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読書感想文:「この国の子どもたち」を読んでつらつら思ったこと

読書感想文

 関連記事:Books この国の子どもたち 要保護児童社会的養護の日本的構築-大人の既得権益と子どもの福祉

 本文引用
 
 3章 児童養護施策と大人の既得権益
 Ⅳ子どものニードと集団主義養護~

  My Clip 1 >>page98

 養問研が養護問題研究会と称しながら、児童養護サービスの処遇選択肢のうち施設養護にしか実質的に視野を設定していないことも、集団主義養護に立脚する当然の結果であろう。

 『児童養護の実践指針』とうたいながら施設養護のことしか盛り込んでおらず、そのうえ「社会的養護」の対象、すなわち「養護に欠ける児童」を「家庭的な養育を受ける事ができなくなった子どもたち」と規定している。通常家庭的な養育とは里親・養子縁組のことであるから、社会的養護の対象は施設児のみになる。

 「それでは『社会的養護の場』としての養護施設や乳児院などの姿を私たちはどのように描いたらいいのでしょうか」という直後の文章から判断すると、そう定義しているのかもしれない。そうだとすれば、社会的養護は即施設養護のことであり、里親・養子縁組は含まれぬことになる。

 集団主義養護を標榜する養問研ならではの、論理である。


 

4章 児童入所施設内虐待生成の構造:施設内虐待防止のために
 施設内虐待の発生の力動性

 a 問題の否認

  My Clip >> page119

 ケア委託内の虐待(abuse in care)は起こりえないという信念は、入所施設では引き離された家族より高水準のケアが提供されると信じている社会に頻繁に見られる。施設内虐待の訴えに対する否認は、自らの信用や施設の信頼性の喪失を恐れる行政職や管理職によって示され、家庭外(入所施設)ケアの「開拓者たち」が、施設内でも虐待が起こってきたし今も起こってると認めるのは「事実上不可能」である。


 

c 施設の「閉鎖性」

 My Clip >> page121
 
 施設は「閉鎖的」で外部からの介入に敵対する虐待防止機関への施設内虐待事件通告は、施設の実態を外部にさらすゆえ、内部処理に走る。調査報告が公になり、信用(財源)を失うのを恐れ、被虐待児の権利擁護やニード充足ではなく、信用失墜を最小限にとどめ、危機を乗り越えようとする。こうした規制は「ダメージ・コントロール damage control」と呼ばれ、施設内虐待過少通告に繋がる。


 

終章 児童養護問題と社会的養護施策の構築

 My Clip >> page177
 
 全国児童養護施設高校生交流会が経営者組織にからめとられ(これは子どものエンパワーメントになるが、施設経営に重大なリスクをもたらすと気付くや否や)骨抜きにされ、結局解体されてしまったように、この当事者組織が大人の既得権益の追及の場として濫用されてはならない。施設や里親家庭で暮らす子どものための権利ノートも、英国の「養護児童の声」運動の結果1970年代末に登場し、養護児童のエンパワーメント・ツールになった事を想起するが、わが国のそれが施設内虐待事件発生自治体の尻拭いとしての「恥の文化ツール」になり下がっている事を思うと、こうした当事者組織の自立性・自発性・自助性・影響力は相当強く意識された上で、大人の既得権益擁護に濫用されないよう十二分に注意を喚起しつつ、慎重にかつ着実に意見表明を軸に活動を展開してゆかねばならないであろう。







 おもしろかったよ、Maria
 
 Maria、すごくおもしろかったんだけど・・・?

