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確:虚無に虚無を重ねても虚無でしかない事に気付いた無愛着児童

養護施設にいる間の問題

 ★わたしが施設生活を通して感じていたキモチがすべて他の施設出身者と共通するものではありません。あくまでわたしの感じ方に由来しています。

 実という意識

 わたしは施設時代を通して漠然と、捨てられた子はであり、家庭で虐待された子は実【ゆがんだ観念ながら】というイメージを付与されてしまった気がする。



 力を取り戻そうとする子たち

 虐待を受けた子は、その質はともかくとして固有の対象者がいる子なのだという印象を持つに至った。最初は親から虐待を受けて傷つき入所してきた子も、その虐待を再演【施設内での虐待の連鎖】することで、少しずつ態度が印象的に変わっていった・・・。

 だけど、その態度が変容していく様子は、今まで家庭で傷つき、その傷つき感を周囲に放出していた同じ児童とは思えないほどの、表面的落ち着きを取り戻していく姿にも映り、結果として職員たちは「あの子は落ち着いたね、よかったね」と頷きあう事へ繋がっていた。

 しかし、それは表面的な一部でしかなく、家庭で傷ついた子が真に救われたわけではなく、年下児童に、自分の痛めつけられている感覚を、再演することで放出し、とりあえずの嵐の海が凪に向かっただけであり、見えないところでは、虐待の再演が行われていた。

 捨てられた子たちの存在

 家庭から来た子は「虐待を受ける事で親の裏切りにあい、捨てられてしまったような気がしてた」と言いながら、実際はリアルに捨てられた子を前にする事で「そこまで捨てられていたわけではなかった事に気付き」親との関係修復へ向かうという工程を踏む子が度々見受けられた。

 その為、わたしにとっては「捨てられた子」というのは、遺棄・放棄されただけでなく、施設内に於いては「捨てられている事実を利用されやすい存在の子」なのだと、だんだん【全感覚と共に】認識するようになっていった・・・。

 職員の本音

 それは職員も変わらない。家庭に怒りがある人が職員になるケースを肌で感じていたが、わたしは、施設を出た後に下宿生活をし、そのステイ先で【なんと一般家庭】その家のオヤジから性的な事をされた話を【結婚後に】用事で施設に行った際、話の流れで、一人の職員に話してしまった。

 すると彼は

 「お前みたいな女を襲う酔狂な奴がいてよかったな」と笑った。

 彼の何気ない言葉は、今では過去の整理を進める中で、だんだん重要度を増している気がする。そう、単なる職員の言葉なのだけど、自分たち要養護児童たちの、施設内での扱われ方を反映しているのだから・・・。

 かつて捨てられていた児童が大人になり(人並みに←  ここ大事)下宿先で襲われた事があると聞いたとたん、つい「相手してもらえてよかったな」という意味を込めて返してしまったのだろう。

 

 Mariaとよく話す会話の1つに「無に無を重ねても無でしかない」というものがある。この共通認識があって、2人とも、それぞれの環境下で無を数え上げる事の意味のなさをとことん話し合い、一人の子どもが、生物学的親から捨てられる事には何の意味もない、その意味の無さを、実感として否が応でも知る事になった。

 わたしは過去の整理の中で・・・いつしか、虐待があったかなかったか以前の、もっとその前に掘り下げなければならない、ある種の現実がある事に気付いていった。ある種というのは、決定的に捨てられた後の、その後の子どもたちの現実、という事・・・。

 
 でも多くの人は加えられた虐待に苦しんでいて、わたしのように、何も与えられなかった【=加えられなかった】事に注目する人はいなかった。

 昨年のオレンジキャンペーンに参加して思った事は、当然ながら捨てられてしまった子どもが見えない事だった。確かに、捨てられた子どもに虐待の痕を残した者はいないし、その子に固有の虐待者もいないし・・・。

 Mariaの施設での話

 Mariaの施設でも、施設の中で虐待を受けた事を訴える子がいると「注目を浴びたくてそのようなを言ったのだ」と言われた話をしてくれた。でも捨てられた子が愛着も育ってない脳でどうやって、注目を浴びたいが為のを言うだろう?

 Mariaの話を通してわたしの出た施設の職員の「誰からも相手にされない捨てられた子が虐待を受けた」と解釈しがちな、職員のリアクションと妙に印象が重なった・・・。

 つまり施設では捨てられた子が虐待された時に限り「相手にされてよかったな」と言われたり、または「注目を浴びたくてを言った」となるのだ。

 保護先としての体面

 その一方で厳然たる事実として、児童養護施設は家庭虐待の保護先としての体面があるので、家庭の子に対しては「お前は家庭で虐待を受けて相手されてよかったな」とは言えない。そして「お前は目立ちたくて親から虐待を受けたといい、施設に入ったのだ」とは絶対に言えない。

 この部分を語らない施設当事者や施設職員ばかりなので、わたしは頭悪いなりにも激しい焦燥感を覚えていたのだと思うし、自分の問題が非常にマイノリティな面を持っているのだと思うようになっていたのだと思う。

 そしてそこに、表面化しきれない施設内の矛盾の根がはびこっている気がしてしょうがない。

 以上

|  養護施設にいる間の問題 | 06時39分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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