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破:「生い立ちや境遇に負けない」と退園の際自ら「宣言」したが

養護施設にいる間の問題

 「自ら」宣言したという呪縛 

 味わうという言葉が正しいとは思えないのだけど、苦い薬を味わう事に近いという意味で、そのような表現を使う事にした。「誰もいなくても、世間の荒波に負けず、境遇を言い訳にせず」と宣言した。

 家庭で虐待を受けた子らを見て思うのは、彼らは少なくともやたらに「生い立ちや境遇に負けない」と表現してはいない。他のぼかした表現をさせられている気配は感じるが、施設全部育ちのように「捨てられた事」根底に「負けない」「泣くもんか」「これをバネに」などと言わない。


 家庭育ちの人は【虐待されてない】夫などを見ていても、堂々と凹む事も当然の権利である事を知っているのではないかと思う。何かあった時の見事な落ち込みっぷりを見ていると、たくましすぎる自分があほらしくなる事もある。

 かといって家庭育ちの夫の繊細さを傍若無人になぎ倒すのもかわいそうだと知る。

 わたしは、施設育ちだけが浮いている事を知らずに、会社でも隣近所でもおかしな表現をしてきたらしい。今、過去の育てられ方の整理を数年続けた結果、真に捨てられた事とは、際限のない虚無の海に放り出されている状態であると知る。すでにもう、抽象的表現しか残されていない・・・。

 養護施設では、施設を出る際に宣言文をみなの前で読ませる風習がある。わたしも他の子も確か同じ言葉しか宣言文しか言えなかった。「生い立ちや境遇やに負けず、それを言い訳にせず、世間の荒波に立ち向かって行きます」と。

 その、自分自身が社会へ出る時にかつて宣言した言葉が、今の自分の発信の邪魔をする。過去の誰もいない子ども時代を整理する事さえ、言い訳じみていると考えてしまう。

 でも本当は「捨てられた施設育ちが施設で育った事を問題視されると困る」施設側の内情を今は知っている・・・。施設で育った事を問題視=言い訳と、摩り替える手法もありと知る。

 施設で育つ事で、いつの間にか「孤独に生きてきた事を言い訳にしないよう」誘導されていた結果、自ら発した【ように見える】意識決定を、自らの自己責任だと勘違いしていた。

 後ろめたさを覚える価値もない

 過去の整理を誰に対してもお勧めする気分になれないが、施設全部育ちはこれをしないと自分の真の問題が見えない。

 宣言という言葉の呪縛を破棄

 養護施設はなぜか卒園時に宣言文を書かせる事が大好きで、わたしは今も過去の育ちを否定する時、

 「自分で宣言してきたのに、その宣言を違えてしまっている」という後ろめたさを覚えていた。

 わたしがブログの無作法?なゲストの言葉に打たれ弱い理由の一つに、自ら発した過去の宣言文があったのだとも言える。

 自分で「過去を言い訳にせず」と言ったのに、今、わたしは違う事を感じ、違う事を言っている。と自分自身を責めてしまうきらいがあった。

 「一人で生きると、負けずに生きると、誰もいなくても、過去を言い訳にせず」と言ったのは確かに自分だ。

 わたしにとって、自ら発した宣言とはそれほど自己責任とリンクしていたのだと思う。でも、ブログをつくり過去の整理をした結果、虚しさの真の意味を知り、宣言を撤回する事にした。

 養護施設で全部育った事を誇りとはできなかった自分の過去において、このような宣言をさせられた事こそ、忌むべきものであり、はっきりと拒絶の気持ちを文章化したいと思う。

 捨てられた自分たちは、たんなる施設存続の為の道具であり、既得権益の為の天然素材であり・・・。そのような事を知り「誰もいない事を言い訳にせず、世間の荒波に立ち向かいます」という宣言に意味を見出せず破り捨てる事にした。

 価値のない定義を、あたかもこれしか選択肢がない価値のある心構えであるかのように、心に刷り込みした施設業界。

 今わたしは、少しでも早く、乳児院から里親家庭へと、言い続ける。
 これこそが本当のわたしの宣言なのだと知る。
 
 ここ数日、考えた文章にしては稚拙だけど、お許しを・・・。

|  養護施設にいる間の問題 | 09時41分 | comments:6 | trackbacks:0 | TOP↑

ありがとうございます。

Mariaさん
ありがとうございます。
お手数かけました。

PDFファイルのほうで見させていただきました。

>「里親さんを勝手に応援サイト」の中にありますので、メニューから…
 スミマセン。こちはちょっと根気が続かなかったです。
 リンク先の、
 「愛着障害の子どもを育てる」の記事の 
 「愛着障害に何故なるのか?」を読みましたが、
  そこで集中力が尽きました。