 この本を読むと何故この国はいつまで経っても施設養護偏重なのか、何故集団養育なのか、から始まり、施設内虐待のリスクの高い環境に加えて、いざ施設内虐待が起きた時、本来なら子どもを守らねばならない大人たちが自らの既得権益を守る為に、右往左往する様までを、とてもコミカルに臨場感あふれる表現で綴られていて、なんというか、まるで漫画を読むような気分で読めた。

 又、社会的養護下の子どもの括りについての表向きの定義とは別に養問研の姿勢というものがにじみ出ているのも納得できた。本音というのは直接的表現じゃなくともにじみ出てくるのだ。本を読んで確認してもらえればうれしい。

 ところで施設出身者のわたし達はケアリーヴァーというらしい。そんな施設育ちの当事者の声についても、大人に濫用されないようにねと、注意書きも書いてある。確か津崎氏のテープ起こしを過去の整理のジュラ紀の頃にやった時、社会的排除者の問題について、イギリスの場合どうなのか追跡記事について述べているのを聞き、わたしは、その現実にひたすら驚いていた覚えがある。

 又わたしは「当事者の声という児童養護施設製のキグルミ」はいらない。いわゆる何の問題もなく育ってしまった、現・社会不適応者の問題を語りたいのだ。養護施設に何かと誘導されたくない。

 わたしなりの問題提起

 この本では集団養護による愛着障害の問題も語っていて、里親家庭に委託されたこれらの児童の問題として愛着障害が取り上げられている。

 しかし、施設しか世界を知らず、愛着を誰にも持てない調子のいい児童の事は、ケアリーヴァーとなった自分にとっても由々しき問題であり、施設2世、3世を作りやすいという事をもっと大幅に掘り下げていきたいと思った。【社会的養護が必要な子を再生産しつづける問題ね】。

 施設で育った事による愛着障害(無愛着も)の問題は、里親委託された児童だけに留まらず、大人になった元児童が家庭を作る時にも浮上する問題だという点を伝えておきたい。

施設で育った元・無愛着児童として感じること

 児童養護施設をわたしは蟻地獄と表現し、Edwardさんは確かシャケの放流になぞらえていた。今ではEdwardさんの感覚の方がわたしの心情にマッチングしている。

 大人の既得権益を守るための裾野は、実はかなり広いと思う。今では施設当事者団体【日向ぼっこ、その他】までを施設存続のためのツールに使われている感がある。

 施設でしか育てられなかった事が問題なのに、施設の塀の中の環境の向上だけを訴えている現状・・・施設委託先にありきの、施設養育のあり方についての議論に、個人的にはあまり興味がない。【でも考えてみれば、施設で全部育った私怨を持たない家庭の問題を抱えた彼らにそれを期待するのはおかしいよね】

 そして施設内マイノリティの、施設全部育ちは、天然資源として施設の利益を潤す為に子ども時代の全てを育ち、その後も施設で育った事が問題なのにアフターケアを必要とされて搾取され・・・?その部分について、搾取のシステムのようなものをこの本の文章から感じる事ができた。

 この本を読んで個人的にはスッキリした。戦後~現在に至るまで、児童養護施設を存続させる為の手法は様々工夫されていていたのだと知った。この本を通して、わたし達のような、いわゆる要養護児童が、社会的養護の既得権益を支え続ける「子ども天然資源」にされてしまっていたのだ。

 表向き【実質的にも】、家庭で虐待を受けた子たちの保護先としての施設としてイメージさせながら、一方では、親から捨てられたゆえ、世間からは存在が見えない子ども達が、子ども時代の全てを育つ必要もないのに、乳児院から施設で育ちきっている。

 ・・・常に潜在的に金のなる木は、実は問題を起こさない大人しい要養護児童だと思う。施設業界が、この大人しい子ども達を手放す筈もない。

 ・・・どちらにしても本の引用をしていたらキリがないので、施設児童に対するシステム的なネグレクト・虐待の生成について感覚的に把握できるこの本をぜひオススメしたい。

 以上
 

| └ 読書中 → 完読 | 11時28分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

森人さん、ありがとう

 
 お元気ですか森人さん、おひさしぶりですね。そうですね、福祉コングロマリットですね、生き残りの為に裾野を広げ、ありとあらゆるs社会的弱者を対象としたビジネスに糸口を見つけようとしている様・・・。それが結果として、貧困ビジネスとなってしまっている。

