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呪:捨てられた子どもたちに「幸せである事」を表明してほしい理由

メンタル整理

 関連記事: 読書感想文:「水子 中絶をめぐる日本文化の底流」を読んで1

 ★ この記事も、今読んでいる本  の影響を何気に受けていると思う。
 
 死と紙一重の野辺
 
 何故、施設全部育ちばかりが「泣くものか」「誰もいなくても」「施設で育った事を言い訳にせず」「自分の力で」などと言い続けなくてはならなかったのか、又、今も言い続けねばならないのか、個人的にその「言い易さ」について、子どもの頃から考え続けていたような気がする。わたしは風変わりな児童で、どうしても直感的にキーワードに惹かれるのだ。

 実際、誰の目にも明らかな捨てられた児童や元児童に、何故「過去を言い訳にしない」と言わそうとするのか、又、言う事になんら意味がない事など(とっくに)知っているにも関わらず、みな、同じ宣言文を言わされるのか。


 大人の今、家庭で虐待を受けた人たちが「そんな言葉」を誰からも求められていない事を知っている。親との個人的な虐待の関係性が出来てしまったとしても「たとえ親から虐待を受けても、それを言い訳にせず」とは言わされないし、家庭の子もそんな事を言う必要性を覚えていないだろう。

 あちら側に渡った子どもたち

 ある日夫が興味深い事を言っていた。彼のその表現があまりに神秘的なので何度か訊ねたけれど、我に返った後の彼はもう同じ表現が出来なかった。

 『養護施設の子の事を、あちら側に渡ってしまった子という印象を持っていたけれど、やっぱりそうだったんだな・・・』と。

 「養護施設の子」が家庭で虐待された子という意味なら夫も理解できるらしいが、捨てられた子については、もう彼にとっては、あちら側の子という区別のされ方になってしまう。彼にとって施設の子はリンボの辺【賽の河原のような領域】子どもたちなのだ。

 しかしわたし達児童養護施設全部育ちの子は、それでも中絶【殺され】なかった事実を用いられ、児童養護施設だけで育つ事を軽んじられている。

 人々の、中絶に対する拒絶反応の強さと、ある種の必要悪として内面に抱えてしまっている事実とがせめぎ合っているように見える。

 捨てられたわたし達に対しては中絶されなかった事をもって死ななかったのだから良かったと(だけ)言いつづけ、子どもたちには表現を求める。

 そういう精神的な風土の中で、忌むべき存在から報復されたくない、そして許しを求める心が、大人たちには常にあるんだと思う。

 夫は古くから仏教的な家庭に育っているので、母親の影響を受けてもいるだろうし、自分が望まなくとも親から受け継いだ精神的なものは、いやでも受け取っているのだ。その、仏教の影響を受けている彼のフィルター越しに見るなら、児童養護施設の子は、中絶により命を絶たれてはいないが、かといって、生きている存在としても認識しづらい場所にいるという事になるらしい。

 心安らぐために

 そんな夫は、わたしからは「施設で育ったが、愛されて育ったという言葉を聴きたい」のだと思う。今、捨てられた過去を整理しているが、家庭で育ち大事にされた彼は、捨てられた児童の呪いや怒りの内容を聞きたくないのだろう。

 彼ら家庭で育った人々が心安らぐためには、捨てられた当人達から、冒頭にあるような「前向きな宣言」を、得続けなくてはいけないのだろう(か)。

 ・・・自分たちが生き延びるために、切り捨てて【中絶、そして遺棄や放棄】きた「何か」から、祟られ呪われる事が怖いのだと思う。

 無愛着児は呪わない・・・けど

 わたしは施設で育ったが、その代償として、元の生物学的家庭に災いを成すような事はしない。気づいたら児童養護施設にいたのでとことん無愛着なのだ。たとえば リングのヒロイン・貞子のように悪霊化する予定もない。又、他のホラー映画にあるような、自分を捨てた【殺した】生物学的な家族や元カレ・カノを一人一人探し出して、呪わしい状況に陥らせたりする発想もない。

 わたしは今生存しているし、何らかの理由で中絶されなかった元乳児だ。捨てられた後生き延びた。
 
 しかし子どもの頃、児童養護施設の児童たちは近所の住民たちからも忌み嫌われていた。何か悪いことをするわけではなかったが、虞犯少年&少女が成す災いとははっきり区別されているような感覚もあった。

 一般の人々にとって、虞犯少年についてはまだ理解の範囲なのだろうが、捨てられた子どもたちは理解の範囲を超えて、あちら側【というより、あちらとこちらの狭間】を予感させるのかもしれない。

 ・・・そんな捨てられた子たちが「施設で幸福に生きている」と言わされるのは当然のことなのかもしれない。大人たちはホッと胸をなでおろしたい何かを共有しあっているのだと感じる。