 これは、大変だと、背筋が伸びました。

それと、愛着障害は、里子さんにあるだけじゃなくて
うちの子にもその片鱗が(真ん中の息子に)どさっと入ってます。

息子のクラスにもそういう謎の子たちがちらほらいる感じです。
 風変わりな子だなぁが、
  ひょっとしたら
 小さい頃の心の栄養不足かもしれない…と、思いました。

ただ、肉体の栄養不足での脳の萎縮は、生涯、知能が回復しないのではなかったかと思います。
愛着障害は、回復の余地がある分、ほっとしました。

 うちの真ん中の息子の気質が多少、難しくて
いろんな事が重なって、愛着障害のかけらが入っているのではないかと思いました。
 学問とか知識って、時に、こうして理解をさせてくれて、はっきりした力になる…のでうれしいです。
 
 これで真ん中の息子への、
 接し方のヒントをいくつかもらいました。

産まれてまもなく親の手がかからなかった時期があったのですが
ああ、あの数年か…という心当たりあります。
 

(うちの真ん中の息子をご紹介
http://iinoakazonae03.blog77.fc2.com/blog-entry-98.html
http://iinoakazonae03.blog77.fc2.com/blog-entry-137.html

里親さんに関心を持って、ネットで検索したのが今回初めてです。
芽室町のピン刺し事件がどうしても気になって…
そして、たどり着いた先が、Mariaさんのところで、
いつもながら私は幸運です。
少しづつ、学ばせていただきます。
ありがとうございます。

| いの | 2009/04/26 16:46 | URL |

 このファイルは、以前、sidoさんの里親HPにあったのです。10年以上前、無愛着な子どもに悩んだ里親さんたちが、海外の里親とのメールのやりとりの中で、「反応性愛着障害(RAD-Reactive Attachment Disorder」という言葉を知り、海外のHPを有志で翻訳したものです。
 HPの引っ越しでリンクが不明になり、保存していたあたしたちがsidoさんに許可を取って、HTML化したものです。
 もとのPDFファイルもありますので、直リンクでご覧ください。

愛着障害とは何か(PDFファイル)
http://sky.cside6.com/hooray-fosterfamily/data-shelf/pdf/Attachment-obstacl.pdf

それから、
「里親さんを勝手に応援サイト」の中にありますので、メニューからご覧ください。
http://sky.cside6.com/hooray-fosterfamily/diary.cgi

| Maria | 2009/04/26 13:25 | URL | ≫ EDIT

Mariaさん
ありがとうございます。

教えていただいたURLへ行ってみました。
外枠はあるものの、記事は空で、
ありませんでした。
 ???
私のPC環境は XPとIE6です。
IE6が原因でしょうか





>カラカラの植木鉢のたとえ ものすごく理解しやすいです。

なんと…。
そうでしたか。

発想元は、「サボテンの栽培法」にあった水遣りの時の文章です。

そして、カラカラにしてしまった鉢植えの土に実際に水をあげたときの観察です。

カラカラの植木鉢のたとえでイメージなら、
難しいというか根気がいるということなのですね。

間違えてカラカラにしてしまったサボテンの鉢植えの時の水遣りの秘訣は、
バケツに水を張って、
その中に鉢植えを漬け込んであげることだったりします。
ありあまる水を張ったなかに、漬け込んでしまう。


昨夜、つまには「無愛着」って言葉があるらしいよ。
と話しました。
疲労して仕事から帰ってきていて、それほど話せませんでしたが、
「手のかからない子が一番気をつけないといけないの。一人で十人とかもっと看るでしょう? 
すると手のかかる子達に手がいってしまうから、
手のかからない子にスキンシップしてあげれるのはオムツを替えたときにちょっと触ったぐらいで終わっちゃう…。 
手のかからない子で、手をかけない親が重なると
反応のない子になるの…。

託児所っていっても、2人で30人見ている感じだったから、
そういう子になんとか触ってあげたくて、
声かけてあげたくてだったけど、限界があって」
とか話していまして。 
託児所のパートは以前の働き先です。



反応性愛着障害を少し調べてみます。
ありがとうございます。

| いの | 2009/04/26 10:23 | URL |

反応性愛着障害を知って欲しいです

いのさん、こんにちは。

里親さんを勝手に応援サイトの資料のページに、「愛着障害とは何か?」という資料があります。よろしければお読みください。
http://sky.cside6.com/hooray-fosterfamily/archives/radtop.html

 カラカラの植木鉢のたとえ、ものすごく理解しやすいです。

 たぶん、手入れをされ続けた土は、保水力もあり、少しの水分でも溜めておくことができるように、愛情を注がれ続けた子どもは、親や里親の愛情を受け止め、溜めることが出来るのだと思います。

