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心:捨てられていた子ども達は捨てられた事に問題意識を持つ間もなく

養護施設にいる間の問題

 夢はカタルシスとは言えず・・・

 よく見る夢のタイプに「自分の肉を切らせているその間にできる事がある、自分の肉が切られているその間も、何かできる」といつも焦っているというモノがある。相手が礼節を持つ者なら、たとえ敵対者であれど、同じエリアで戦える。そう思うこと自体、施設の上級生にそれを求めること自体、のんきな甘えである・・・。それを嫌というほど知った瞬間、目が覚める。

 でも意味が不明な夢なので、夢を見てカタルシスなんてとんでもないと思うことで無視する【したい】。



 餓鬼の欲望

 まるで餓鬼のように己の痛みにのた打ち回る「コトバの通じない相手」に対しては、わたしの感覚は通じない。そこは【体験により】わかっている、やられる場合は自分がどんな決意と意思を持っていても、獣の世界では肉体的弱者ゆえに、単にやられるだけ・・・。

 礼節を重んじる相手との澄み切った心の感じられない事を・・・虚しく思う暇はない。何故なら常にある種の識者による諮問を受ける立場である大人の人々を、第二の施設では、立ち会うことがなかった。宗教観の違いなのかなんなのか・・・いろんな意味でグダグダだった・・・。

 第二の施設のあまりに無節操なこと【一つ目の施設は宗教観が無いのですでにあきらめきっているが】・・・。不良の子どもたちには、今も怒りがある。彼らの【わたし達も】脳みその使い方を、だらだらと肉体的鍛錬で疲れ果てさせる事で【何も考えさせない】施設特有の集団生活プログラムの結果とは思いたくないが・・・。

 それでもとまらない不良は、見えない場所でやりたい放題だった。養護施設を誤解されたくないと嘆いている施設職員は、不良は本当はピュアなんだという言葉で止まっている。本当は屠られた子羊がいる事を確認しておきながら助けもしない職員達がいた・・・。

 実は職員単に単細胞ではない部分もあると個人的に思っている・・・彼らは「施設で虐待を受けた親のない子どもたちが、その後遺症を表すのは社会に出てから」なのを知っていると思う。

 彼らは措置切れタイマーを設定しながら「自己責任」というキーワードを使い、うまく、やりおおせているのだ、実質的に。だから施設ではおとなしいままの捨てられた子どもたちの施設内での虐待の後遺症とその問題は、社会に出てからの本人の自己責任という事で、ばっさり切れるのだ。

 過程としての吐き出し場所

 児童養護施設には社会が見たくない澱のようなものが沈殿している。わたしが、捨てられた理由によらずに過去の整理を必要と思ったのも、その澱の中で生き抜いてきたからかも・・・。

 帰る場所のある不良少年も被虐待児も、施設という場所は、彼らにとっては単なる過程なのだけれど、捨てられた子にとっては、名を変えた孤児院に残され続ける孤児である事は変わらなかった。

 施設という場所は家庭から来た子にとっては、それこそ一時のものであり、しかも公衆的な吐き出しの場所であり、傷を癒せなくても吐き出せてこその場所なのかもしれない・・・。

 わたしは今まで、施設は家庭虐待の子のケア施設として、その必要なことを提供できない場所だと言ってきたが、彼らは吐き出すエネルギーの場所が提供される事で、不良少年がかなりのパーセンテージで落ち着きを得る事を知っていたらしい。

 施設職員の人手不足を、親のない物静かな子が犠牲になることを「うっかり見逃し続けている事」で、自然に、調整弁の役割を持っていたのではないかと・・・。感じていた。わたしが接した施設職員は家庭虐待に怒り、上級生から被害を受けたオール施設育ちについては、逃げ腰だった。
 
 だから、肉親の対象者ある彼らにとっては、施設という通過点・過程の場所を一時期体験した事で十分何かを得られたのかもしれない。

 捨てられた事がアイディンティティ

 一方、遺棄・放棄・ネグレクトされ、あげくに捨てられた子は、捨てられた事にアイディンティを持たされている部分もある。

 まだ何も意識化されなかった頃から、すべてのセンサーが誰もいない事を感知した。それはとりもなおさず、捨てられている状態を意味するが、下手に集団世界に投入された後なので、捨てられた子どもたちは自身の問題に気づけない。

 捨てられた子にとっては、施設は一過性のものでも過程でもなかった。そこにしか定着させられなかったのだ、そこは集団世界だったとしても・・・。

 捨てられていても、なお、家庭をつくり、絆をつくり、社会性を持ち・・・これをテーマにするのだから、逃げてしまう全部育ちが多いのは理解できる。だからこそ、わたしは訴え続ける。

 親が育てられない子どもたちを里親家庭へ・・・と。
 

|  養護施設にいる間の問題 | 06時47分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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