

|  養護施設を出てからの問題 | 05時39分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

たぶん

 Nayutaさん、こんにちは。

虐待受けるのと放置されるのは別の話なのでしょうか?

 まず捨てられたところから人生がスタートしたこと、捨てられた事を少しも救われなかったこと、そして子どもが生まれて親になったら、捨てられた自分が親になってゆかなくちゃならないこと

 全ては捨てられた事が土台にあるんだと思います。Nayutaさんがお幾つかわかりませんが、厳しい人生を歩いている事と思います。あなたの言葉の端々にそれを感じています。
 
 歩き続けていきましょう・・・この道ではなく、誰かが共にいる道を目指して。

| Lei | 2009/03/15 16:45 | URL | ≫ EDIT

やはりちゃんと答えないといけませんね

Mariaさん、施設の指導員の方々は出来るかぎりやってくれたと思うんです。でもそれは私のような、親が育てない子にはかえって収容所の中に生まれながらに閉じ込められてる気持ちになっていました。

それは最初は気付きませんでした。外から入ってくる子たちがここを園なんて言ってるけど結局収容所だからと言っていました。自分が働くようになって初めて外の子が親と一緒に歩いているのを見たりしてショックでした。生活指導ばっかりが先にあって、養育の部分は全然なく、それが収容所の雰囲気に直結してました。

期待しないで真面目に生きてたのだって、育てられてない事からくる距離感じゃないかと思います。

虐待受けるのと放置されるのは別の話なのでしょうか?

| Nayuta | 2009/03/12 15:51 | URL | ≫ EDIT

Nayutaさん、こんにちは。

>私も不良化はありませんでした、まじめでした。いちいち騒ぎ起こすほどの生命力もありませんでした。

 というか、周りに何も期待していなかったのでしょう?

 だいたい、不良化する子は、髪を染めたり、いかにも不良という格好をしたり、周りに「わかって欲しい」「私を見て、おれを見ろ」というわかりやすいメッセージを発していたもの。

 捨てられ切った子は、そして、そのことになれきった子は、むしろ施設で静かに捨てられ続けていたの。周りへの期待もなく…

 「周囲から生かされた」「たくさんの人から愛情をもらった」なんて言葉は、たくさんの「お情け」「お恵み」をもらったことでしかないの。

 空っぽなオール施設育ちは、親からの虐待を受ける子を見ても、飢えたこころを軋ませてしまうの。何もないって、特定の相手からの虐待すらも羨望の眼差しを持ってしまいかねないの。

 Leiちゃんと勘違いしてごめんなさいね。捨てられ切った虚無を抱えた様が、本当に似ていたの。捨てられている子は、施設で虐待を受けようが受けまいが、抱えている虚無は深いのよね。

>捨てられた事に意味づけしようとする施設っ子って虚しい存在だと思いました。

 そうね。Leiちゃんが「誰が捨てられたゴミの行方を気にする」とよくいうけど、捨てられたことに意味なんてないの。単に捨てられただけ…

| Maria | 2009/03/10 00:10 | URL | ≫ EDIT

Leiちゃん、

 あたしたちがさんざん噛みついてきた集団養護論や、養護施設のさまざまな問題が、津崎てっちゃんの新刊「この国の子どもたち 要保護児童社会的養護の日本的構築-大人の既得権益と子どもの福祉-」に、余すことなく書いているの。
http://prayermaria.blog74.fc2.com/blog-entry-423.html

 まだ発売(3/12予定)されていないけど、Edwardさんから借りたから、今週会ったら、貸すわね。

 この本を読むと、子どもの不幸を飯の種にする養護施設業界の「既得権益」とそれを維持する体制がよくわかるの。

 それと、数少ないけど、一部の里親さんたちは、養護施設の長期入所の子どもたちの問題点を理解していて、「乳幼児は原則里親委託」「子ども時代のすべてを施設で育つ子どもをなくして欲しい」と訴えているわ。
http://satooya-renrakukai.foster-family.jp/index.html

 がんばろうね。

| Maria | 2009/03/09 23:56 | URL | ≫ EDIT














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