 森人さんからのレスコメントうれしいです。わたしとMariaも朴訥ながらも書いていきますね。

| Lei | 2009/03/24 13:15 | URL | ≫ EDIT

行政との持たれ合い

私が知っている多くの(と言っても5ヶ所)養護施設には必ず役所OBとおぼしき事務長さんがおられるようです。家に来ている週末里子の居る施設は事務長さんが非常勤で週二日しか来ません。施設経営者の多くは本体が教会や寺院で、保育園や幼稚園や他の福祉施設を併せ持つコングロマリットです。行政とは分け合い馴れ合い持たれ合いで、入所者はその資源なんです。
微力ですが、改善の努力を続けて行きたいと思ってます。

| 森人 | 2009/03/23 18:00 | URL | ≫ EDIT

面白いなんて言ってごめんなさい

 Maria、夢中=面白いという意味であって、楽しいという意味ではないんだけど、妙な表現してごめんなさい。ほんとは、どちらかというと怒りが沸々していたの・・・。

 Mariaの焦燥感も分かる。置き去りにされて、忘れられて、問題にされなかった忘れられた子ども達は捨てられた事実を用いられていたんだものね。

 捨てられた子ども達を用いた社会の中のシステム虐待だもの・・・そりゃ、深い場所で捨てられていた事を知る事になるよ。

 家庭の人も、身につまされる事柄しか施設に意識を向けられない。自分とは接点のない、家庭から見捨てられた子の事は想像すらできないんだってさ。彼らは家庭で虐待された子しか見えないし、施設で虐待受けた子は他人事なんだって・・・【夫・談】

 わたしが、この本の衝撃を本質的に受けるのはさらに数日後だと思うの・・・。今は、興奮しちゃって眠れない児童みたい。そして、後でドッと現実がやってくるに決まってるんだ。

 その時、なるべく平常心でいたいよ。

 でも、Maria、【一緒に】がんばろうね。

| Lei | 2009/03/18 11:25 | URL | ≫ EDIT

養護施設は貧困ビジネスね

Leiちゃん、感想、とてもよかったわ。

 あたしは、この本を読みながら、「ここに書かれている内容を広く世間に伝えなくちゃ」と焦燥感に駆られる思いだったの。この本すべての文章を紹介したいくらいで、だったら買った方が早いというほど。 ん? (?_?) ちょっと意味不明…
 
 STOPの掲示板で、Edwardさんが怒りを込めた書籍紹介をしていたけど、その気持ちもわかるの。読めば読むほど、親が育てられない子どもたちを搾取する養護施設の実態が浮き彫りにされるから。
 
 0歳から18歳まで乳児院・養護施設で育つと、8000万円から1億2000万円の税金が子どもひとりに投入されるの。家庭で大学卒業までにかかる養育費は、2300万円といわれているから、子ども四人を育て上げほどのお金が、施設全部育ちの子ども一人に投入されている。
 だけど、すべての施設育ちたちは、大学ではなく、高卒・中卒で施設を出て行く。それだけの大金を自分に使ってもらった実感のある施設育ちって、いないと思うの。
 
 いったい、この大金はどこに消えたわけ?
 
 この本を読むと、貧困ビジネスとしての養護施設の実態がよくわかるの。そして貧困ビジネスを支える行政の姿勢も…
 
 この国の子どもたち、特に親の育てられない子どもたちは、金儲けの資源とされ、子ども自身にはなんの見返りもない。、本当に不幸な子どもたちだと思うの。

 この養護施設という貧困ビジネスは、何世代にも渡り「施設二世、三世、さらに施設四世」まで生みだし、将来の養護施設の経営の安定化を図っているの。
 最近は、不登校の子どもにまで食指を伸ばしているみたい。このブラックホールのようにどん欲に子どもたちを食べ尽くそうとする施設を廃止し、子どもたちを里親家庭に送り出さなくては…、との想いが強くなるの。

 Leiちゃん、がんばろうね。

| Maria | 2009/03/18 01:52 | URL | ≫ EDIT














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