 風車を持ち柔和な顔をした地蔵に願いを託し、あちらがわで楽しく遊んでいてくれますようにと願った古の日本人の恐れとの、不思議な符号を意識させる。

 今は少し、そんな事を思うようになった。
 
 まっ【Maria風】呪いなんてめんどくさい事はせず、現時点でしっかり問題を語らせていただくわ。

| ├ メンタル整理 | 06時10分 | comments:4 | trackbacks:0 | TOP↑

珍しい話じゃないらしい

 
 一旦レスしたんですが、あなたが相手だとどうもコントロールを受けている気分になり、書き直します。
 
 過去の記事まで読んで下さりありがとうございます。この親記事では映画の話をしているのではなく、本を紹介してます。何故映画リングの話になり、海外のザ・リングへ及んでいったのか謎なんです。4月の記事で、もうそんなに経つのか、まだそれしか経ってないのか、何とも言えませんが・・・。

 わたしはどうも洋の東西の思考の違いに着目したんじゃないかと思います。訳ありの子供がどういう風な立場になりやすいのか、そのなり易さ、が同時にうかがえる気がしただけです。

 本もよかったら図書館などでも借りられると思いますし、お読みいただき、改めて感想などコメント下さるとうれしいです。

 養子になったサマラが来た事で狂う事になった家庭の話がありましたね。

 あなたは確か施設で職員を目指しているのですね、職員の目線ならば、養子縁組が行われる事への問題提起と捉えるかもしれませんが、わたしの目には、サマラを引き取った養親家庭とのマッチングの問題だと思えました。

 海外では施設に委託よりも養子縁組を先に考えますから、結果的にマッチングがうまくいかないと、養親家庭、里親家庭を渡り歩く事になりやすいと聞いた事があります。

 これはホラーの形をとってますが、子供の強い愛着というものは、それほどのエネルギーを持っているのだと解釈しています。色々意味深いマグダレンという言葉は、海外の修道院、乳児院などでごく普通に使われるようですので、珍しいわけではありません。それだけ訳あり出産に対する意識の現われが見えるわけですね。 

 ただ、子供の死者をきちんと死者として葬る必要性をこのハリウッド版では確認できました。わたしが自分をやはり捨てられたのだと確認したのも、誰にも出会えなかった霊を葬る作業に少し似ている気がします。

 それは置いといて・・・

 保母志望のカナンさん、このような映画のワンカットをもって日本の施設の方が良いなどと安易に言わないで下さいませね。

 

| Lei | 2009/11/21 07:58 | URL | ≫ EDIT

海外版のThe Ring2見ました?

Leiさん、一番新しい記事へレスしようと思ったんですが

>この映画は悪名高い?ハリウッド・リメイク版にもなっていて、実はわたし、そっちの方が好きだったんだよ。

割り込んでしまいますが・・・。

ハリウッド版では、マグダレン修道会や養子縁組、実親の精神病など。
養子になったサマラが来た事で狂う事になった家庭の話がありましたね。
ご覧になりました?
Leiさんはこちらの海外版の方には触れてないですね。
でも気になさっているのは貞子よりもサマラなのかな?と思いました。
http://www.weblio.jp/content/%E3%83%AA%E3%83%B3%E3%82%B0%EF%BC%92

| カナン | 2009/11/20 11:54 | URL | ≫ EDIT

リングの作者

 Maria、おはよう。

 昨日、ケララ・カレーを四時間掛けて作ったら寝ちゃった。起きたら食べ終わった皿【夫のだけ】がキッチンにあった。作ったら疲れてフェードアウトしたみたい。

 確かホラー作家のこの人は子育て本を書いているんだったよね。このリングの作者にとっては、究極の愛着もテーマなのかも。

 この映画は悪名高い?ハリウッド・リメイク版にもなっていて、実はわたし、そっちの方が好きだったんだよ。

 ああ、又見たくなっちゃった。

| Lei | 2009/04/08 05:22 | URL | ≫ EDIT

前世の行いが…

Leiちゃん、

 あたしは、「前世の行いが悪いから、親に捨てられ施設に入った」と近所の人に言われたことがあるわ。

 まあ、施設の子は、捨てられたいるから、世間も言いたい放題なのね。本音では。

 だけど、マスコミでは、このような本音は絶対に語られず、きれい事ばかりが語られるのよね。

 あたし、呪いって、愛情のゆがんだ形だと思っていたわ。特定の人を呪いという形で思い続けるなんて、そもそも人に思いのないあたしには、不可能だと思っていたわ。

 呪いって、死んだ後まで思い続けるのね。それはそれで、究極の愛着なのかしら? ま、よそでやってちょうだい、とも思うけど…

 捨てられた子どもたちを見るのは、社会の大人として、どこかチクリと胸が痛むのでしょうね。だから、「子どもたちは、施設で、元気に仲良く楽しく健気に暮らしている」と思いたいのよね。

 いぜん、あたしたちに絡んできた人は皆、こんなだったのかもしれないわね。Leiちゃんの解説、とてもよくわかるわ。

| Maria | 2009/04/08 01:47 | URL | ≫ EDIT














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