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墓にこだわる施設と地蔵にこだわる施設の過去探しを経て

養護施設にいる間の問題

 感想文といふものを通して知る

 Mariaのレビューも常にとても面白い。いつもは理由はわからないが「Leiちゃん、あの本の感想文を書いてね」と彼女から【この稚拙な文体でいいのか?】お願いされてしまう事が多いが、わたしもわたしで彼女の書く文章には惹かれているので、今回は半ば強引に、仕事で忙しい彼女にも感想文をお願いしてしまった。

 Mariaの感想文 → ここ

 彼女のレビューを読み、いくつか自分なりに気づいた事をメモっておこう。【ファーストインプレッションをすぐに忘れてしまうから、今のうちに】。といっても彼女の感想文への直接なレビューではないが。


 養護施設ごとに流れる精神的なものの違い

 わたしは日本の幾つかの【2つだけ確認】違う文化を持った施設へ収容されてきた。生まれた後は大天使ミカエルとルシフェルの戦いを彷彿とさせるカソリック教会の気配を感じていたが、その他の施設は、原始宗教の香りを持っていたり、修道院のあの深々と静まる石とツタの気配を漂わせる施設だったり・・・そしていつもネタにする二度目の施設の、さんざんわたしを反面教師として、今一度神に対峙せざるを得なくさせたプロテスタント系施設を歩いてきた。

 わたしは普段は、児童養護施設における普遍的な問題として、集団養護による管理体制が招く無愛着児童の放置など論って【あげつらって】きたが、わたしはさりげなく、その施設ごとの精神性の違いなどを肌で感じてもいた。今回、この本を読む事で、直接施設の問題を取り上げてはいないが、自分の置かれた立場の底辺にあるものの輪郭が少し見えてきた。

 地域の民が寄贈した地蔵児童養護施設

 わたしは数年前、Mariaに付き合ってもらい、一つ目の施設を訪問した。その時にその施設の庭に併設されていた数体の地蔵を見て大変驚いた。わたしの感覚に地蔵と養護施設がリンクできないのだ。わたしはその施設がどんな精神性を持っていたのか理解できないまま岐路についた。わたしは、実は、道に置かれた石=マイルストーン位しか浮かばなかったのだ。

 わたしはその施設を脱走したのだけど、施設の感覚がまず、わたしの中で受け入れられなかったのだと思う。魂が死ぬのと、身体が死ぬ違いを問われても答えづらいというか・・・。
 
 過去探しから帰ってきて、よく見ると、どれ程新しく拡張された道路脇にも古びて顔の判別もつかない子どもの石像が置かれている事に気づいた。それからは大変、車の排気ガスで黒ずんだ子どものような像が地蔵であると知った事は、わたしにとってのもう一つの文化との接触だった。

 でも時々、あの地蔵の姿を思い出していた。養護施設に地蔵が祭られている事についてはMariaもわたしも判らずじまいだった、あの本を読むまでは・・・。

 あの時、施設の人は「地域の人が施設にこれらの地蔵を寄贈してくれたんです」と言っていた。その意味をわたしとMariaはうまく咀嚼できずにいた。2人ともその少ない言葉の意味を解する程には、言外にしか語れない日本文化への理解が根本的に欠けていたと思う。

 地域の人にとっての児童養護施設とは何かを考えさせられた。間引かれた水子、そして子捨てと児童養護施設と地蔵についても、改めて考えさせられた良書だと思う。

 プロテスタント施設に供養や地蔵を祭る概念はない

 にこだわる二度めの施設は、メモリアルさえも拒否していた。色々は語れないが今度Mariaに参りに付き合ってもらう事にした。キリスト教にとって偶像となるものはすべて排除せざるを得ないという事か。当時施設で流行っていた言葉として「自分が入る墓堀人」という言葉があったのをふいに思い出した。これ、どーいう意味か??
 
