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言:「発達の遅れは全ての遅れに通ず」と思うようになった今日この頃

養護施設にいる間の問題

 学習障害知的障害

 断片的記憶によると、めちゃくちゃひどい成績表だった気がする。しかしその成績表を見ている自分は、その数字の羅列を他人事の様に感じていて、焦燥感もなければ落ち込みもしなかった。でも保母たちからは、ヘレンと言われていたのは覚えている。


 二度目の施設に入所するにあたり【きっと】あまりの知的レベルの低さゆえ、小学校へ一学年遅れで通い始めたらしい。その小学校で自分の中に残っている印象は、いつも先生の言っている事が全く理解できない、つまり、言葉がつうじないという事だった。

 わたしは他人から話しかけられて育たなかったせいか、先生が焦れば焦るほど全て他人事のように感じるのだ。この他人事のように感じる事と言葉がよく分からない為、日本語だけでなく全ての教科が出来なかった。

 わたしはよく教室を間違えることも多かった。自分が何年の何組なのか分からないという事が多かった。その結果、授業が始まっても廊下で佇み・・・という事が多かった。自分の所属すべき場所がどこか分からない感覚になる。

 結局分かった事は、自分の名前がわからないという問題だった。施設では「お前ら」だったので、一人一人に苗字と名前がついている事が分からなかった。今はHNがあってよかった。

 しかし問題児童ではないから

 「自分が相手から話しかけられているという感覚を知らない」為か、よく「こっちの話を聞け」とか「今何を言われてるのかお前は分かってるのか」などと言われる事が多かった。「お前に言ってるんだぞ、○○【苗字】」とも言われた。

 しかし、職員が学校に呼び出されるほど、周囲の児童【クラスメート】に迷惑を掛けてない為、成績の悪さについては、あまり問題視されなかった気がする。同じ学区に施設の子が多かったこともあり、成績の悪い児童が多かったのではないと思われる。

 読書で自己発達

 読書をするようになったのは日本語を理解する必要に迫られたからだと思う。施設での集団から逃れる理由として図書室にこもる為の言い訳として読書を選んだのだと思う。偶然選んだその道が、今では自分の身を少し助けてくれているように思える。

 言葉が判らない事を問題視する
 
 ソウルメイトが欠かさずしてくれるのは、連続した会話の訓練だったと思う。「全ては同じ人との連続した会話が必要だよ」と言われている。

 最初は、あまりのわたしの忘却癖に、期待した効果がすぐに現れなかったけれど、10年を過ぎてから、ようやく言葉が届き始めた感触を持ててきた・・・。

 絆づくりをすればするほど集団の問題が露呈

 集団生活から人生がスタートする事の問題は、わたしの実感としては、同じ人【固定された大人】から常に同じ印象を持つ言葉のシャワーを浴びていない事にあると思う。さらに、施設での、その場限りの大人から、その都度、適当に声掛けや接触を受ける事で、自分を自分として意識しづらい・・・なんだか漫然と自我もない状態で生息している感じになる。そして自我が構築できないうちに、早くも様々な事が他人事になっていくのだと思う・・・。

 この絆づくりによる相互関係を意識すると、自分はこの人たちと絆を作る為に日本語を理解しようと意欲を燃やすようになる。

 ★日本語という言い方が自分の心情にはフィットするが、ごく普通に「国語」でも良いという事に今気付いた。少し変な文章となっているがご容赦を。

|  養護施設にいる間の問題 | 12時35分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

ありがとう

 Mariaと共にいられる事はやがて奇跡じゃなくなり日常になる。

 Wolfはコアラさんの傷の整理作業のあとだったので、最初はわたしの問題に気づかなかったらしい。でも、コアラさんとわたしの絶対的な違いに気づいてから、彼は、

 「絆がなければ始まらない」
 
 と言い出したんだよ、Maria

 あれには驚いた、確かに虐待のあるなしはどうでもいい所が自分にはあったけれど、それ以前に捨てられている事実を見て、彼も自分が捨てられていた事に気づいていったらしいよ。

 それいらいMariaとも絆をテーマにこだわっているね。Mariaとずっとマンネリでも何でも、そばにいてね。

| Lei | 2009/03/27 07:05 | URL | ≫ EDIT

今日は楽しかったね

Leiちゃん、今日は会ってくれてありがとう。

仕事に忙殺されていても、Leiちゃんとおしゃべりをするとホッとするわ。

 連続した変わらない相手とのおしゃべりは、一見マンネリになりかねないと思われるけど、共感を持った話は、本当に大切なものだと思うのよ。

 Wolfさんの「絆がなければ始まらない」という言葉は、本当に深い言葉だと思うの。

 「絆」が出来かかっている今だからこそ、絆のなかった子ども時代が「虚無」だったと気づくことが出来るの。

 Leiちゃんの最近の口癖は、「私の人生何だったんだろう」だけど、絆が出来たからこそ、過去の何もなさに気づけたのね。

 失うものがなかった子ども時代。何もないのだから、失いようのない子ども時代。税金はたくさん投入されているのに、その税金は、職員の給料に消え、子どもは生かさず殺さず。封建時代の水飲み百姓みたい。

 15歳や18歳で措置解除され、お金が入らなくなったら、「自立」と称して施設を追い出す。あとはすべて自己責任。

 結局、一握りの、一人でも生きていける能力の高い子しか生き残れない。

 こんな国に、捨てられた子どもたちは生きているの。オバマさんではないけど、この国を Change したいわ。

| Maria | 2009/03/26 02:40 | URL | ≫ EDIT














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