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読書感想文:「水子 中絶をめぐる日本文化の底流」を読んで2

読書感想文

 関連記事: 読書感想文:「水子 中絶をめぐる日本文化の底流」を読んで1



 本文の引用

 ヨーロッパの捨て子
 
 ジョン・ボズウェル【宗教と同性愛についての歴史学者】は最近の優れた研究のなかで、キリスト教の発展によって、子どもを始末するやり方のうちでも、道徳的観点から見て非難される度合いが最も低いのは遺棄の場合だという感覚が与えられ、これを背景にして遺棄の慣習が何世紀にもわたって高い頻度で行われてきた事実をはっきりと示した。

 さらに、望まれない子どもを投げ捨てるこのやり方はたいてい死のたんなる延期を意味した。ボズウェルは古代ローマから中世末期の時代に焦点をあてた研究をふまえてこう結論づけている。

 孤児院の壁の裏側で雇われ役人が社会の好ましからぬ結末を処理したから、子どもを捨てた親も、周りの市民たちも捨て子に対してそれ以上考えたり、配慮したりするには及ばなかった。

 孤児院でさえも孤児を長く世話する必要はなかった。孤児院が出現した時期から十八世紀に至るまで、ヨーロッパのほとんどの地域では大半の子どもたちが、入所後数年足らずで死んでいった。時代や場所によっては死亡率が九十%を超えた場合もある。


 


その国ごとの時系列

 欧州はわたしの視点では、子捨ての好ましからざる実例を先に示したという【反面教師?】点で、学ぶ対象だった気がする。宗教や国民性【民族性】の違いがあると思うが、わたしの感覚では「お茶を濁す方向へ逃げる」日本の人々よりも、理解しやすかった。

 ただ、その前に、日本では不要な子を間引きする慣習があり、欧州では子捨てがそれに当てはまるという状況があるので、そこを意識した上で、民族性を比較するなら比較しなくてはならないと思う。

 特に欧州が第二次世界大戦後、目覚しい程の子どもの問題に直視する態度を示すあたり、欧州の宗教観を底流とした精神性と絡め、いつまでも捨て子の問題を見て見ぬフリが出来なくなった気持ちが理解できる。そうなると、捨て子の問題についてはすぐに具体策が必要になってくるのだと思う。

 「中絶=間引き=家族計画」を殊更許されたいと供養に励もうとはしないい土壌で、欧州の民はまともに、自分がやった現実を喰らい続けていた のだと思う。彼らは宗教的にも、日本人のような、どこか牧歌的?な【← 言葉の置き換えが出来るなんて牧歌的なんです】要素に逃げ込む事が出来なかったと思う。

 捨てる事も「始末」のひとつ

 わたしはこの本を読み、捨てられた子ども達も「始末」するやり方のひとつでしかなかったという事を再認識した。感じるだけではなく、言語レベルでこの問題を知った。

 わたしが馴染んでいるのは日本的なものではないように思うが、一方で「学んでいる」のは日本的なものだ。日本は間引きが家族計画の一つでしかなかった時代に、外来の仏教の「供養」という解釈が加わり、神道との宗教的な争いもあり、読み進めるうちに、わたしの目にはますますイデオロギーと霊感商法的な存在と感じられるようになっていった。日本のその後は、戦争へ向かうので、どうにもならなくなるが・・・。

 今出来る事

 わたしはこの本の内容もわたしの精神の中に取り込み、さらに、必要なことを訴え続けていきたい。「処理としての遺棄・放棄」を、そうではない、違う表現でごまかしてはいけないと感じている。さらにわたしの立場では、日本の人々の中にある、共有している何らかの罪の感情をわたしは理解する必要性も覚えない。

 Mariaとわたしは、それぞれに得意分野や興味のある分野がはっきりしている。二人はそれぞれに表現を持っていて、それぞれが問題意識を持ち、立っている状況を喜ばしいと思う。

 これからも「今出来る事をしたい」し「勉強したい」と思う。ノウハウ本だけでなく、この国の人々の民族的なものや宗教的なもの、歴史の大系、比較すべき民族性など・・・。そこから、この国の人々の底流に流れている精神というものを学んでいけると思う。

 この国には「里親」は普及しにくいと言った人もいたが、それらも含め、民族的な見地や歴史やらから、考えて発信していきたいと思う。学ぶべきものが多い本だった。

|  わたしの本棚 つんどくリスト | 06時56分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

死なない程度に

 Maria、

 でも、日本の施設では、死ぬのは、年に一人か二人。千葉県の恩寵園でも、あれほどの虐待やレイプがあったけど、人死にはなかったの。

 「誰か死ななければ変わらない」とは、施設の子たちの共通した気持ちだけど、措置費の入る大切な金のガチョウだから、「生かさず殺さず」なの。


 そうだね、欧州は「入所児童の死者を多数出してしまった」から、施設入所に対して意義を唱える事が容易だったと思う。

 でも日本では、いくら死に掛けていても「死なない程度に」行われていたから施設はいつまでも無くならない。

 そして捨てられた子が集団で生きる賽の河原(リンボ)の子ども達は、世間が見たくない領域として、でも必要悪のように、この世界にあり続けているのが現状だと思う。
 
 これからも、がんばって発信していければと思う。だんだんパソコン環境も整ってきた事だし・・・ね。(いろいろお世話になりました。)

| Lei | 2009/04/12 06:54 | URL | ≫ EDIT

> 孤児院でさえも孤児を長く世話する必要はなかった。孤児院が出現した時期から十八世紀に至るまで、ヨーロッパのほとんどの地域では大半の子どもたちが、入所後数年足らずで死んでいった。時代や場所によっては死亡率が九十%を超えた場合もある。

 Leiちゃん、これほどの劣悪な環境だから、施設収容への社会的批判が沸き起こり、里親養育へ移行していったのね。

 映画「オリバー・ツイスト」でも、劣悪な施設環境はよくわかるわ。

 でも、日本の施設では、死ぬのは、年に一人か二人。千葉県の恩寵園でも、あれほどの虐待やレイプがあったけど、人死にはなかったの。

 「誰か死ななければ変わらない」とは、施設の子たちの共通した気持ちだけど、措置費の入る大切な金のガチョウだから、「生かさず殺さず」なの。

 あたしも、この本を読んでみるわね。

| Maria | 2009/04/09 01:24 | URL | ≫ EDIT














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