 まま、とはいえ、

 黙して語らず闇夜の水面を流れ行く精霊【みたま】よ
 

 追記

 日本的な児童養護施設と地蔵の何気にコラボな状態ついては原始的宗教?のスピリットをインプットされている日本人ならば語らぬまま悟るものなのかもしれない。わたしはハッキリ物事を言うので嫌われやすかったけれど、Mariaがわたしを好いてくれるのも、今では納得がいくような気してきた。
 
 しかし、孤児院の素地は西洋のキリスト教圏からなので当時の日本人にとって受け入れるのは容易ではなかったように思うのだ。供養の概念が通らないこの世界観は、間引き世界への黒船のようなものだったかも。

 ・・・その結果、孤児院という直接的な表現よりも、幅広い解釈を持たせてくれる児童養護施設という、よくわからん表現を選んできたように思う。

 うぅ~~ん。

|  養護施設にいる間の問題 | 06時22分 | comments:10 | trackbacks:0 | TOP↑

2ちゃんねるとは関係ない事で失礼しました

 緋色悠依さん、率直なご説明を感謝します。わたしも2ちゃんねるから来た疑いを持ってしまい、大変失礼しました。この点について謝罪します。

 他の、文法的な事などについては参考とさせていただきます。


 それでは。

| Lei | 2009/04/22 09:10 | URL | ≫ EDIT

緋色悠依さん、

 わかりました。
 犬猫「里親」名称に反対することで、2チャンネルにこのブログがさらされ、言いたい放題書かれているので、かなり過敏になっていました。

 ですから、「言葉狩り」というキーワードには必要以上に反応したのかもしれません。それは謝罪します。ごめんなさい。

| Maria | 2009/04/22 07:09 | URL | ≫ EDIT

こんばんは

Mariaさん

初めにお断りしておきますが
私はここで議論をするつもりもございませんし、ましてや喧嘩をふっかけに訪問したわけでもありません。体験していない事柄を、さも共有した体験のように共感する文章も私には書けません。正直に思ったところしか書けないのはお許しください。

『里』についての語源の意味を誤っていたことは間違いないので、私の勘違いから不快な思いをさせたのなら謝罪いたします。
また「里親」についても、純粋に短い文章内での繰り返し表現についての印象を書いたまでで「○○」別の単語でもまったく同じことです。誤解されるような単語を使用したというのなら謝ります。

また”2ちゃんねる”について、「痛いニュース」のブログパーツを貼り付けておりますが、該当するような記事も無かったように思いますし深い意味はありません。2ちゃんねる経由にてこのブログにたどり着いたわけではないです。福祉カテゴリーの「読み聞かせボランティア」図書館などで児童書の読み聞かせのブログを追っているうちに偶然にたどり着いたに過ぎません。

なぜ、逐一アンカーをつけて私の文を推考されるのか真意はわかりかねますが。悪意を持って書いたわけではなく。表現がおよばず気分を害するような表現ととられたのなら私の不徳といたすところです。

Leiさん
Mariaさん
重ねて申し訳ありませんでした。

| 緋色悠依 | 2009/04/22 00:51 | URL | ≫ EDIT

里親は法律用語ですけど…

緋色悠依さん、

 あなたは、どのようにLeiちゃんのブログを知り、なぜ、Leiちゃんの記事に、上から目線で、「小学校の先生のような作文指導」をするのかしら?

>もちろん。Leiさんはプロの物書きではないので表現やニュアンスといったところは行間を読み取って、知らないとか解らないながらにも気持ちを汲み取れるかどうかなのだと思います。
>そういう意味では、Leiさんのブログは面白おかしい日常を綴ったものではないので読み手を選ぶブログなのだと思います。

 で、あなたは「選ばれた読み手」なのかしら?
 そもそも、どこから、このマイナーなブログを知ったのかしら。あなたの読書ブログには、「痛い2チャンネルニュース」というブログツールがあるわね。
 「人間以外のものに里親を使わないで」という主張に反発する動物「里親」たちが、里親を攻撃するためだけのスレッドを2チャンネルで立ち上げているけど、その流れで来たのかしら?

>過去から読み返してみると
>2009年02月25日の施設職員という言葉が出てきます。ほかにも施設というキーワードは出てきますけれども、ここでLeiさんの思うところを書いておられます。疑問や悩みといった思うところを感情を出して書いておられると思います。ただ言葉の断片が強調されるような書き方なので本題がぼやけてしまった、あいまいな感じに受け止められるのではないかと思います。

 あのね、サイドバーを見ています?
 「里親さんを勝手に応援サイト」「STOP!養護施設内虐待」「児童養護施設を家庭と呼ばないで」「STOP!犬猫「里親」 里親は人間だけに使って」などのバナーが目に入っているのかしら?
 これ以上はっきりしている本題は無いと思いますけど…
 
 記事でも、「乳幼児は原則里親委託」「オール施設育ち」などのキーワードで、子ども時代の全てを施設で育つことの問題を列記していますでしょう?
 
