PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --時--分 | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

施設から距離を置いて生きていても施設時代の思考は残り続ける

養護施設を出てからの問題

 関連記事: 今「外の人が施設の特定の子に贈り物をした場合を想定」している

koinobori
Flickrより: 今年は何処にも行けてないので過去の写真をピックアップ。

 施設的な思考

 以前からMariaに「あなたは保母の考えをコピーしている」とか「内なる施設がある」と言われてた。他の施設出身者の男子Aからも「窓口業務の口調」だのと言われてきた。

 言われている当人のわたしは自覚できずにいて、どこがどう保母的なのかが自力では判りづらい。でも、少しずつMariaと整理しているうちに、Mariaとの意見の違いなどを通して、わたしはいつも考えが閉塞しがちなのだと感じるようになってきた。

 施設の子は施設で育ったとおりに大人になり、いくら施設から距離を置いても施設時代の世界観の中で生きているという事を、頭では理解しているが、それが自分にも当てはまるという事がピンと来ない。


 として生きづらい
 
 わたしは人的な関わりが想像しづらい。ダンボールに入れられた古着が全国から送られてくる顔の見えない善意を想像出来ても、外から来た人【ボランティアとかいろいろ】が大勢の中の特定の子と関わるなんて想像できなかった。

 でも今回、ある方が人的に施設の特定の子と関わる事や贈り物の話をした時、すぐにわたしは、それは大変な逸脱行為になり、度を過ぎたやり方であり、迷惑な行為なのだとしか答えようがなかった。

 わたしは人的な関わりを持つ場面をどうやら想像できないらしい、たとえ無理に想像したとしたら、それは逸脱行為を指すのだ。子ども同士も、誰にも誰もいない、誰にも何もない、事でパワーバランスを保っているのだと感じていた。一方、家庭から来た虞犯少年たちの群の場合は互いにパワーゲームをやっているように見えたが・・・。
 
 大人のわたしは、施設から距離を置き施設の思考を修正している自負があったので、もうわたしの考え方は過去の影響に引きずられてはいないと思っていた。
 
 でも集団生活の場の大勢の子ども達としてしか生きた事がないので、いきなりとしての考えを求められたらパニックになってしまう面がある事に気づき、さすがに凹みそうになった。さらに自分自身で物事を考える事が出来ない指示待ちのところもあり、施設に話を全て通すべきという【べき】へ傾いてしまう。

 凹むだけマシにはなった?

 そんな風に、自分の考えの・・・いまだに集団に埋没している思考を持ってる事や思考が閉塞している事などを受けて驚き、次に凹んだが、今は少し落ち着いた。Mariaの考えとの違いに驚き凹むのは、少し考えが広がってきた証拠だと思いたい。

 数年前のわたしだったら、Mariaから指摘されても「何言ってるの?集団に迷惑掛ける方がいけないのだから、それなりの指導をその子が受けるのは当然でしょ」と平気で言っていたように思う。

 発信するからには

 そんな風に、普段の発信内容と真逆な感性を持っているわたしの本音がさらけ出された感じだけど、Mariaの意見を受け、読み、考え、自分の意見を二度見して、考え、わたしは何を発信したいのか、児童養護施設の集団養育の何を問題にしているのかについて、改めて自己整理を進めようと思った。

 本当は、自分のあのレスはブログ内容にふさわしくないので削除か下書きにしようと思ったが、Mariaがわたしのレスを受けて、考えを書いてくれたので、この信じられないくらい未だに集団生活している脳みそを晒しておこうと覚悟した。
 
 これからもがんばろうと思う。 
 足りない部分はMaria、時間があったら補足ねがいます。

|  養護施設を出てからの問題 | 05時04分 | comments:2 | trackbacks:0 | TOP↑

企業の集団と養護施設の集団

 Maria、

 養護施設って、会社よりも集団主義的なところがあるの。
養護施設の集団主義って、会社組織でも役に立たないの。


 これなら意味がわかる。わたしもずっと企業で働いていたから。指示待ち人間のわたしに当時の部長は言ったよ。

 「君はこのデスクに座り、延々と指示を待っているだけだね」と。わたしは自分から動いていいと知らなかったんだ、職場を見ていて色んなアイデアが浮かんだ時も、出過ぎた態度はいけないと感じて、結局座りっぱなしだった。

 部長に言われてからは ”会社の為になるならもっと自由でいいんだ”と気づき、CADとかだんだん積極的に扱えるようになっていったのを覚えてる。わたしは当時、言われた事以上の事をしなくちゃいけなかったとは知らなかった。

 わたしはMariaの言ってる事がすごく理解できる。それなのに一方では、自分の事になると、放置に慣れているから好き勝手に生きてしまう・・・野生の動物みたいに。

 それをくりかえしている気分・・・。

 企業では個が歯車として働くという意味は、自分の可能性を最大限に引き出して、結果へつなげる為に自らの思考を進化させていく事だと感じてた。
 
 施設集団の、余計なことはするな、許されたこと以上のことをするな、という世界とは、ぜんぜん違う。
 
 だからわたしは、だんだん働けなくなっていったよ・・・。

| Lei | 2009/04/28 10:06 | URL | ≫ EDIT

内なる養護施設

Leiちゃん、

 いろいろ指摘してごめんね。
 あたしも会社勤めしているけど、あまりにも会社中心の発言をすると、たしなめられることがあるの。
 組織って、人で動いていると言われるの。人は、機械の歯車ではないとも言われる。

 養護施設って、会社よりも集団主義的なところがあるの。

 養護施設の集団主義って、会社組織でも役に立たないの。

 あたしたちは、自分の内なる養護施設に気付き、その内なる養護施設をなくしていかなければ、いつまでも養護施設に囚われ続けるのよね。がんばろうね。

| Maria | 2009/04/28 07:22 | URL | ≫ EDIT














http://escapeorgoodfight.blog85.fc2.com/tb.php/936-6dab92b0

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。