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読書感想文:「水子 中絶をめぐる日本文化の底流」を読んで1

読書感想文・・・というよりメモ

 ★ 児童養護施設も経営している生長の家、中絶反対、水子寺、イデオロギー、極右、政治、祟りの用いられ方などに関する簡単なメモと本文の引用





page207 第10章 悪徳の沼地

 水のごとき道徳

 つまり、日本に中絶胎児のための供養という慣習を許してきた自分たちの宗教もしくは宗教的エートスに関して、悪徳の「沼地のような」何かがあると、彼らは主張するのだろうか。

 言うまでもないことだが、中絶の合法化に断固として反対する人や団体なら、これらの問いに肯定的に答えるだろう。たとえば、日本にさえ「生長の家」のように、中絶を再び処罰すべきだと考える宗教団体がある。その会員数はそれほど多くはないが、強硬な主張を繰り返し最大限の政治的影響を発揮すべく組織されている。

 この団体は特にキリスト教と神道を基盤にしている。

 仏教的要素もあるにはあるが、はるかに目立たない点は意味深長だ。

 生長の家が体現しているのは少なくともある意味において、戦前にあからさまな多殖主義を唱導したあの新神道の現代的再来である。この宗教のほんとんどの支持者の見解では、日本はふたたび中絶を非合法とする方向に進む必要がある。

 サミュエル・コールマン【社会学者】はこう書いている。

 「日本の他の宗教団体と違って成長の家は、中絶反対の信念を政治活動に結びつけ、優生保護法を制限するために国会への大衆請願運動を組織したり、与党である自由民主党所属の国会議員をずらりと揃えて一大講演会を主催したりした」

 生長の家総裁の谷口清超の著書では、胎児と子宮外の生命体とは平等であることが強調される。唯一の違いは、比較したときの大きさと胎児が臍の緒で母親とつながっていることだ。


 page210 大田医師【産婦人科医・大田リングの発明者】の見解によれば、日本人の悪徳の沼地を反映しているは広く浸透した中絶の慣習ではない。女性たちの罪悪感を食い物にする宗教団体、特に彼の見方では仏教徒と「堕落した輩」なのである。彼は明らかに「自己評価」の一部でありうるような罪と、不必要に憎悪された罪とを区別していない。

 

 page213 女性の観点

 #「大法輪」の祟り特集に関連した、他の特集記事に寄せられた落合誓子氏【有名な女性仏教徒】の言葉~

 『・・・・社会的弱者の、弱者であるがゆえに抱え込まざるをえない生活上のさまざまな問題を音量のたたりにすりかえて、民衆の不満をかわしていくことによって、本質から目をそらしていくことを助けていくという、まさしく日本の宗教の伝統的なパターンにほかならない。

 この水子寺【紫雲寺】も例にもれず、為政者の思惑がチラチラするのである。この寺の名前は紫雲山地蔵寺といって、住職は橋本徹馬というれっきとした右翼である。現在も自民党との深いつながりがある。寺ができたのが昭和四十六年、時の総理大臣は佐藤栄作、落慶式の当日は首相自らが荒船清十郎をはじめとする面々をひきつれて、秩父の山奥まで車を連ねているのである』

 中略

 落合をとりわけ困惑させるのは、紫雲寺と、日本で中絶の再処罰化を推し進めている組織・生長の家との積極的な連携である。紫雲寺の住職は生長の家の総裁を深く尊敬している。加えて、水子からの復讐を心配する生長の家の会員には、供養にふさわしい場所としてしばしば、秩父にある紫雲寺が推奨されている。

 落合の記するところによれば、生長の家のイデオロギーは太平洋戦争時の極右の立場に由来するもので、国家神道に基づき、明治憲法への郷愁とそこでの中絶禁止を露骨に公言している。

 彼女はこう続ける。

 生長の家の「生命の尊重」という正義を旗印にかかげて、胎児もいのちであるというところから、優生保護法改悪に向けてPRを繰り返すその論調は、マザーテレサを抱きこむだけあって、それなりの説得力を持っている。
 
 それに対し、女たちの「中絶は女の権利である」式の反論は、主張してみてもその奥にどこかすっきりしないものが残るという弱さがある。



 まだ全部読んでいないけど

 この本を読み、大系づけられた情報のありがたみを知る。感想文は全部読み終わったら軽く書こうと思うけれど、とても面白くて読み応えがあるので、ぜひお勧めしたい。

 今回、生長の家というキーワードが出てきたので、メモを書いておく。

 おそらくわたしにとっての現在の問題は、施設という世間からは見えない場所へ捨てられた事実にあるので、児童養護施設というあいまいな表現の子捨ての場所は、この国の人にとって意図的に隠された場所なのではないかという、一種の気づきのようなものを提示しているように感じた。【だが、あくまで自分の育ちのフィルター越しに読んでいる】

 という風に読んでいたら、生長の家というキーワード。引用部分が多量すぎるかと一瞬思ったが、いつの間にか夢中でテキスト化していた。これを読み、生長の家の事もおぼろげながら見えてきた。中絶を反対している生長の家は児童養護施設を運営もしている。中絶できずに生まれ出てしまった、いわゆる要らない子は乳児院~養護施設へ入れられてしまっている現実、そして政治家の影。

 一方で、心が弱った女性たちに水子の祟りを持ちい、恐れさせ、しかも中絶してしまった親たちを、水子を供養する寺に縛り付けている住職が右翼とは・・・。

 というか、わたしは右でも左でもない。中絶を罰則とするなら、生まれた子が必要とされない状況が起こる。その時に、その子どもが乳児院・児童養護施設で育つ事になるのが許せないのだ。親から捨てられた子どもたちを、大人の誰かが右だから、左だからという事で、政争の具にもしたくない。

 そういう感じで、メモしておきたくなったので、ご興味を持たれた人はぜひ読んでみて下さい。

|  わたしの本棚 つんどくリスト | 05時30分 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑














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