>ココだけではないですが、全体を通して施設の当時の様子を語るときの本題は”主役”は誰なのかということが隠されているのではないでしょうか。

 あなたは、本当に読書家なのかしら?
 これだけの記事を読んで、「主役が隠されている」と言うのかしら?

>施設で生活している主役は職員でもオーナーでも市や県や国の職員や公務員ではありません。
>預けられている”子供たち”が主役なのでということを、訴えかけたいように思われます。
>あくまでも子供たちが主役なのに、何を勘違いしたのか”職員”や”園長”などが自分が主役だと勘違いをするから不幸な出来事が起こるのであって。ましてや預けられている子供が悪いわけでも親が悪いわけでもありません。
>一番立場の弱い守るべきはずの”子供たち”を差し置いて、守ることが仕事のはずの自分が主役だと勘違いしている人が悪いのです。

 あたしたちは、「施設の主役は子ども」と主張しているのではないの。
 「子どもたちを施設ではなく里親家庭に」と主張しているの。これだけ書いているのに、その趣旨が理解できないのかしら?

>物語などで”起承転結”というのを聞いたことがあると思いますが、Leiさんのブログでは問題定義や体験を素直に描いているというところでは”起承”はあるのですが、”結び”が希薄なので。全体でみると感情が無い様に思われるのではないでしょうか。

 Leiちゃんの文章は、先に結論を書いて、その後で、その結論を説明する論文スタイルなの。
 別に、物語を書いているのではないの。乳児院・養護施設だけで子どもが育つことを問題にし、子どもたちを里親家庭へ出して欲しいという、メッセージブログなの。
 「結び」は、文末にあるのではないの。
  英語と同じように、「○○である。なぜならば~」というスタイルなのよ。小学生の作文を書いているのではないの。

>でも、感情の表現は十分に書き連ねておられると思います。

 それが、「感情的」と言った理由なのかしら?
 
>2009年04月16日では”里親”をキーワードに繰り返し使われているので、漢字の成り立ちから言えば”里”の字だけで”親”とか”養う”という意味が内包されているので、短い文章内で繰り返して使用すると”里親”だけが一人歩きして、良い印象も悪い印象も与えてしまう恐れがあると思います。
>この当りの受け取り方が偏る恐れがあるのが危うい”言葉狩り”ともとられかねないのかなと思いました。

 たくさん本を読んでいる割には、法律関係や児童福祉関係の本は読んでいないのね。
 
 児童福祉法第6条の3
 この法律で、里親とは、保護者のいない児童又は保護者に監護させることが不適当であると認められる児童(以下「要保護児童」という。)を養育することを希望するものであって、都道府県が適当と認められる者をいう。


 とあるのよ。あたしたちは、この法律で定義する「里親」の話をしているの。
 法律用語である「里親」を使うことが、「言葉狩り」というのなら、児童福祉法を変えるべく、厚生労働省に文句を言うべきではないかしら?

 「”里”の字だけで”親”とか”養う”という意味が内包されている」というけど、誰の学説なわけ?
http://dic.yahoo.co.jp/dsearch?enc=UTF-8&p=%E9%87%8C&dtype=0&dname=0na&stype=0&pagenum=1&index=08458107385700

 「里」というのは、「集落」「ひとざと」「むらざと」「田舎」「ふるさと」「妻や奉公人などの生家」「実家」「おいたち」「育ち」「素姓」という意味に使われていて、「養う」と言う意味は辞書にはないのよ。

 ここで、なぜ「里親」という言葉を「言葉狩り」と表現したのかと考えると、犬猫「里親」表現に異議を申し立てているからとしか思えないの。もしそうなら、間違った「里」の解釈などせずに、最初からそういえばいいだけのこと。

>「大事な人の為に生きれるというのはとても幸せな事に思える・・・ただそれだけ。」
>という言葉が最後に紡がれます。結びの言葉がハッキリとしてきていると感じたので、過去から読み返すと書き方がこなれてきていて。上手い表現が描けているように思います。

 そう、上から目線の褒め言葉、ありがとうございます。と言えばいいのかしら?
 人様の文書表現を、「上手い表現が描けているように思います」と評価できるほど、あなたのブログの文書は、模範的文書なのかしら?

