PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

選:「他に選べなかった道」の責任を取らされているキモチ

メンタル整理

 1つしかないのに選択肢

 ひとつしかないのにせんたくし、があると言われてきたし、1つしかなかったのに、選んだのはお前だと言われてきた。

 わたし達の幾人かは、自ら現状を打破する為に収容所を逃げた。でも、逃げたけれど逃げ込む先はどこにもなかった。誰からも捨てられてる自分達は施設に連れ戻されるしか無かった。


 真面目である事の自己責任

 わたし達は幼い頃に岐路のない道を選ばされた。乳児院で泣かなかった事により、集団の中で問題を起こさなかった為、集団の中で怒りを放出しなかった為、

 真面目なわたし達は、まじめに集団生活を滞りなく過ごした事をもって、集団生活を良しとしていたと言われた。

 ある職員は言った

 「もし耐え難いなら、お前だってそうした筈だ、お前は楽しそうに施設でやってたじゃないか」と。わたしはわたしが施設生活に不平をもらさずに生きていた事をもって「今更何を言う?」と責め立てる。他に道がなかった、どれほど脱走してもカウントされない。

 過去のわたしから裏切られる

 「過去のお前は施設生活を楽しんでいた、今のお前を見たら悲しく思うだろう」

 わたしは、施設職員の言葉の意味が理解できず呆然とした。わたしは何か、上手い具合にワナにはめられ、あやつられているのではないか?と思う程に、危険な気分であった。

  もし、過去のわたしが施設生活を良しとして、幸せをいっぱい満喫して生きていたというならわたしは、過去のわたしを否定するしかない。

 過去の否定という選択

 わたしは、選びようもなかった選択肢を、あたかも自ら選んだかのように誘導された道筋を、わたしが選んで歩いてきた道だと言われているに等しかった。子ども時代の全てを児童養護施設だけで生きる事を自ら選択する子どもなんているのだろうか?家庭で虐待された子だって,施設に入りたいのではなく、虐待のない家庭で育ちたいだけなのだ。

 選択できる状況ではない子ども達に選択させたかのように表現する当時の職員達。だから今は選択肢という言葉に操られたくない。この既得権を操る人々から見て、当時のわたしのような生物は子どもという金のなる木だったのだと思っていた。

 わたしは、子どもが金になる事を何故か知っていた。しかし、それはわたし個人に価値があるのではなく、ある種類の子ども達の頭数が金になるという事だと理解していた。

 ・・・とはいえ、

 まだこの件については怒り慣れていない。施設で静かに真面目に生きてきた事を、逆に、施設生活を受け入れていた事にされてしまっている。この部分を正しく語れているかも判らない。

 

| ├ メンタル整理 | 11時19分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/903-166ce9a7

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。