 それに対して、放置された子どもは、カラカラの植木鉢のたとえのとおり、里親が注ぐ愛情が簡単に流れ去り、内部に溜めておけないのだと思います。

 ある里親さんは、「可愛くない子どもを可愛がる」と表現していました。子どもへの愛情のかけ方を「ザルに水を注ぐようだ」といいました。

 「でも、ザルもいつか目詰まりする。いつか、水を溜めることが出来る」と無限の努力の必要性を言っておられました。

 本当は、乳児の頃から里親家庭に行っていれば、こんな里親さんたちの徒労は無いのですけど…

 乳児院・児童養護施設で無愛着に育てた子どもを、無知な里親が委託され、あまりの無愛着ぶりに怒りを誘発され、子どもを虐待してしまう。それが、日本の里親の現実なのです。もちろん、耐えてがんばっている里親さんも、たくさんいるのですけど…

| Maria | 2009/04/26 01:55 | URL | ≫ EDIT

 はじめまして
>「乳幼児は原則里親へ」
>「子ども時代のすべてを施設で育つのは人権侵害」

十勝の芽室町のピンで刺された子の件がちょっと気になって、
検索して たどり着きました。

十勝には部数の多い地元紙があるのですが、
それすらも、掘り下げた報道なくて 
子供のプライバシーのことがあるから当然でしょうけれど

 なぜ、ベテランの里親がそんなことを。

 要因って 里親側か それとも里子側にか

と、ずっと理解できなくて気になっていました。

つまが子供好きで、
いぜん、託児所で働いていたときに、
いろんな状況の子供たちに会っていて、
うちに来たら うちに来れたらと 
心の中で泣いていたようです。

うちは、いまは、自分たちの子供を育てていて余裕が、
経済的にも家の広さ的にもありませんが
 やがては、子供たちも大きくなり巣立ちし
もしも、余裕ができたなら
もしも、ご縁があれば、
子供を預かりたいと考えていたりします。

去年のNHKの朝ドラマが、里親里子だったので、
つまはくいいるように見ていました。

 まだ、記事を少ししか読ませてもらっていないのですが
「無愛着」という聞いたことのない言葉が出てきました。
 ここに何か鍵があるのかもしれません。

 自分たちの子供でさえ、とんでもなく手がかかるのに(腹が立つ)、
血のつながらない子供で、万が一、性格的にあわなかったりしたときに、
腹がたったときに、腹が立ちながらも子供から気持ちが離れないようにするために、
少し準備しておこうと思いました。

うちのつまは、子供がどう手に負えなくても子供を受け入れれるのに対して、
私は「そういうものだから」と理解できていないことにはなかなか難しいです。
私は、情だけでなく、理詰めの部分でも理解を詰めておかないと、と思っています。
 (つまも、勉強して少しでも補わなきゃと言ってます)


 無愛着
初めて見る言葉です。
意味や状況を想像すると、深いものがありそうです。
じっくり、考えてみたいと思います。

ふっと思ったのは、
乾いた植木鉢の土です。
水を注いで、何度も注いで、鉢の下の穴から水が流れ出ても
実は、鉢植えの土の多数の部分がカラカラになったままです。

植木鉢に注がれた水の通り道が出来て、
そこから鉢底に向かって流れるだけで、実は、鉢の土は乾いたままなのです。

何度繰り返し、水を注いでも
どれだけ、鉢の底から水があふれて排水されても、
鉢の土の多くの部分はカラカラです。

ふつうの鉢の10倍20倍ぐらいの水の量を、
それもゆっくり、ゆっくりと、
角度をかえて、
いろいろな方向から注がないと、

本当にカラカラに乾いた植木鉢の土は、湿りきらないです。


 無愛着とは、
そんな感じなのかな…とか
とりあえず、そんな仮のイメージです。

| いの | 2009/04/25 09:44 | URL |

施設で育とうが…、家庭で育とうが…

 Leiちゃん、あたしも、施設で育ちきったことが問題ではないような表現をたくさんしてきたわ。

 施設で育とうが、家庭で育とうが、たいした違いはない。

 あたしは施設で育ちましたけど、それが何か?


みたいな表現で、施設で育ちきることは、何の問題もないかのように表現してきた。

 だけど、施設だけで育つことにこそ、大きな問題があるとは認識できなかったの。ここ数年、里親さんたちとおつきあいをしていく中で、施設だけで育つことの大きな問題に気づかされてきたの。
 彼と、彼の出身家庭のつきあいの中でも、あたしがいかに捨てられ切っていたかを思い知らされているの。

 家庭を知れば知るほど、家庭から遠く離れた場所で「自立養育」してきた自分が浮き彫りにされる。

 子どもはひとりで育ってはいけない。

 ある里親さんの言葉が、あたしの心に楔を打ち込む。だけど、子どもが施設でひとりで育つ現実が未だにあり続ける。

 だから、あたしは「乳幼児は原則里親へ」「子ども時代のすべてを施設で育つのは人権侵害」と言い続けるの。

 がんばろうね。

| Maria | 2009/04/06 01:57 | URL | ≫ EDIT














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