>私のつたないところを、長々とすみませんでした。

 最後に聞きたいのだけど、どのような経路で、このブログに来たのかしら?
 2チャンネル経由なら、2ちゃんねらーには興味ないから、別に答えなくてもいいけど…

| Maria | 2009/04/21 23:35 | URL | ≫ EDIT

言われた当人としては

 こんにちは緋色悠依さん、Leiです。里という言葉について、考えさせられました。

 でも、言葉の間違いや、起承転結の話や文章の技術的な話なら、そこだけを指摘すればいいだけの話じゃないかと思います。

 「言葉狩り」とか「一人歩き」だとか、そこまで言われたら困惑してしまいます。文法を知らない素人相手に随分大げさな表現に思うのですが、気のせいでしょうか。

 それはそれでいいのですが、わたしは高度な文章を書けませんので、開きお直るつもりではありませんがそのままで書き続けます。

 わたしはストーリーをつむぐ作家ではなく、単に怒りをもってる女です。感情を持つのはむしろいいことだと思ってます。

 わたしは語りづ付けるつもりです、朴訥でも。

| Lei | 2009/04/21 15:14 | URL | ≫ EDIT

こんばんは

Mariaさん
そうですね。
感情の表現がどうと、その部分だけ抜き取っても本当のところはわからないので誤解されるのを怖れずに、私の思ったことをつらつらと書きます。

もちろん。Leiさんはプロの物書きではないので表現やニュアンスといったところは行間を読み取って、知らないとか解らないながらにも気持ちを汲み取れるかどうかなのだと思います。
そういう意味では、Leiさんのブログは面白おかしい日常を綴ったものではないので読み手を選ぶブログなのだと思います。


過去から読み返してみると
2009年02月25日の施設職員という言葉が出てきます。ほかにも施設というキーワードは出てきますけれども、ここでLeiさんの思うところを書いておられます。疑問や悩みといった思うところを感情を出して書いておられると思います。ただ言葉の断片が強調されるような書き方なので本題がぼやけてしまった、あいまいな感じに受け止められるのではないかと思います。

ココだけではないですが、全体を通して施設の当時の様子を語るときの本題は”主役”は誰なのかということが隠されているのではないでしょうか。
施設で生活している主役は職員でもオーナーでも市や県や国の職員や公務員ではありません。
預けられている”子供たち”が主役なのでということを、訴えかけたいように思われます。
あくまでも子供たちが主役なのに、何を勘違いしたのか”職員”や”園長”などが自分が主役だと勘違いをするから不幸な出来事が起こるのであって。ましてや預けられている子供が悪いわけでも親が悪いわけでもありません。
一番立場の弱い守るべきはずの”子供たち”を差し置いて、守ることが仕事のはずの自分が主役だと勘違いしている人が悪いのです。

物語などで”起承転結”というのを聞いたことがあると思いますが、Leiさんのブログでは問題定義や体験を素直に描いているというところでは”起承”はあるのですが、”結び”が希薄なので。全体でみると感情が無い様に思われるのではないでしょうか。
でも、感情の表現は十分に書き連ねておられると思います。


2009年04月16日では”里親”をキーワードに繰り返し使われているので、漢字の成り立ちから言えば”里”の字だけで”親”とか”養う”という意味が内包されているので、短い文章内で繰り返して使用すると”里親”だけが一人歩きして、良い印象も悪い印象も与えてしまう恐れがあると思います。
この当りの受け取り方が偏る恐れがあるのが危うい”言葉狩り”ともとられかねないのかなと思いました。

でも、
「大事な人の為に生きれるというのはとても幸せな事に思える・・・ただそれだけ。」
という言葉が最後に紡がれます。結びの言葉がハッキリとしてきていると感じたので、過去から読み返すと書き方がこなれてきていて。上手い表現が描けているように思います。


私のつたないところを、長々とすみませんでした。

| 緋色悠依 | 2009/04/20 23:22 | URL | ≫ EDIT

え?感情的??

緋色悠依さん、

 Leiちゃんの文章を褒めて下さってうれしいですわ、ありがとうございます。八年間Leiちゃんのそばに居続けたあたしとしては、Leiちゃんの事をこんなに褒めて下さる方は居なかったのでとてもうれしいです。

 ただ一つびっくりしたのは、Leiちゃんの文章を感情に流されてと言った事です。過去のLeiちゃんの文章は跡にぺんぺん草も生えないような荒涼とした文章で、あたしはLeiちゃんは爆弾を落とすという風にいつも表現していました。Leiちゃんにもう少し情を込めた文章を書かないと読む人が殺伐とした気分になって居なくなってしまうと注意するほど、Leiちゃんの文章には感情的なものが感じられませんでした。

 それが、緋色悠依さんのご指摘では、感情的表現とあって、あたしが見落としていた文章でもあったのかしら?とびっくりしています。もし、覚えていたらリンクを教えて下さるか、何のテーマの文章だったのか示してくださるとうれしいです。

 あともう一つ、これも差し支えなかったらで良いのですが「言葉狩り」とはどういった言葉が言葉狩りと感じられたのか教えて下さればうれしいです。

 今後、言葉狩りと取られない文章を書く参考にしたいと思います。

| Maria | 2009/04/20 12:46 | URL | ≫ EDIT

感情に流されてみたかった

 おはようございます、緋色悠依さん。

 読み返してみてすこし以前の文章は感情に流されて言葉狩りとも取れるような、やや危うさを感じるようでした。

 不思議です、ちょっと一瞬ムッとしかけたのですが、あまり頭にこなくって・・・今までの人生で全く馴染みのない指摘を受けた事に気づきました。

 わたしは感情のないロボットと揶揄されていたのですから、今は、感情に流されて・・・と人から言われている事が不思議です。
 
 確かに「水子」という言葉に、計画的な堕胎以外の、産みたくても産めずに流れてしまった胎児の存在がありますね。

 語り方は難しいのですが、わたしは、産み育てたかったのに、それが叶わなかった方々には何ら冷たい視線を持っていない事を改めて、言語化しておきます。子への思い、痛み、苦しみを軽んじてはいません。

 しかし捨てられたわたしにとって、家族計画の中での堕胎という現状はかなりの衝撃的事実でした。

 昔施設を出た後に読んだ、日本残酷物語という単行本12巻くらい、を通して感じていたのですが、それでは言葉がハッキリせず、今回の本でようやく、シンプルなストーリーとしてわたしの中でイメージできました。

 自分の過去を今も探している最中のわたしにとって、直接的表現はとても役立ちます。日本人独特の感性に合わせたままでは、わたしは言葉と定義に迷い続けてしまいます。

 なので、あえて直接的な表現を用いる事で、源流を探ろうとしている状況なのだと自覚しています。その途上で「感情」を知り「放出」する事を知ったなら、今度は「怒りの制御」がわたしのテーマとなりますね、ご指摘と感想をを本当にありがとうございます。

ウィンドウズ・ビスタにアップデートした効果かもしれませんね。

 はい、そうかもしれませんね。環境が変わったのですから。

| Lei | 2009/04/20 07:43 | URL | ≫ EDIT

こんばんは

いい文章ですね。
読み返してみてすこし以前の文章は感情に流されて言葉狩りとも取れるような、やや危うさを感じるようでした。
でも、最近のは思うところの過程が丁寧に書かれているので、気持ちが良く現れていて。読んでいても思うところのお気持ちがストレートに伝わるように思います。

書きたいことと書きたくないところがあるので、なかなか気持ちを表すのは難しいのですが、ひとつ乗り越えた感じに思うのは私だけでしょうか。

ウィンドウズ・ビスタにアップデートした効果かもしれませんね。




水子の問題は難しいですね。
もちろん、ここで問題にしておられるのは堕胎のほうなのですが。流産を経験して自分を必要以上に追い詰めておられる女性は多くおられますので一括りにはできないですし。
現状の優生保護法のもと水子という名のもとで流産と堕胎といったことはいいのか悪いのかは永遠に悩み続けるしかないのかもしれません。

| 緋色悠依 | 2009/04/19 21:41 | URL | ≫ EDIT

地蔵の写真を送ったわよ

Leiちゃん、

 この国は、直接的表現を避ける慣習があるから、孤児院を児童養護施設と言い換えたり、捨てられた子どもを「親がいる」とか「いつか迎えに来る」とあたかも捨てられていないかのような表現をするのね。

 嬰児殺しを「間引き」と表現したり、堕胎した子どもを「水子」と言ったり…

 これを読んでて思ったのだけど、赤ちゃんポストを設置している病院は、キリスト教の病院なのね。だから、子捨ての問題に正面から向き合うけど、西洋的思想のない多くの日本人は、産む前に捨てる(水子)思想だから、生まれてから捨てられた子どもには関心が無いのかもしれない。

 全部読んだら、また書くわね。

| Maria | 2009/04/19 12:27 | URL | ≫ EDIT














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